NHK紅白、伊藤蘭、趣里や水谷豊と共演ナシ!

NHK紅白歌合戦伊藤蘭で当初報じられていた通り、娘趣里や夫水谷豊との共演は一切なく、淡々と3曲歌って終わった。

夫水谷豊も、確か紅白には出ていたハズ。それなのに、呼ばないのか?仮に水谷豊はムリでも、現在朝ドラ「ブギウギ」ヒロインを演じている娘趣里のスケジュールすら押さえるコトがデキないのか?

てっきり、ニセ情報流して、サプライズで出すと期待したのが、何のコトもなかった。

「年下の男の子」「ハートのエースが出てこない」「春一番」を歌ったっけ。

何の演出もなく、単に歌っただけだ。

 

 

 

 

 

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デビュー50周年の伊藤蘭が明かす「キャンディーズ」の“衣装へのこだわり”「ミニスカートが多いように思われますが…」
2023/12/31(日) 19:12 Yahoo!ニュース
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伊藤蘭さん ©撮影/前田晃
〈《紅白出場》50周年の「キャンディーズ伊藤蘭が語る“グループ誕生秘話”「とても可愛らしくて、目立つ存在でした」〉 から続く

【グラビア】美しすぎる…50周年を迎えた伊藤蘭さんの写真をすべて見る

 2023年9月1日にデビュー50周年を迎えた伊藤蘭さん。今年12月には、子供時代や、キャンディーズとしてデビューしてから現在に至るまでを振り返った初エッセイ 『Over the Moon わたしの人生の小さな物語』 (扶桑社)を上梓した。ここでは、同書より一部を抜粋。人気絶頂期の「キャンディーズ」は、ヘアメイクや衣装にどのようなこだわりを持っていたのだろうか。(全2回の2回目/ 1回目 から続く)

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ヘアもメイクも自分たち
 ほかのグループのことはよくわかりませんが、わたしたちの頃は、衣装さんに作ってもらった衣装ケースにその日着る衣装を数点入れ、ケースの下部には靴を収納。片手にメイクボックスを持ち、さらに私物を入れたショルダーバッグを肩からかけて、左右に揺れながら仕事場まで通っていました。

 ヘアもメイクもプロの方にお世話になることはなく、テレビ出演も雑誌の撮影も、すべて自分たちで行うのが当たり前。髪の毛は、くるくるドライヤーがあったのでそれを駆使してセットし、メイクは見よう見まねで始めて、後年はずいぶんと上手になっていました。着物を着られる演歌の方などは、ヘアメイクさんを連れて作り込むようなセットをしていましたが、わたしたちは最初からナチュラルなスタイルだったので、なんとかなっていたのでしょう。

 わたしは15、16歳の頃から、なりたい髪型をイラストで描き、これもいいな、あれもいいな、と夢を膨らませていました。当時はウルフカットが流行っていたこともあり、「段カットのイメージなのだけど、前髪にはさざ波を入れてほしい。空気がはらんだようなさざ波を」なんて、独特の注文をつけていたのを思い出します。

キャンディーズらしさ
 衣装は、専門に作ってくださる方がいて、歌う曲が決まると「これがいいですね」「ではこんな感じで」などと打ち合わせをしながら自分たちで決めていきます。初めてのアルバムの収録曲に「キャンディーズ」という歌があるのですが、そのなかに「ロマンチストな私ラン!」「ちょっとボーイッシュなミキ!」「ちょっぴりセンチなスー!」と、3人のキャラクターを描写したセリフがあって、そのキャラクターに当てはめて作った衣装もあります。

 ミニスカートが多いように思われますが、「年下の男の子」のときはロングスカートでしたし、歌によってはロマンティックなワンピース、白いドレスなど、意外とバラエティ豊富です。

 曲や衣装のイメージから、メイクの方針を3人で決めることもありました。「今回はパープルのシャドウを入れてみようか」「ちょっと深めのメイクにして、口紅は赤系ね」とか。

 3人のなかでは、「キャンディーズはこうよね?」というイメージが少しずつできあがっていった気がします。ラストコンサートのときも「キャンディーズらしいのはこっちじゃない?」と言いながら衣装を決めました。大胆さもあるけれど、どこか可愛らしいイメージ。わたしたちにとっても、おそらくファンの方たちにとってもそうだったと思います。

「信頼してくれた」大人たち
 体のラインが出るピッタリしたものや、下にペチコートを着用してギリギリまで短くしたスカートなどもありますが、歌を表現するための衣装なのでスカートが短くても、肩が出ていてもそれほど気になりません。ただ、似たようなデザインでも、水着だけはただひたすら恥ずかしくて。

 年に1回、芸能人水泳大会というイベントのあるときは、なんとなく気が重くなりました。水着で競技するのだけは許してくださいとお願いして、それだけはやらずにすみましたが、イベント冒頭の選手宣誓だけはやってほしい、歌だけは歌ってほしいと交渉されて、割りきって参加していましたね。

 衣装についてもヘアメイクについてもいろいろ思い出はありますが、すべてわたしたちに任されていたのは今思い返しても嬉しかったです。人前に立つ者として「信頼してくれた」という表現になるのでしょうか。「そんなメイクで出るの?」とか、「その髪型変えなさい」などと大人から言われたことは一度もなく、髪の毛を染めたり、長さを変えるのも自由。なりたいイメージを自分たちで作ることができました。

 自分たちの責任ということも含めて信頼してくれている。それがわかっていたから、わたしたちも続けていられたのだと思います。
伊藤 蘭/Webオリジナル(外部転載)
 
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