TBCビッグロードレースなら、86年では?

菅生TBCビッグロードレースを見るなら、86年ではない?83年を最後に引退したK・ロバーツの後、マルボロヤマハのエースとして84年と86年、オートバイ世界GPで500ccクラスを制したE・ローソンがゼッケン01をつけてエントリーした。ソコに、全日本500cc85年までV3達成し、86年世界GPの250ccにフルエントリー、最終戦イモラで優勝し、翌年は500ccステップアップ表明した平忠彦がゼッケン1をつけてエントリーした。他にも、ロバーツのラッキーストライクからR・マモラとM・ボルドウィンがエントリーしていた。

事実上、ローソン対平のレース。平はホームストレート前の最終シケインを抜き場にして順位を上げ、ローソンとのマッチレースになった。平がシケインで外から抜くと、1コーナー進入でローソンが抜く。終盤、ローソンが平の外からの抜きラインをブロック、それを最終ラップにシケインでインを突き、抜いた。

全日本最終戦鈴鹿ではW・ガードナーに勝ったのに続き、菅生でE・ローソンに勝った。

 

 

 

 

 

 

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もはや文化遺産ウェイン・レイニーがYZR500でスポーツランドSUGOを走った日【初DVD化第4弾 1984年編】
2022.11.17 18:00掲載 WEBヤングマシン
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レイニーが初めて日本でレース

 

皇帝・エディ先生が熱血時代を語る

ウィック・ビジュアル・ビューロウは、バイク専門クラウドファンディングサイト『2輪市場』にて、TBCビッグロードレースを初めてDVD化して10作品を発売する。第4弾は1984年編、海外から出場したライダーはエディ・ローソンウェイン・レイニーだ。

世界王者になったエディローソン、日本王者になった平忠彦

前年の伝説的なスペンサー×ロバーツの激闘を経て、ケニー・ロバーツが引退。1984年は2年目でヤマハのエースとなったエディ・ローソンがホンダの包囲網を打ち破って4勝、ヤマハに4年ぶりのタイトルのWGP500ccタイトルをもたらした。

1984年は、全日本ロードレースでも平忠彦が500ccタイトルを獲得(前年に続き2年連続)。平はデイトナ200でYZR700(OW69)を駆り、ケニー・ロバーツエディ・ローソンとともにアメリカのインターカラーで走行し、4位のローソンに次ぐ5位でチェッカーを受けた。このデイトナ遠征のため全日本開幕戦を走らなかったが、2戦目以降は徐々にポイントを稼いでチャンピオンを獲得した。この年に平はWGPデビューも果たし、オランダとベルギーでガードナーに次ぐ6位でチェッカーを受けている。

ウェイン・レイニーは、1983年にカワサキのライダーとしてAMAスーパーバイクのタイトルを獲得。1984年にはチーム・ロバーツのライダーとしてWGP250ccにフル参戦していた。そしてシーズンを終えて参戦する、このTBCビッグロードレースがウェイン・レイニーにとって日本での初レースであり、500ccのデビューレースともなった。

1984年のTBCビッグロードレースは、これらのGPライダーたちに対し、1982年の全日本500ccチャンピオンの水谷勝が4年ぶりの参戦、3万8000人の観衆の前でバトルを展開した。結果は2ヒートともローソンのパーフェクトウィン。国内外チャンピオンたちの走りをファンの目に焼き付けた。

TBCビッグロードレース初DVD化・第4弾は1984年編だ。当時の雰囲気そのままの映像をぜひお手元に。

―― エディ・ローソン

―― 平忠彦

―― ウェイン・レイニー

―― 水谷勝

国際格式レースが日本になかった時代に誕生したのがTBCビッグロードレース

1977年、TBC東北放送は開局25周年を記念し、スポーツランドSUGOにて特別なレースを開催した。当時の日本では国際格式レースがなく、海外のライダーを見ることができる唯一のレースとして誕生したビッグイベントは、その名をTBCビッグロードレースといった。1977年~1980年は毎年5月/10月の2回開催であったが、1981年より年1回の開催に変更された。

グランプリのシーズン終了後に開催されることにより、WGPのスーパースターも参戦できたことが特別なレースたるゆえん。特に1980年10月開催からは、それまでのF750カテゴリーからWGPと同じ500ccマシンでの開催となり、GPライダー&GPマシンの組み合わせがファンを熱狂させた。

そんなTBCビッグロードレースを、モトGP公式DVDの制作などで知られるウィック・ビジュアル・ビューロウが初めてDVD化して発売するのが本DVDシリーズだ。

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