キチンと量産鑑みないクルマの末路!

元々、クルマに限らず、料理など何でも原価がある。ワンオフや量産性悪いモノやサービスは高く、共用や量産性高いモノは安くデキる。チェーン店は全体管理の採算があり、各店舗には各店舗の採算がある。ラーメンやうどんやそばやカレー店など、本来単独店舗運営なら安かった店が、チェーン化したらバカ高くなった。ソレは売れない地域や維持管理費高くつく地域や要因を抱えるコトで、原価の分母だけでなく分子が増えるからだ。

クルマの場合、量産に向く構造材料を使っているか否かが、根本的な分かれ道になる。その次に、製造工法だ。外注や限定作業混ざると分母次第で高くなる。実のところ、ワンオフが高品質とは限らない。作業工場の作業員の意識が低ければ、如何に設計者計画者の意識が高くても、出来上がりは粗悪品になってしまう。イタリア車やアメリカ車見れば、わかるだろう?イヤ、今の日本自動車メーカーや部品ユニットメーカーの残存工場だって、無能経営者達の度重なるリストラで大した技術スキルは残ってないかも知れない。バブル期に導入したスゴい機械も、使う人間の質の低下により有効に機能しなくなる。ヒトの手作業が持て囃される背景って、意外につまんないコトだ。マツダRX500やニッサンID4は、そうしたメーカーの所業による。

スゴく残念に思うのは、童夢零(ゼロ)だ。この規模の会社なら、適切な機能・コスト・品質の製品を、適切な依頼先選択により調達でき、適切な加工組付により仕上げるコトがデキるのではないかと期待していた。

しかし、デキなかった。

デキていたら、日本発のスーパーカーがクルマの歴史を塗り替えたかも知れなかった。

スゴく惜しまれるクルマだった。

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東京モーターショーに登場した幻の国産スポーツカー5選】市販化が熱望された「童夢‐零」「MID4」「RX500」を現在見学できる場所は?
10/27(金) 7:11 Yahoo!ニュース
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高い評価を受けていたにもかかわらず市販化されなかった幻のモデルたち
 
童夢-零のフロントビュー。平面的でのっぺりした印象のノーズ上面カウルだが、当時としては珍しく風洞実験を重ねた結果、空気抵抗は小さく収まっているとも伝えられている
これまで毎年のように、数多くのクルマが誕生してきました。記録的に販売台数を伸ばしてモデルチェンジを繰り返し、長寿モデルとなったクルマもあれば、反対に高い評価を受けながらも販売台数を伸ばすことなく1代限りで姿を消したモデルもありました。そうした販売モデルとは別に、1台だけ作られたクルマ、私たちがいくら欲しいと思っていても手に入れることができない、言わば「幻のクルマ」も少なくありませんでした。今回は、そんな記憶に残る「幻のクルマ」を振り返ってみることにします。

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モーターショーには数多くのコンセプトカーが登場していた
2023年からジャパン・モビリティ・ショーへと名を変えた東京モーターショー(TMS)には毎回のように、数多くのコンセプトモデルが出展されてきました。その中には現実味の薄い、まさにショーのために誕生したコンセプトモデルもあれば、将来的な市販を目指したモデルも少なくありませんでした。

そんなコンセプトモデルの中で印象に残った1台が、1970年の第17回東京モーターショーに出展されていたマツダRX500」でした。同年のTMSにはトヨタと日産、国内ビッグ2からトヨタ「EX7」や日産「270X」といったミッドシップのコンセプトカーが出展されていましたが、2ローターのロータリー・エンジン(RE)をミッドシップに搭載したRX500の方が随分と現実的でした。

と言うのもライバル(?)が、内外装ともに超未来的なデザインだったのに対して、RX500は、鋼管スペースフレームだったことを別にすれば、スタイリングもインテリアも、随分現実的なものに仕上がっていましたし、実験車という役割からカウルワークには各種のプラスチックを使用するなど先行開発車としての「実務」を担当しながらも、同時に当時のマツダが進めていたREのフルラインナップ化についてもフラッグシップという位置づけでもあり、販売に向けては多くの期待がよせられていました。

カニズムの概略ですが、先に触れたように鋼管スペースフレームのミッドシップに「カペラ」と同じ573cc×2ローターの12Aエンジンを搭載し、サスペンションは前後ともにパイプアームを組み合わせたダブルウィッシュボーン式と、当時のレーシングカーに倣ったパッケージとなっていました。ボディのアウターパネルは樹脂製で、左右のドアはフロントのバルクヘッド上部とフロントウインドウ上部の2カ所にヒンジを持つバタフライドア、そしてヘッドライトはリトラクタブル式で、ミッドエンジンと合わせてスーパーカーの「三種の神器」を全て備えていたことになります。

3リッターV6エンジンをミッドに搭載した4WDのスーパースポーツ
そんなRX500以上に現実的だったコンセプトカーが、第27回となる1987年のTMSに出展されていた日産の「MID4-II」。日産が研究開発を進めているさまざまな新技術を盛り込んだ実験車でしたが、「II」というからにはもちろん「I」もありました。こちらは1985年のフランクフルトショーでお披露目されています。両車は、エンジンをミッドに搭載した4輪駆動という基本パッケージは共通していました。しかしIは日産が当時、主にサファリラリーにスポット参戦していた世界ラリー選手権WRC)の最上級カテゴリーとして企画が進められていたグループSへの参戦を期して開発されたのに対し、IIはIの反響が大きかったことで、実際にスーパースポーツとして市販すべく開発された、という違いもあり、スタイルも含めて大変更が施されていました。

カニズム的に見ていくと、Iでは前後ストラット式だったサスペンションはフロントがダブルウィッシュボーンに、リアもマルチリンク式へと変更され、搭載するエンジンも3L V6ツインカム(V6なので4カムシャフト)のVG30DEからIIではツインターボ武装したVG30DETTとなり、搭載方向も横置きから縦置きにコンバートしています。前後を逆に搭載し、プロペラシャフトからセンターデフを介して前後輪を駆動するレイアウトとなり、エンジンの出力は230psから330psにパワーアップ。スタイリングも一新され、スポーツ・クーペからミッドエンジンをアピールするスーパースポーツに変身していました。

市販化に向けた準備が進んでいた
さらによりリアリティの高かったコンセプトカーとして、いっそう期待の高かったモデルが1970年のTMSに出展されたいすゞの「ベレットMX1600」でした。その前年、1969年のTMSに「ベレット1600MX」の名で出展されていたモデルの後継で、より一層市販モデルとしての佇まいを見せていました。

1969年の1600MXはトリノに本拠を構えるカロッツェリア・ギアがデザインとボディ架装を担当し、日本から送られた箱型断面のサイドシルとバルクヘッドで構成されたシャシーにスタイリッシュなボディを構築しています。ただしスタイリッシュではあったものの、当時の国内では少し進み過ぎたデザインとなっていました。

この1600MXをベースに開発されて1970年のTMSでお披露目されたMX1600は、リトラクタブル式のヘッドライトを固定式の4灯式ヘッドライトに変更し、リアの大きなガラスウインドウをベネシャンブラインドに替え、さらにボディパネルをスチールパネルからFRPカウルに変更。いずれも軽量化には大きく寄与していました。エンジンは、「117クーペ」と共通の1.6L直列4気筒ツインカムで最高出力は140ps。それをミッドシップに搭載するシャシーは、基本的にレーシングカー(グループ6のレーシング・スポーツ)のいすゞ「ベレットR6クーペ」と共用していてフロントサスペンションもR6と同様のダブルウィッシュボーン式でしたが、リアサスペンションはストラット式に交換され、市販モデルに向けての準備が進んでいることが窺われました。

国内屈指のコンストラクター童夢が手がけた2台のスポーツカー
これは既存の自動車メーカーではなく、レーシングカーの製作なども手がけるコンストラクター(レーシングカー製作会社)で、京都に本拠を構える童夢が手がけたモデルですが、1978年のジュネーブショーでお披露目された「童夢-零」も忘れられない1台でした。

林みのるさんが立ち上げた童夢は、国内屈指のコンストラクターとしてル・マン・カーやF1マシンなど数々のレーシングマシンを生み出してきましたが、その第一歩となったモデルがミッドシップ・スポーツカーの童夢-零でした。

カニズム的にはフレームにボディカウルを組み付けるパッケージでしたが、レーシングカーに多く見られる鋼管で組んだスペースフレームではなく鋼板を溶接してくみ上げたフレームを採用していました。これは将来的にアルミハニカムを使ったフレームへの発展を考えてのことだったようです。このフレームに組み付けるサスペンションは前後ともにダブルウィッシュボーン式で、コイル/ダンパー・ユニットは前後ともにアウトボード式。フロントは一般的でしたがリアはアップライトのトップにユニットのボトムを組み付ける特徴的なレイアウトとなっていました。

搭載されたエンジンは日産のL28型で、公称された最高出力は170psでしたが、排気ガス浄化デバイスが組み付けられていて実効出力はもう少し低かったと思われます。しかしメーカーとのコネクションの無い、新興のコンストラクターにとってL28は、最も手に入れやすかった「高性能エンジン」だったことから、こうした選択となったようです。童夢としてはナンバー取得を考えていたようですが、運輸省(現・国土交通省)の対応が厳しく、結局はナンバー取得を諦めざるを得なくなったようです。

F1用エンジンをベースにした童夢の新たなスーパーカー
そんな童夢ですが、零の発表から11年後の1989年に、新たなモデルを発表することになりました。同年のTMS、富士重工(現SUBARU)のブースでお披露目された「ジオット・キャスピタ」です。ジオットというのは京都の服飾メーカー、ワコールが出資してできた会社でプロジェクトのプロデュースを担当し、実際の設計・開発は童夢が設立したジオット・デザインが担当する格好で進められました。

富士重工のブースでお披露目されたのは、搭載するエンジンが、スバルがイタリアのモトーリ・モデルニとF1用に共同開発した3.5Lフラット12ツインカム(フラット12だから4カム)60バルブだったため。そのパッケージングは最新のスーパースポーツカーの「定義」に則っていて、カーボンファイバー(CFRP)で成形されたボディ/モノコックにハイパワーなミッドエンジンを搭載するというもの。F1用がベースでロードゴーイング用にチューンし直されていましたが、それでも公称出力は450psと十分なものがありました。

CFRP製のモノコックに組み付けられるサスペンションは、前後ともにダブルウィッシュボーン式でプッシュロッドを使ってコイル/ダンパー・ユニットを作動させるインボード式となっています。搭載するエンジンですが、1号機は前述したようにスバル-モトーリ・モデルニ製のフラット12を搭載していましたが、プロジェクトから富士重工が抜けたのち、2号機では英国のレーシングエンジンビルダーであるエンジン・デベッロップメント社、通称「ジャッド」のGV型3.5L V10ツインカム(V10だから4カム)に換装されています。こちらもロードゴーイング用にチューンし直され最高出力は575psと公称されています。

市販されることなかった幻のクルマにもミュージアムで会える
今回紹介した5台(関連を含めて7台)は、いずれも期待は高かったものの、市販されることなく現在に至っています。そのうち、マツダRX500はレストアされて広島市にあるヌマジ交通ミュージアムに走行可能な状態で収蔵され、時に触れて展示されています。日産MID4-Iは実際の製作を手がけた高田工業に保管され、同MID4-IIは神奈川県座間市にある日産ヘリテージコレクションに収蔵展示されています。

また童夢-零とジオット・キャスピタの2号機は米原市にある童夢が収蔵し、本社ロビーなどで時おり展示しています。またジオット・キャスピタの1号機は石川県小松市にある日本自動車博物館に収蔵展示されています。いすゞ ベレットMX1600に関しては現存するとの情報もあり、こちらも分かり次第紹介したいと思いますが、「R1」オーナーとして個人的には2003年のTMSに出展されたスバル「R1e」が気になるところです。

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