タイパ、コスパ、期限、ビジネスの必要要素。

タイパやコスパや期限、芸術家に対する商売人の違いだと思えば良い。芸術家はとにかく自らが納得できるモノを作りたい。作品のデキ>>所要時間、制作費、期限だ。以前、葉加瀬太郎がプロデュースに於いて、小室哲哉との違いを問われ、「あちらはファクトリー(工場)、捨てるようなモノでも、作って出す。」と言ってた。たくさんのプロデュース仕事に対して、期限までにテキパキと作って、それぞれのオーダーに割り付ける。将に、アーティストではなく、ビジネスマンだ。

昔のベートーベンやショパンなど、貴族や富豪に全生活の面倒を見られていた。リクエストとして、曲を作り演奏する。期限もノルマも殆どない。貴族や富豪自身が主宰や出席するパーティーなどで演奏や発表するし、その時恥がないように制作する。そういうコトすら嫌って好きに制作したモーツァルトは、貧乏だった。

ホントの芸術家は死んでから有名になる。生きている内に有名になるのは商売人だ。今のミュージシャン、芸術家だと思ったコトはない。

ヒャダイン秋元康小室哲哉小林武史も、程度や考え方の違いこそあれ、ただの商売人だ。商売で成功したければ、期限と制作費の中でテキト~に売れるモノを作るコトしかない。タイパへの疲れ?カレは京大出身でアタマ良いからその矛盾に気付くが、音楽ビジネスに足を踏み入れた以上グチでしかない。

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ヒャダイン、タイパ重視に感じる「疲れ」 音楽活動でも影響を実感
12/20(火) 10:00 Yahoo!ニュース
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国語辞典などで知られる三省堂が発表した「今年の新語2022」の大賞に「タイパ」が選ばれた。「タイパ」とはタイムパフォーマンスの略で、費やした時間に対する満足度のこととされ、例えば「タイパ」を求めるために音楽のサビだけ聴いたり、動画を倍速で視聴したりする傾向があげられる。音楽クリエイターのヒャダインさんは、自身の音楽活動やSNSなどで「タイパ重視の時代を実感している」という。それでも「“愛おしい無駄”から得られる気づきもある」と語るヒャダインさんに、タイパ重視の世の中に対する考えを聞いた。(聞き手:荻上チキ/TBSラジオYahoo!ニュース Voice)

音楽もタイパ重視の時代に「でも、すぐに答えを求めるのはもったいない」
 
「最近、“愛おしい無駄”というのはいっぱいあるなと本当に思うんです」と語るヒャダインさん
――アーティストの楽曲の発表の場がCDリリースだけでなく、TikTokYouTubeなどさまざまな媒体に広がっています。このような変化によってヒャダインさんがメリットだと感じる点はありますか?

ヒャダイン: 今の時代、見たいMVがあればすぐ見られるし、聴きたい曲があればすぐ聴ける。昔だったらレコードやCDを買わないといけなかったし、MVも何かしらの専門チャンネルでないと見られませんでした。今はありえないぐらいのエンタメの量でいろんな選択肢も増えすぎて、正直ちょっと選びきれなくて辟易します。

ただ、ショート動画とかTikTokなどで、短時間で視聴することでエンタメの摂取量は増えますよね。しかもSNS側からどんどんコンテンツを提案してくれる。それはありがたいなと思います。ショート動画とかTikTokのメリットだと感じますね。

――逆にデメリットだなと思う部分はあるのでしょうか?

ヒャダイン: ありきたりなことかもしれませんが、印象に残りにくいっていうのがデメリットだと感じます。昔ほど一つひとつのコンテンツがちゃんと入ってこなくなったというか。消費もその分早くなる感じがします。ただ、その感覚が自分の老いによるものなのか、世の中の皆さんに共通しているものなのかはわかりません。

――TikTokやショート動画などの台頭で、短いサウンドでいかに印象付けるかということが、これまで以上に問われる傾向にあります。このような変化が音楽に与えている影響を実感されていますか?

ヒャダイン: もう感じざるを得ないですね。以前私が投稿していた「ニコニコ動画」でも、イントロが冗長だったり、サビまで時間があったりすると、コメント数が少なかったり、再生数が伸びなかったりしていたんです。でも、最初から起爆剤になるようなものをポンと置くと、いきなりバーンとコメントが盛り上がるんですよね。

自分の作品を振り返ってみると、イントロもなければサビ頭があったり、例えばももいろクローバーZの「行くぜっ!怪盗少女」のようにイントロがあったとしてもラップが入っていたりしています。指示がない限りしっかりイントロを聴かせるという曲作りはやらないかもしれないですね。もちろん伝えたい部分を抜きにしてバズやタイパのみに注視してしまったらスカスカの曲になってしまうので、そこは忘れないようにはしていますが。

――どうしてこうした「タイパ」重視の傾向が見られるようになったと思いますか?

ヒャダイン: やはりネット文化の影響が大きいと思います。ネットってすぐに答えが出るじゃないですか。例えば「中臣鎌足が何年に生まれたのか」とか調べたら5秒でわかります。インスタントに答えがわかることに慣れすぎているので、答えが先延ばしになることが我慢ならないのかなということは感じます。ファスト映画のようなものがでてきてしまったのもそういうことなんだと思います。

ただ、ネットが発達する前からも、長文を要約したり、オーディオで1.5倍速で聴いたりとか、そういった摂取の仕方というのはありましたよね。もともとそういう人たちって長いものが嫌いだったのかなとは思うんです。それで、短いものが出てきたから「やった!」となっているのかなと。

でも、もともと長文を読む能力があるのに短いものに慣れすぎて、新たな世代のデジタルネイティブの人たちの長文を読む能力を失わせているとしたら非常に問題だと思います。そういった部分が日常生活のあらゆるところに出てしまったらもったいない気がします。

何も目的がないことをしたくて、わざわざマニラに行きます
――「タイパ」重視の傾向に対して、ヒャダインさんご自身はどう思っていますか。

ヒャダイン: 最近、“愛おしい無駄”というのはいっぱいあるなと本当に思うんです。無駄な事案、無駄な文章とか、無駄なものって愛おしいところがいっぱいあるんですよね。わざわざ何時間もかけて見られるかどうかもわからないオーロラのために旅行するとか、何時間もかけて友達に会いに行ってすぐ帰るとか。そういう無駄なものって結構気づきがあって楽しいと思いますし、そこから摂取できる栄養があるんじゃないかなと思うんです。それが老害と言われたら返す言葉がないんですけど。

多分、タイパ重視の方がこの話を聞いたら、「無駄じゃん」「楽しくないじゃん」となると思うんですが、僕は全然無駄とは思わないです。結果主義は本当にもったいないと思っちゃいますね。

――ヒャダインさん自身が“愛おしい無駄”を実感した経験はあるのですか?

ヒャダイン: コロナの影響で全然海外に行けてなかったし、飛行機のマイレージも溜まっていたので、マイレージを使ってどこかに行こうと思って探していたらマニラが候補に出てきたんです。でも、僕、マニラに全然興味がないんですよ。知識もありません。だけど行くことにしました。

何か目的がないということをすごくしたくなったんですよね。「この目的のためにどうすればいいんだ」というのを最短距離で目指せみたいなことばかり考えている時代に、ちょっと疲れちゃって。何の目的もないところにわざわざ時間をかけて行こうという無駄の塊ですよね。別にそこで楽しくても楽しくなくても、何も吸収しなくてもいいやと思ってます。でも「この経験は多分死ぬ前に思い出すかもね」と思って、マニラに行ってきます。大事な「わざわざ」です。

――“わざわざ”手間のかかることをしようというのは、大事なことかもしれないですね。

ヒャダイン: 僕も結構せわしいタイプで、本来だったら一つの旅行で全部摂取してやろうと思うんです。でも、今は“摂取疲れ”があるので、今回は本当に流れるままにやってやろうと。

果たしてこの旅はどうなるんでしょうね。暇だったら現地でTwitterで「誰かご飯に行きませんか?」と呼びかけて、なんなら「ちょっと案内してもらってもいいですか?」みたいなことをしようかなと思っています。

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ヒャダイン
1980年大阪府生まれ。音楽クリエイター。本名:前山田 健一。3歳の時にピアノを始め、音楽キャリアをスタート。京都大学を卒業後、2007年に本格的な音楽活動を開始。ももいろクローバーZ、King&PrinceなどアイドルからJ-POP、アニメソング、ゲーム音楽など多方面への楽曲提供を精力的に行い、自身もタレントとして活動する。

文:姫野桂

(この動画記事は、TBSラジオ荻上チキ・Session」とYahoo! JAPANが共同で制作しました)

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