何日遅れの記事が有料?バカじゃないの?

とうとう、阿部典史の息子がレースに出ているのネ!93年に全日本500最後のチャンピオンになったんだっけ?ホンダは青木3兄弟に拘り、阿部典史や藤原克明に世界GP500のシートを与えなかった。94年鈴鹿では、最後転倒したがM・ドゥーハンを従えてトップを走った。その走りを見て、K・ロバーツがW・レイニーなきマルボロヤマハにスカウトした。あの時期、ホンダが圧倒的に強く、ノリックも何回か優勝しただけに終わり、GPを引退した。

日本で、仕事帰りか、原チャリで帰宅中にUターンのトラックに巻き込まれて亡くなったっけ?

阿部典史の息子なのに、何で加藤大治郎のゼッケン74で走ってるの?

阿部典史なら、全日本500デビュー年チャンピオンだったり、世界GPフルエントリーした時の17じゃないの?空きないなら、94年鈴鹿の56かな?

***********************************

「伝説的ライダー2世」 18歳・阿部真生騎が鈴鹿8耐に初参戦
村社拓信 有料記事
2022/8/17 07:00(最終更新 8/17 08:27)
 
保存
Twitter
 みんなのツイート
 Facebook
 はてなブックマーク

鈴鹿8耐を走る阿部真生騎選手=アケノスピード提供
 伝説的ライダーを父に持つ18歳の姿が「8耐」にあった。

 三重・鈴鹿サーキットで7日に決勝が開催されたオートバイの鈴鹿8時間耐久ロードレース新型コロナウイルスの影響で3年ぶりの開催となった「真夏の祭典」に初出場したのは、阿部真生騎(まいき)選手だ。

 8耐は、3人もしくは2人1組のライダーが交代しながら8時間の周回数を争う。レースは午前11時半にスタート。ヤマハエンジンを搭載するチーム、アケノスピードから参戦した阿部選手は午後0時半過ぎと午後3時半過ぎから約1時間ずつ走り、それぞれ26周で交代した。

 「1回目よりも2回目のほうが走り方が見えてきた。体を起こしながら(コーナーで)立ち上がるとか、乗り方も慣れてきた」と手応えを口にしつつ、「腰が痛くなった。トレーニングをしないといけない」とフィジカル面の課題も感じた。

 残り1時間を切ったところで同僚が転倒し、クラッシュ。45チーム中27位(成績は暫定)に終わり、「長いレースの中で転倒してしまうと、最後まで影響してしまう」とレースの怖さを再認識した。

 阿部選手の父典史さんは1993年に全日本ロードレース選手権の最高峰クラスを18歳で制し、世界選手権シリーズで通算3勝を挙げたライダーだ。…

***********************************