巨人、もはや、ちゃんとしたプロ野球チームなの?

坂本勇人、実質1人きりと言って良い、巨人の遊撃手。確か、清武GM唯一のレガシーだったハズ。それも、故障リハビリ中に山本モナと撮られたフシダラ二岡をチームからハズすために、唯一の存在として高卒2年目の坂本を据えた。1人しかいなかったから、レギュラーとして使わざるを得なかった。甲子園にも出た遊撃手なのだが、守備の基本がなってない。高校時代から、守備は打撃の付け足しだったから、キチンと基本がデキてない。打球の正面にキチンと入らない。桑田は逆シングル処理を送球に繋ぐ動きとして認めるが、正面に入るべき打球に逆シングルやって抜かれたら「軽いプレー」と斬る。昔の小笠原の三塁守備や坂本の守備には、そういう抜かれ方をするヒットは多い。

今の岡本同様、席を空けてもらって漸く試合に出て、代わる選手をフロントが獲得せず、監督コーチ陣が育成しないから、チーム内で脅かされるコトもなく、安穏としていられる。野球より、素振りやノックより、六本木夜会にしかウエイトがない。

この20年近く、巨人はキチンとした二塁手遊撃手を獲得していないし、育成もしていない。あの第1次長嶋政権でも、二塁には土井を残し、遊撃手に河埜をまず据えた。(本来二塁手のD・ジョンソンを、三塁手にしてしまったが。)内野手4人の内、二塁手遊撃手三塁手と3人アナの巨人で、勝てるワケがない。

 

 

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令和の噛みつき男・坂本勇人 20歳の頃の銀座クラブ伝説 巨人軍の紳士たちは元気ハツラツだった
6/21(火) 6:02 Yahoo!ニュース
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メークレジェンドの2008年
 
20歳の頃から元気だった
 巨人の坂本勇人内野手(33)が2018年2月、キャンプ地・宮崎のキャバクラ嬢に噛みつき、その件で慰謝料550万円を支払っていたことが「週刊新潮」で報じられた。坂本 に限らずキャンプ地で羽目を外すのは、常に「紳士」であることを求められ、プレッシャーを感じている選手らにとって、大事なリフレッシュの機会だったようだ。しかし、結果的にその行為は、高くつく格好となった。

【写真12枚】騒動の現場となった宮崎市内の歓楽街・西橘通り

 コロナ禍以降、すっかりこうした宴席もなくなったようだが、かつては紳士の仮面を外す場としては、銀座のクラブも重宝されていた。そして今回、「カムカム」癖が判明した坂本は、昔からこういう場が好きだったようだ。

 ここでご紹介するのはいささか古い話だが、まだコロナなんてものは存在せず、世の中もこうした「羽目外し」に寛容だった時期の紳士たちのエピソード。

 坂本はじめとする巨人のスター選手たちの、グラウンド外での元気ハツラツ意気軒高な横顔を、銀座の人々の証言をもとに覗いてみよう。

 時は2008年。原辰徳監督が率いていたこの年の巨人は、開幕5連敗を喫してスタートダッシュに失敗。一時、首位の阪神に13ゲーム差をつけられていた。しかし、北京五輪を挟んで阪神が失速する一方、巨人はその差を確実に詰め、ついに大逆転優勝を果たす。

銀座クラブ貸し切りの祝勝会
 1996年の11・5ゲーム差を跳ね除けての優勝が「メークドラマ」と呼ばれるのに対し、この年の巨人の優勝は「メークレジェンド」などと呼ばれている。開幕オーダーは以下の通りだった。

1(右):高橋由伸
2(遊):二岡智宏
3(三):小笠原道大
4(一):李承燁(イ・スンヨプ
5(左):ラミレス
6(捕):阿部慎之助
7(中):谷佳知
8(二):坂本勇人
9(投):高橋尚成

 この年、選手会長を務めたのは、32歳と脂ののった二岡智宏だった。しかし、開幕戦でふくらはぎを痛めて二軍落ち。一軍復帰が予定されていた直前の7月、タレントの山本モナと「五反田のホテル」で逢瀬を過ごしたとされるスキャンダルが報じられ、一軍復帰は延期に。二岡が不在の間、遊撃手のレギュラーを奪取したのが20歳の坂本だった。

 さて、大逆転でリーグ優勝を飾った直後、銀座のクラブを貸し切っての祝勝会が開催された。

「この年を挟んで巨人は3連覇しており、確か3年連続で同じクラブで祝勝会があったと記憶しています」

 と、銀座のクラブ事情に詳しい関係者。

きっかけは阿部慎之助の挨拶
「30人ほどの選手はボックス席に、監督とコーチ陣はVIPルームに陣取っていました。締めの挨拶でマイクを持ったのは阿部(慎之助)さんで、彼はこんな風に言っていました」(同・関係者)

〈ここから(ホステスたちと)2次会に行くのはもちろん構いませんが、多数のパパラッチがカメラを構えていることと思いますので、お相手とは時間差で外へ出るなど注意してください。特に「五反田のホテル」はやめてくださいね〉

「五反田のホテル」とはもちろん、前述の二岡のスキャンダルを指し、阿部の挨拶はそれをからかうものだった。

「場内は“どひゃ~”って盛り上がりましたが、二岡さんが『ふざけんな!』ってガチギレして阿部さんのところへ向かって行って、揉み合いになってしまいました。ママが間に入って何とか収めようとしていたようです。二岡さんは広島弁がかった喋り方もあり、横柄さが目立っていたようで、ホステスたちには評判が良くなかった。そのせいもあって、余計に『五反田のホテル』という単語に場内が反応したように感じました」(同・関係者)

 なお、二岡はこの数カ月後、交換トレードで日本ハムに移籍することになる。スキャンダルが影響したと指摘する声も少なくないが、この時点ではまだ、彼はそんな将来を知る由もない。

vs.阿部とホステスとの交際秘話
 一方で、その二岡からポジションを奪ってシーズンを通じてスタメンに名を連ねた坂本もまた、この祝勝会の日、なぜか不機嫌だったという。その原因もまた、阿部だった。

「坂本さんはずっとキレていて、『阿部(慎之助)ふざけるな』って言っていましたね」

 と、別のクラブ関係者。

「阿部さんが若手にプロレス技のようなものをかけて、クラブの柱が損傷した“事件”があったのですが、坂本さんにとっては“若手がイジメられている”ように見えたんですかね」(同・関係者)

「レジェンド」を打ち立てても有り余る元気が、若手へのかわいがりに向かったのか――。ともあれ、リーグ優勝直後の祝勝会とは思えぬ緊張感が漂い続けていたようなのだ。

 ちなみに、坂本は当時から女性に積極的で、一時期、同世代のホステスと付き合っていたという。

「坂本さんが高校時代を過ごした青森出身のホステスで、クリッとした瞳が印象的な子でした。可愛くて稼ぎ頭だったから、彼にのめりこむのを店側は危惧したようです」(同・関係者)

 もっとも、交際はそこまで進展しなかったようで、

「休みの日に坂本さんの自宅に遊びに行ったりしても、彼は『顔を指されるから』と表に出たがらない。家政婦のように扱われたことを、彼女は不満に思っていたようです。程なくして別れ、彼女は銀座で一番有名なクラブに移籍していきました」(同・関係者)

 今よりもはるかに私生活がワイルドだった、しかし、チームもまたはるかに強かった時代の話である。

デイリー新潮編集部
新潮社

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