カレを"クルマ好き"や"カーマニア"と位置付けるべきではない!

カレを"カーマニア"や"クルマ好き"と位置付けするべきではない!料理番組などで、料理を完食せずに感想を言い、点数を付ける美食家もとい試食家がいるが、カレは将にクルマをキチンと味わわず、ポイと買い替える"試乗家"に近い。

今の日本のモータージャーナリストや自動車マスコミがダメな理由も、ただの私大系仲間内寄合、メーカーとの関係も仲間内なのだろう。ドコまで言っても忖度ぬるま湯。だから、キチンとした本音の評論がなく、自動車メーカーも目を覚まされるコトがない。

良いばかりのヒトと思っているワケではないが、日本のポール・フレールが育たなかったのも、そんなナアナア体質のせいだと思うし、確固たる持論がないせいだと思う。

******************************

初愛車は48万円「シティーターボⅡ」 愛車遍歴45台の安東弘樹アナが熱弁する魅力
8/18(木) 10:40 Yahoo!ニュース
  39
現在は日本カー・オブ・ザ・イヤーの選考委員を務める
 
フリーアナウンサーとして活躍する安東弘樹【写真:ENCOUNT編集部】
 フリーアナウンサーとしてテレビ、ラジオなどで活躍する安東弘樹TBS時代の2017年から現在まで「日本カー・オブ・ザ・イヤー」の選考委員を務めるほどの車好きだ。数えきれないほどの試乗を現在も続け、これまでの愛車遍歴は45台を誇る。初めて購入した48万円の“じゃじゃ馬”のような愛車「ホンダ シティーターボⅡ」の思い出を振り返ってもらった。(取材・文=猪俣創平)

【写真】“塊感”あるデザインに白の車体 安東弘樹が愛した相棒・シティーターボⅡ

 物心がついた頃から車が好きだった安東。「ウルトラマン」シリーズが好きで、ウルトラマンや怪獣よりも隊員たちの乗る車に夢中となっていた。車好きだった父親の影響もあり、車内の空間も好きになり、「気付いたらなんて素晴らしいものだろうと思っていたんですね」と振り返る。いつしか「自分で車を運転する」ことを夢見るようになった。

 しかし、両親が離婚したことにより学生時代は経済的に余裕がなく、車から離れた時期もあった。しかし、巷にあふれる魅力的な車たちが、その熱を再燃させた。「大学に入ってから家庭教師などいろんなアルバイトを掛け持ちして、何とか生活できるようになりました。学費を払い、食費や生活費も稼ぎながらではありましたけど、車だけはどうしても譲れなかったですね」。

 大学2年のとき、同級生の友人の父親が中古車屋を営んでいたことから夢が現実へと近づいた。買える車は50万円以内で、「小さくて、多少速くて、マニュアルの車」という条件で探してもらった結果、運命的な出会いを果たした。

「『ホンダ シティーターボⅡ』という車を紹介してもらいました。『これだ!』と一目ぼれで即決でした。当時で5年落ちの車でしたけど、ずんぐりむっくりの形や塊感のあるデザインが好きで、日本車でも珍しいボディーでした。ターボエンジンで、120馬力、16.3キロ(最大トルク)、今もスペックが頭に入ってます。『これしかない!』と思って、うれしかったですね!」と、興奮気味に振り返る。

「子どもの頃からの夢」がかなった瞬間だった。「あれ以上の喜びをいまだに感じたことがない」ほどの感動を、鮮明な記憶とともに思い返す。

「納車の瞬間も覚えています。中古車屋さんは友達の友達のお父さんだったので、契約が成立しておそば屋さんでごちそうしてもらいました。そこでカレーそばを食べたんですよ。うどんじゃなくてそばを。本当は天ざるが食べたかったのですが、ちょっと遠慮もしつつ、カレーそばにした記憶がいまだ残っているくらいです。

 カレーそばを食べながら『あ、そうか。俺は今日から車のオーナーになったんだ!』って。もしかしたら、その48万円の車を買ったときが一番うれしかったかもしれないです。もちろん、車は何台買っても今も感動はあるんですけど、やっぱり最初の車の感動は一番大きかったですし、たぶんああいう感情は二度と味わえないんだろうなと思います」

愛車の夢実現のために必死で働いた学生時代
 
「シティーターボⅡ」の魅力はドッカンターボだと振り返る安東弘樹【写真:ENCOUNT編集部】
 大学時代、弓道部では主将を務め、夜中はバイトと働き詰めの生活。満足に眠れる日もないほど大変だったが、夢の実現に必死だった。そんな原体験から「いまだに車の価値って金額じゃないんです」と熱く語る。

「たとえば、仮に僕の親がお金持ちで、フェラーリを買ってもらったとしても、あのシティーターボⅡの48万円には絶対にかなわなかったと思いますよ。自分で学費も払った中で、ローンを組んで買ったシティーターボⅡ。どんな車よりも価値がありましたし、実際に乗っていて隣にどんな車が来ても『シティーターボⅡのオーナーじゃないなんてかわいそう』くらいに思っていましたからね。そのぐらい愛着がありましたし、その人なりの楽しい車っていうのが絶対にあると思っていますし、そのときの感動は一生残ると思います」

 愛してやまない初めての愛車・シティーターボⅡ。魅力の一つは「ドッカンターボ」にあった。「ある程度の回転数までいくと暴力的に加速するやんちゃな感じも好きでした」と身振り手振りを交えて説明する。

「アクセルを踏んでしばらくは力がないんですけど、エンジンが回って、タービンが回っていく瞬間に『グワァーン!』と一気に力が強くなるんですよ。そのときに『ボーン!』と身体が押し出されるような感覚になるんです。一度、上り坂でアクセルを踏んでみて『フワーン!』って加速したときに感動しました。いわゆるFFといって、前輪が駆動するんですね。だからホイールスピンといって空回転みたいにしちゃうのですが、それにも感動してですね。『あ、テレビで見たやつだ!』って。『キュー!』と空回転して、そこから『グワーン』と加速してですね、もちろんマニュアルだったんですけど、その加速感も当時としてはすごかったです」

 現在もマニュアル車にこだわり続ける安東。その理由はマニュアル車での運転感覚はオートマチック車とは別物だからだと言う。ダイレクト感こそが運転する“楽しさ”の一つだと力説する。

 初めての愛車は走りだけでなく、内装やデザインもお気に入りだった。

ダッシュボードを開けると、そこにエアコンの空気が入って、冷やせるようになっていたんですよ。こんな機能がついてるんだと思って感動して(笑)。車体は色が白で、エクステリアもそうですし、内装もかわいくて。ブルーと明るいグレーのツートンのシートで、横の張り出しが大きかったりして、ちゃんと体を揺れないようにキープしてくれるっていう内装のデザインも好きでした」

 学生時代にさまざまな場所へと走りに出かけた思い出もよみがえる。「大学生のときに付き合っていた彼女と初デートに行ったときもそうですし、よく峠へ走りにも行きましたね。何から何まで教えてくれた車だったんですけど、ぱっと見がかわいらしいんですよ。目(ライト)が丸くて、愛らしさもあるけど、ちょっとだけ“やんちゃさ”もあるみたいな、そのバランスがすごくよかったですね」。

 初めての愛車から運転すること、走ることの面白さや楽しさ、その魅力を存分に教えてもらったと熱弁する。現在もその思い出や教えとともに車の魅力を発信し、堪能し続けている。

安東弘樹(あんどうひろき)1967年10月8日、神奈川県生まれ。1991年、株式会社東京放送(現TBSテレビ)にアナウンサーとして入社。45台の車をほとんどローンで購入して乗り継ぐ。現在所有する愛車は「スズキ ジムニー」「ロータス エリーゼ」「メルセデス・ベンツ Eクラスオールテレイン」の3台。2017年から日本カー・オブ・ザ・イヤーの選考委員を務める。YouTubeチャンネル「安東弘樹/no car, no life」で車の魅力を発信中。
猪俣創平

******************************