VWアウディーに気安く使われる"J"

VWアウディー、RRでもないFFゴルフの皮替グルマに"ビートル"という名前をつけたり、ポルシェには911GT2の皮替グルマに"935"という名前をつけたり、"911R"や"911T"や"911SC"など、昔の名前濫用商法を多用している。

近年、ランボルギーニにはシアンの皮替グルマに"カウンタック"という名前をつけたのが有名だが、それ以前にもっと不快だったのが、全くモータースポーツに関係ないアヴェンタドールに"SVJ"という名前を使った。ストリートモデルなら、"S"や"SV"までで良かったのだ。ただのミドシップ、RWDなら、よりモータースポーツに向くし、ディアブロにJ=JOTAと名付けた意味に近付いたろう。

しかし、この使い方、バカなモータージャーナリストのクチを使ってネジ曲げている。この場合の"J"或は"SVJ"、ランボルギーニにとってではない。VWアウディーにとって、単なる都合良い"客寄せワード"に過ぎない。

 

 

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「J」はランボルギーニにとって特別な文字! 伝説の「J=イオタ」から続くホットすぎるモデルたち
2023.01.02 18:32掲載 WEB CARTOP 3
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この記事をまとめると

■ボブ・ウォレスによってたった1台が製作されたランボルギーニ・イオタ

全部知ってたら衝撃のクルママニア! 十二支の動物に絡んだクルマを12台見つけてみた

■イオタは売却後に事故で失われ、ランボルギーニでは伝説のクルマとなっている

■イオタを意味する「J」の文字が与えられたランボルギーニは特別なモデルとなっている

アルファベットの「J」を意味する「イオタ」

ランボルギーニのカスタマーやファンにとって、「J」=「イオタ」の称号は、特別な響きを持つものであり、またその歴史を振り返ればミステリアスな存在ともいえるのだろう。そもそもランボルギーニでイオタと呼ばれるモデルが正式に製作された記録はなく、それは同社のテストドライバーであり、またメカニックだったボブ・ウォレスが、就業時間が終わった後に、自分自身の趣味として何人かのスタッフの助けを得ながら製作したモデルにすぎなかった。

のちに1970年に販売されてしまうこのモデルに与えられたイオタの名は、その製作が始まった1969年当時のプロトタイプスポーツカーレースの車両規定「J項」を意味するものだった。ウォレスはそれに沿ったモデルを製作することでランボルギーニにもモータースポーツ参戦の道が開けるのではないかと期待するのと同時に、当時生産されていたミウラのさらなる進化を探っていたのだった。

だが、ミラノに在住するあるカスタマーの手に渡ってから、何人かの手を経たイオタの生涯は短かった。1971年4月、ミラノ近郊のブレシアでまだ開通前だった高速道路でテストドライブを行っていたイオタは空中へと舞い上がり横転。車体は全焼して修理不能な状況に陥ってしまったのだ。その話題は瞬く間にランボルギーニのカスタマーの耳に届き、その多くはイオタのレプリカを製作することを依頼した。そしてここから全貌はいまだ闇に包まれているイオタレプリカが生み出されていくことになるのだ。

今回のテーマは、このイオタレプリカそのものではなく、イオタ(J)という称号が、その後どれだけランボルギーニによって大切に扱われてきたかという話だ。

実際にイオタの名が久々に表舞台に復活するのは1990年代を迎えてからになる。日本のJGTCシリーズに参戦するために、ランボルギーニが、ランボルギーニ・エンジニアリング社との技術協力のもとに製作した3台の「ディアブロ・イオタ」がそれで、最初はディアブロ・コルサと呼ばれていたこれらのモデルは、最初の2台は純粋なコンペティションモデルとして、そして最後の1台はロードモデルとして製作されていたのが特徴だった。

1号車は当初の計画どおり、1995年のJGTCに参戦を果たす。メカニズム的には吸気効率を最適化させるためにエアインテーク長を可変させるマルチ・モード・コントロールの採用や、潤滑方式のドライサンプ化。翌1996年シーズンにはプッシュロッド方式の新型サスペンションも採用されるに至った。

一方ル・マン24時間参戦を目指していた2号車は、残念ながらその計画がキャンセルされてしまう。ロードモデルとして製作された3号車は、その基本的なメカニズムの構成は、ほかのコンペティション仕様に共通。

インテリアはロードユースを意識して、スパルタンななかにも機能性と快適性を意識したものに仕上げられていた。スパルコ製のレーシングバケットシートを左右に、そしてアルカンターラによる内装の演出。ルーフ上のエアインテークやボンネットのアウトレットなど、ロードバージョンとはいえ、その姿はイオタの名に相応しいコンペティティブなものだ。

「J」の文字が与えられたランボルギーニは特別なモデル

このディアブロ・イオタの存在を強く意識したのだろうか。当時ランボルギーニの創立30周年を記念して150台が限定生産されていたディアブロSEの最後の20台ほどは、ディアブロの頭脳ともいえるLIE(ランボルギーニ・インテリジェンス・エレクトリック)をリプログラミングし、ルーフ後端部に左右一対のエアインテークを設けるなどのイオタキットを装着した「SEイオタ」(別名SEコルサとも呼ばれる)がカスタマーのリクエストによって誕生する。

ホワイトのスピードメーターは400km/hがフルスケール。それはまさにイオタの精神を見た瞬間だった。

ディアブロの後継車として2001年に発表されたムルシエラゴでは、残念ながらイオタの名を掲げるモデルは誕生しなかったが、続く2011年デビューのアヴェンタドールには、ランボルギーニは積極的にJの称号を用いている。

まず見る者を驚かせたのは、2012年に発表されたワンオフのオープンモデル、「アヴェンタドールJ」。ルーフはおろか、ウインドウスクリーンも必要最小限なコンパクトなデザインとされ、ベースはアヴェンタドールLP700-4とされるものの、その詳細なスペックは一切明らかにされていない、イオタと同様にミステリアスなワンオフカーだ。

2018年には軽量高性能をセールスポイントとする1700台の限定車「アヴェンタドールLP770-4 SVJ」が誕生する。900台のクーペと、1年遅れで800台のロードスターが生産されたこのモデルは、ミウラの時代から使用されてきたSV(スーパー・ヴェローチェ)とJのダブルネームという、まさに贅沢の極みともいえるネーミングを得た一台。

参考までにこのLP770-4 SVJにはスタンダードモデルのほかにランボルギーニの創立年、1963年にちなんで63台が限定生産される「SVJ63」も用意されていた。

ランボルギーニにとって、いかに「J」の文字が特別なものであるか、お分かりいただけただろうか。

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