芸能マスコミ、見てみぬ振りが今更、性加害騒ぎ!

北公次事件、一部マスコミが扱っただけで、殆どの芸能マスコミはジャニーズに忖度して扱わなかった。80年代終盤のコトだ。本来、警察の立入やキチンとした捜査が行われていたら、M・ジャクソン以上に裁かれていたハズ。

しかし、警察と芸能マスコミ、全てをウヤムヤに葬った。告発した北公次以外、田原俊彦は局部スミ塗画像が出た。田原俊彦はジャニーズを出た。田原俊彦は結婚&娘誕生の過熱取材クギ刺記者会見した時、都合良い編集ツギハギだらけの放送で、田原俊彦を葬った。

当時は沖雅也の自殺で日陰マネージャーとの関係も取り沙汰され、基本、ジャニー喜多川も告発されそうな相手、ジャニーズの運営に支障出そうな相手には手を出してないハズ。

基本、地方から出て来て、身寄りないとか、家出で家族と疎遠とか、上手く見定めて相手を選んでいたのだろう。

メリー&ジュリーが知らないハズはない。だが、光の存在、ジャニーズ稼ぎ頭たるグループのタレントらには聞こえないトコでされていたコトだ。大抵の芸能事務所の枕営業要員ら同様の取り扱いだろう。

いっそ、警察が全芸能事務所にガサ入れに入れば良いし、枕営業などは国税が裏ガネ調査のついでで二重帳簿などと隠されているハズだ。

 

 

 

 

 

 

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北公次は性被害とアイドルからの凋落で壊れていった…ジャニー喜多川氏からは花輪も届かず
6/4(日) 9:06 Yahoo!ニュース
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北公次(C)日刊ゲンダイ
 ジャニーズ事務所の草創期、1960年代に人気絶頂だったグループといえば67年に結成されたフォーリーブス北公次江木俊夫、おりも政夫、青山孝史。2009年に青山、12年に北が亡くなったが、青山の葬儀の際、北がこう呟いた。

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「花輪のひとつぐらい贈ってくれてもいいのに」

 北の死去後、「北公次はこうして逝った」を連載したが、これが書き出しだった。

 フォーリーブスが解散したのは78年、ジャニーズに残ったのはおりもだけで、北はグループ結成前からのジャニーズ事務所の暴露本「光GENJIへ」などを出し、ジャニー喜多川とも疎遠になっていたが、事務所を支えたメンバーへのねぎらいがないことに「冷たい」と悔しさをにじませた。

 そして12年に北が肝臓がんで亡くなる。その直前に死期を察した北はジャニー喜多川メリー喜多川に向けメッセージをつづった。

「本当に本当にありがとうございました そして最後にどうしても言わせて頂けるなら ジャニーさん、メリーさん ありがとうございました」

 青山の葬儀にも立ち会った友人は亡くなった北を思い、「ジャニーさんも花輪のひとつぐらい出してくれたら、コーちゃんは喜んだろうに。彼も浮かばれない」と語った。

 中学を卒業し、和歌山から芸能界に憧れて上京した美少年は東京・四谷のお茶漬け屋の2階に住み込んだ。ここにジャニーさんが通うようになる。性加害の根っこ。「光GENJIへ」で「おそらくジャニーズ事務所のなかでは今もきっとこれと同じことが行われているだろう」と書いた。

 それでも北は最後の最後にジャニーさんを慕う気持ちを伝えたかったということだろう。

 ジャニーズ事務所を離れる前から耐え切れずに北は覚醒剤に手を染めた。貯金魔だったはずが解散した時には銀行の口座に1円も残っていなかったという。性被害、アイドルからの凋落の中ですさんでいった北。それでも最後のよりどころがジャニーさん。

 そろそろそんな呪縛からジャニーズも、だんまりを続けたメディアも解き放たれてもいい時ではないのか。話は飛躍するが、性加害には向き合わず、LGBTQ+に必死になっているメディアを見ていると、泥棒はダメとわかっていて、泥棒にも人権があるみたいな話をしている人たちとしか思えない。

(峯田淳/日刊ゲンダイ

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