今更、佐々木朗希を美化してどうなる?話あるの?

今更、佐々木朗希を美化する記事出して、どうしたいのか?思ったより、千葉ロッテも井口監督やコーチ陣も佐々木朗希もイメージ上がらず、焦っているのか?上がらないイメージのまんまが、母校大船渡高にも余波及んだからか?

じゃあ、あの岩手県予選決勝、応援に行ったヒト達みんなに聞いてみたら?応援席からは見えなかったろうが、カレはベンチに座っていた。マウンドには4番目の投手、大船渡高野球部を知ってるヒトが見たら、「何でこんなヤツが投げてんの?」と思ったハズ。あだち充の「タッチ」、明青高1年夏県予選決勝で、スターティングメンバーに上杉和也がいない場面の超リアル版だ!

その後、判明した事実は?あの決勝前には、高野連から甲子園終了後の高校選抜内定が来ていたのでしょ?国保監督にとっても十字架、万が一、決勝佐々木朗希投げて甲子園行けても、故障したら・・・高野連に面目立たない。160キロ高校生を甲子園と引き換えにツブしたと言われたら、指導者としての今後も終わる。国保監督、佐々木朗希の指導トレーニングメニューは母校筑波大に丸投げして一切把握してないから、カレがダルいと言ったら休ませていた。ダルビッシュ有の甲子園決勝でやった登板拒絶の県予選版だ。

信じらんないだろ?生きてるんだゼ!投げず、負けたから大船渡高に甲子園はなくなったゼ!でも、カレには高校選抜があるんだゼ!甲子園で最後まで戦い、投げ抜いた奥川や西純らの負担軽減で、カレを起用するハズだった。しかし、マメなど言い訳に注目だけ集めてチョコっと投げて、毎度すぐ降りた。東洋大姫路高の名将らも、160キロ高校生なんて抱えたコトないから、腫れ物起用しかなかった。壊したら、自分のせいにされるし。高校選抜も殆ど投げず、奥川や西純らの負担を増やしただけだった。

コレらの話を浄化デキる美談、あるの?

大船渡高あの年代、PTA、周辺住民にも聞いて回って書いたら?

 

 

 

 

 

 

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佐々木朗希20歳はどんな高校生だった? 野球部同級生3人が明かす“素顔”「朗希は打つ方でもスゴかった」「あの日、グループLINEが大騒ぎに」
6/5(日) 17:06 Yahoo!ニュース
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2019年7月25日、岩手県大会決勝で花巻東に2-12で敗れ、大船渡高・佐々木朗希の“最後の夏”は終わった。前日に129球を投げていた佐々木はこの日出場しなかった photograph by Sankei Shimbun
「ぼくらの中で、だれよりも甲子園に行きたがっていたのが、朗希でした。甲子園への思いはだれよりも強い、それも圧倒的に。その朗希の情熱に導かれるようにして、ぼくらも必死に野球に打ち込んだんです」

【貴重写真】学ラン姿に坊主であどけない17歳佐々木朗希&2019年高校四天王(佐々木&奥川も)のメンバーがスゴい!高校最後の夏の佐々木の写真も全てみる(全32枚)

 こう語るのは桜美林大学2年生の千葉宗幸。3年前の夏、佐々木朗希を擁して岩手県大会決勝に勝ち進んだ、大船渡高校野球部のキャプテンである。

 プロ入り3年目の今季、28年ぶりとなる完全試合、さらに1週間後の8回完全という前代未聞の快投によって、その名をとどろかせた佐々木朗希。だが高校時代は取材規制が敷かれていたこともあり、その実像はあまり知られていない。

 甲子園の夢をともに追いかけた高校時代のチームメイトに話を訊くと、“令和の怪物”のリアルな姿が浮かび上がってくる。

「キャプテンはぼくですが、実質的には朗希」
 佐々木の同期である前出の千葉は、冒頭の言葉に続けてこう語る。

「キャプテンはぼくですが、実質的には朗希のようなものでした。野球への意識がだれよりも高く、できることは100パーセントやる。サボっているところなんて見たことがなくて」

 1、2年生のころ、佐々木は自主練になると必ず投手ひとりを連れてジムに行き、体幹レーニングに励んでいた。プランクとサイドプランクをそれぞれ1分ずつ、毎日欠かさず黙々と。

 自らのコンディショニング、身体づくりに没頭しながらも、佐々木はチーム全体に目を配ることも忘れなかった。

 そこには「グラウンドでプレーするのは選手。ならば選手たちが考えて判断することが、いちばん勝利に近づく道だ」という國保陽平監督の持論も関係している。

 佐々木とともに、チームのまとめ役を担った千葉が続ける。

「監督の方針もあって、部員たちが練習メニューを決めることが多かったわけですが、選手それぞれでやりたいことが違うときもある。そんなとき朗希は個々の意見に耳を傾けたり、部員がストレスを溜め込んだりしないよう、柔らかい口調で説明したりしていました。彼は調子に乗ることもなければ、感情に任せてグチャグチャに怒ったりすることもない。いつも論理的で他人のことを気にかけているんです」

「朗希は打つ方でもすごかった」
 夜9時に練習が終わり、真っ暗な夜道を自転車で一緒に帰る。そんなときも、千葉と佐々木は野球のこと、チームのことばかりしゃべっていた。

「朗希は投げるだけでなく打つ方でもすごかったので、チームメイトにアドバイスできる立場にいました。でも、アドバイスしてもいいのかな? 伝えるならどう伝えればいいのか、それともそもそも伝えないほうがいいのか、ものすごく他人のことを考えているんです」

 千葉も一度、佐々木からバッティングについてアドバイスされたことがある。

「ぼくは引っ張りが得意じゃなくて、基本流すバッティングなんです。エンドランはなおさらで、引っ張ると強い打球がショートに飛んで併殺になる可能性がある。ですから右方向を意識して打つわけですが、あるとき朗希がぽつりと言ったんですよ。“引っ張ったほうがいいんじゃない? ”って」

 なぜ引っ張ればいいと思ったのか、その理由は聞いていない。だが、このときも控えめな口調だった。実力を考えれば、ズケズケ言っていいはずなのに。おそらく佐々木は、このひと言も熟慮の末に口にしたのだ。

 チームに突出した実力の持ち主がいれば、周りとの衝突や軋轢が生まれても不思議ではない。なにしろ、彼らは高校生なのだ。

 だが、同期の部員たちは「揉めごとみたいなものは、まったくなかった」と口をそろえる。それは佐々木が実力を鼻にかけることがなく、その言動にチームと仲間のことを考える姿勢がにじみ出ていたからだ。

“ああ、おまえなのか”
 もっとも大船渡の投手たちには、佐々木とマウンドを分け合うがゆえのプレッシャーがあった。目の前の打者に加えて、怪物の登板を望む“外野の声”とも戦わなければならないからだ。

 同期の投手で、駿河台大学でいまも野球を続ける和田吟太が打ち明ける。

「自分が投げるとき、お客さんは朗希を見に来ているので、“ああ、おまえなのか”と思うわけです。ぼくには聞こえないと思うのか、実際に口に出すお客さんもいて、そういうのが耳に入ることがあるんですよ。試合中は、できるだけ気にしないようにしているんですが」

 自分のことで投手陣に余計な負担がかかっている。

 だれよりも周りが見える佐々木には、そのことがわかっていたのだろう。

 和田が続ける。

「そういうとき、外野を守っている朗希はベンチに帰ってくると、ぼくにアドバイスするんです。“インコース増やした方がいいよ”なんて。それは配球に集中させることで、余計なことを考えさせないようにしていたのだと思います」

「そんな声、気にすんな!」というと逆効果になりかねないから、配球についての声かけをして投球に集中させる。

 異次元の地平に立つ同級生は、10代とは思えない気づかいができる大人びたところがあった。

「野球部のグループLINEが大騒ぎに」
 震災直後の小学4年生のときから一緒に野球を続けてきた今野聡太は、誕生日がたまたま1日違いで、佐々木と毎年バースデイプレゼントを贈り合う間柄。

 盛岡大学で野球を続ける今野は、完全試合のときのことをこう振り返る。

「週末を過ごした大船渡から盛岡に帰ってくるとき、朗希が完全試合をしていて、野球部のグループLINEが大騒ぎになっていました。ぼくは移動中だったので参加しなかったですけど、でも当時の同期はみんなつながっていますよ。いまでもみんな、ものすごく仲がいいですからね」

 “佐々木朗希と仲間たち”ではない、大船渡高校野球部の同期として。だから最後の夏から3年経ったいまもみんながつながり、佐々木が快投を演じるたびにワイワイと盛り上がるのだ。
(「Number Ex」熊崎敬 = 文)

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