このバカ女子アナ、ナイチンゲールどういうヒトか、知ってるの?

フジテレビの女子アナだからか、早大だからか、ちゃんと勉強してないどころか、ナイチンゲールがどういうヒトかも知らないの?クリミヤの天使と称された看護婦だ。決して、今の運動選手タマの輿狙いのマネージャーに毛の生えたようなトレーナーなどとは違う!売名アピールのネタに使う意図はわかるが、気安く、歴史上の偉人とゴッチャにしないで欲しい。正直不快だ!ナイチンゲールに味を占めて、今に、オードリー・ヘプバーンやマザー・テレサを名乗るアホが出て来るんじゃないの?

早大のケガ人の中に、ソコまで美味しいヤツいなかったから、とりあえずフジテレビに入って、スポーツ選手にわかりやすくタマの輿狙いをするのでしょ!

フジテレビもホステス商法から、ココまで使うとは、堕ちたモノだと感じる。

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自己PRは“早稲田のナイチンゲール” フジ新人アナ松﨑涼佳23歳が競走部学生トレーナーから入社3カ月でスポーツ番組担当の夢をつかむまで
10/15(土) 17:11 Yahoo!ニュース
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フジテレビのスポーツニュース番組『S-PARK』のフィールドキャスターを務める松﨑涼佳アナウンサー。陸上競技に没頭した学生時代からアナウンサーを目指すまでを率直に語った photograph by Naoya Sanuki
 入社1年目にしてスポーツニュース番組『S-PARK』のフィールドキャスターとして活躍するフジテレビの松﨑涼佳アナウンサー(23歳)。その瑞々しい魅力とともに、体育会系“陸上ガール”という異色の経歴と、スポーツを愛する素顔に迫った。(全2回の前編/後編へ)

【この記事の写真】フジの新人アナ・松﨑涼佳23歳が早大競走部学生トレーナーからアナウンサーを目指すまでを率直に語った!

 秋晴れの神宮球場。「S-PARK」の番組ロケで「Number」佐貫直哉カメラマンの撮影風景取材に訪れた松﨑涼佳アナウンサーは、大きな瞳をくりくりと動かし興味深そうにカメラのレンズを覗き込んだ。

「そういえば私も学生の頃、アルバイトでいただいた初めてのお給料で一眼レフを買ったんですよ」

「Numberらしい写真ってどんな写真でしょうか?」

「空を綺麗に写すためにはどんな工夫をされていますか?」

いつでも走れるようにスニーカーで!
 カメラが回っていないところでも次から次へと質問を繰り出す。好奇心旺盛で快活なキャラクターは、スポーツ取材の現場にぴったりだ。番組のレポートでは冒頭、ダッシュしながら登場するのが“お約束”。普段から足元は女子アナらしいパンプスではなく、常にスニーカー履きだという。

「最初のロケの時に、名前を覚えてもらうためにもキャラに合った登場の仕方を、ということでスタッフの方が考えてくれたんです。陸上に10年間関わっていたこともあって、走って入ろうって。やってみたら“フォームが良い! ”と思いのほか好評で……。以来、いつでも走れるようにスニーカーを履いています!」

 生粋の“陸上ガール”だ。母親は日本体育大学の陸上部出身。100mや幅跳びの選手で、リレーで当時の学生記録を持っていた本格派だ。同学年にはマラソンで1992年バルセロナ五輪の銀メダリスト・有森裕子さんもいた。

スポーツ選手は、幼い頃から身近に感じていた
「種目が違ったので一緒に練習をしていたわけではなかったそうですが、私が2才くらいの時にセレモニーか何かで有森さんに花束を渡したこともあるみたいです。2013年に日体大箱根駅伝で優勝した時の別府健至監督も同級生だったりして、私にとってもスポーツを楽しんでいる方や元スポーツ選手というのは、幼いころから身近な存在に感じていました」

 日体大を卒業後、仕事や育児のため競技を離れていた母親だったが、子育てが一段落する頃に練習を再開。趣味として大会にも出るようになった。母の姿を見ていた松﨑アナウンサーも自然と同じ道を志し、中学から陸上部に入部した。

「練習をみてもらったり、地元の大会であれば、母は神奈川県陸上協会の審判として、私は競技者として一緒に試合に行くこともありました。小さいころはずっと母の背中を追っていたような気がします。陸上をやっている頃は母の現役時代の記録を抜いてみたいという目標もありましたし、大きくなってからは女性の先輩として、仕事や育児をしながら競技も楽しんでいる姿に憧れを持っていました」

 強豪校というわけではなかったが、中学、高校と陸上部で短距離走に没頭。一番心に残っているのは、神奈川県立厚木高校3年時の県選手権だという。

「200mで県7番になりました。6番までが関東大会に行けるということであと一歩でしたが、そもそも決勝まで残れたのは初めてだったんです。自分以上に、母やマネージャーの同級生が喜んで泣いてくれた姿を見て、何だかグッときました」

早稲田大学では競争部の学生トレーナーに
 競技としては高校で一区切りをつけ、大学は学問としてスポーツを掘り下げるために早稲田大学スポーツ科学部に入学。競技者ではなく学生トレーナーとして競走部(陸上部)に入った。

「母は日体大に進んで競技を続けてみたら、ということも勧めてくれたんです。でも私としては大学で4年間競技を続けても日本のトップレベルになれる実力はないと思っていたので、別の道でスポーツに関わることを選びました。生理学系のゼミを選んでいたので、学んだことを学生トレーナーとしてアウトプットする、という毎日。役割としては選手の安全管理や熱中症対策、怪我をしたときの一時処置や、怪我をした選手のサポートなどをしていました」

 競走部の同級生には、400mハードルの日本代表として東京五輪に出場した山内ひろむなどトップランナーのアスリートもいた。世界を目指すアスリートを間近でサポートできたことは大きな経験になった。

「最初はたとえ同世代でもトップアスリートは特別な人なんだと感じていましたが、実際に全国レベルの選手が集まる環境に身をおいたことで、選手たちの等身大の部分も知ることができました。オリンピックに出場する道を切り拓いていく姿を見て、ある意味世界の舞台も身近に感じましたし、陸上以外でも自分が何かにチャレンジする時に、初めから手が届かない世界だとあきらめてしまうような壁を作らなくなったように思います」

 大好きな部活を全うし、インターンから始めて一般企業への就職活動をする――。漠然と将来図を描き始めていた頃、運命を変える出来事が起こる。3年生の春を迎えると同時に世界中を襲ったコロナ禍だ。競走部の活動も停止となり、ステイホームの日々が続く。

キャッチフレーズは「早稲田のナイチンゲール
「急に時間ができたので、早めに就職活動を始めてみようと思ったんです。1学年上の先輩でNHKのアナウンサーになった方に、就活のリハーサル的な意味でアナウンサー受験も考えてみたら、と言われて……。それまではアナウンスの練習はもちろん、人前に出ることをした経験もなかった。コロナ禍がなかったらアナウンサーになるなんて考えていなかったかもしれません」

 就活中に、自己PRのためにつけたキャッチフレーズは「早稲田のナイチンゲール」。

「自己紹介では毎回最後に、“早稲田のナイチンゲールです”と言って締めていました(笑)。印象に残るキャッチフレーズを必死で考えましたね。大学でスポーツを学んで、アウトプットの場として部活をやっているというのは、女性アナウンサー志望者としては珍しかったので、ある意味武器としていた部分でもあります」

 絶対に女子アナになりたい! と長年目指してきた受験者も多いなか、短期間の準備で難関突破した松﨑アナウンサー。短距離走者らしく、入社後もわずか3カ月でスポーツ番組担当の夢をつかむことになる――。

〈後編に続く〉


(撮影=佐貫直哉)
(「Number Ex」佐藤春佳 = 文)

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