中学時代、軍艦プラモデルにハマッていた。日本海軍は大和や武蔵や長門や比叡や霧島や伊勢の戦艦と高雄や愛宕や那智や三隈や利根や筑摩の巡洋艦と秋月や霜月の駆逐艦と赤城や加賀や飛龍や蒼龍や翔鶴や瑞鶴や大鳳や信濃の空母、アメリカ海軍はアイオワやミズーリやサウスダコタの戦艦とヨークタウンやエンタープライズやホーネットやレキシントンやエセックスの空母、イギリス海軍はキングジョージⅤやプリンスオブウエールズやロドネイやネルソンの戦艦、そして、ドイツ海軍はビスマルクやテルピッツの戦艦までを買い集め、組み立てた。空母には艦載機も揃えた。何より、殆どウォーターライン1/700は500~1,000円で売っていた。他にも、原子力空母エンタープライズやフォークランド紛争で出撃したインビンシブルも買って作った。
ビスマルクはドイツ鉄血宰相、テルピッツは海軍提督の名前だ。日本が旧地名なのとは異なる。
当時、深夜テレビで「ビスマルクを撃沈せよ!」を見て、引かれた。ドイツ海軍は、艦船単独行動で通商破壊に使い、艦隊決戦はしなかった。だから、ニセの商船航行情報を流してビスマルクを釣り出したが、フッドを撃沈され、プリンスオブウエールズは被弾した挙げ句煙幕張って逃げた。その後、ビスマルクが不可解なイギリス向きの針路を取ったコトを、映画では空母艦載機の魚雷で舵をやられたためと描いていた。ビスマルクはロドネイらに実質包囲された状態で、撃ち合って沈められた。
テルピッツは存在を誇示しつつも出撃はなく、北欧のフィヨルドに隠され、北方の孤独な女王と呼ばれた。最後は大型爆撃機による、1t爆弾直撃でひっくり返ったとか。
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ドイツ最大の戦艦「ビスマルク」が竣工した日-1940.8.24 大和型の"1つ先輩"の運命は
8/24(水) 16:12 Yahoo!ニュース
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ドイツ復活を賭けた巨大戦艦
1940年のきょう竣工したドイツ戦艦「ビスマルク」(画像:アメリカ海軍)。
1940(昭和15)年の8月24日。ナチス・ドイツが建造した同国史上最大の戦艦「ビスマルク」が竣工しました。
【写真に収められた貴重な「ビスマルク」の姿】
全長250m、満載排水量約5万405トン、速力30.8ノット(57km/h)。同時期に日本の帝国海軍が建造した「大和」「武蔵」などと同じく、当時の技術の粋を詰め込んだ巨大戦艦として誕生しています。
建造開始は1936(昭和11)年。かつてドイツは第1次世界大戦で連合国に敗れ、ヴェルサイユ条約で軍備を大幅に縮小・制限されていました。しかし1933(昭和8)年にヒトラー率いるナチス(国民社会主義ドイツ労働者党)による全体主義体制が成立すると、ヴェルサイユ条約を一方的に破棄し、軍備拡張の一環でシャルンホルスト級戦艦(巡洋戦艦)の建造を開始。それに続く超ド級戦艦の1番艦として生まれたのがこの「ビスマルク」でした。
「ビスマルク」は対イギリス戦で脅威を見せつけます。正式な“デビュー戦”となった翌年5月24日のデンマーク海峡の海戦では、当時イギリス海軍の象徴的存在であった戦艦「フッド」と直接対峙。激しい砲撃の応酬ののち、「フッド」を撃沈することに成功します。さらに最新型の「プリンス・オブ・ウェールズ」にも砲撃を加え、艦橋を破壊する大損害を与えます。
イギリス海軍の出鼻をくじく戦果を挙げた「ビスマルク」ですが、その後、執拗な攻撃を受け続けます。空母「ヴィクトリアス」から発進した雷撃機による航空魚雷の攻撃を受けますが、かろうじて軽傷で逃げ切ります。しかし空母「アークロイヤル」も現れ、今度は数発が命中してしまいます。
駆逐艦からの魚雷攻撃も振り切った「ビスマルク」ですが、戦艦「ロドニー」「キング・ジョージV世」、さらに重巡洋艦「ノーフォーク」「ドーセットシャー」に囲まれ、万事休す。「フッド」の敵討ちとばかりにイギリス海軍の猛攻撃を受けて、ついに沈没しました。5月27日の昼前のことでした。
デビュー戦で「フッド」を沈めてからわずか3日のことでした。ドイツ戦艦の脅威を目の当たりにしたイギリス軍の、「絶対に生かして帰すまい」という執念が上回った結果だったといえるでしょう。
ちなみに、「ビスマルク」に乗っていて救助された猫は、その後イギリス軍の駆逐艦「コサック」と空母「アークロイヤル」の沈没も経験したものの、いずれも生還。そういった経緯から「不沈のサム」というあだ名がついたそうです。
乗りものニュース編集部
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