ifBMW M1

もし、BMWがM1開発に当たって、V12エンジンをランボルギーニに委ねず、最初から自社開発する方向でやっていたら、どうなっていただろうか?

BMWは第2次世界大戦中のドイツ戦闘機用のエンジン供給をしていたり、F3・F2や日本のGCへの直列4気筒、そして3.0などの直列6気筒と、直列エンジンを得意として来た。本来、直列4気筒を得意としていればV型8気筒へ、直列6人を得意としていればV型12気筒へ移行できる。当初から76年グループ5参加を目論む上では時間がなくM1開発を開始した時点で、手っ取り早くイタリアのノウハウ・知名度を活かして、デザインをジウジアーロのイタルデザイン、エンジンにランボルギーニのノウハウを活かして、時間を短縮する狙いだったろう。しかし、この時期からランボルギーニは傾き、レース不参加のフルッチオの意思もあり、ピッザリーニやダラーラやスタンツァーニらは相次いで離脱、カネもヒトもいなくなりつつあった。BMWランボルギーニに出した資金はチータ開発に流用される有様ですらあった。76年はポルシェに対して、3.0、3.2CSLターボでパワー的に対抗し、NAのCSLでポルシェの落としたレースを拾い、リードすらしたが、遂に間に合わなかった。

元々、第2次世界大戦で、イタリアはパートナーとするにはアテにならないコトを悟っていなかったのだろうか?BMW上層部は戦争を知り、学んだ世代だったハズ。しかし、活かせず時間とカネのムダですらあった。ただでさえ、文化や国民性の異なる異国間の提携は、ズレを解消できずに不調になりがちだ。ジウジアーロデザインのシャシーはできたのに、諦め直列6気筒を積む結論を出すコトすら遅れた。アテにしたために、ムダにした時間がもったいなかったと思う。

イタリア人は沖縄人みたいなモノで、設定期日ギリギリか守れない。一方、ドイツ人はキッチリやるどころか、ソレ以上に成果を出す。最初から、全てを自社でやるつもりなら、時間がなかったとしてもBMWは76年すらミドシップ直列6気筒ターボ・NAの直列6気筒で、グループ4・グループ5に並べ、グループ6にすら投入する余力もデキたのではないだろうか?上手く行けば、自社開発のV型12気筒搭載車両を並べる可能性もあったのではないか?ドライバーラインナップはポルシェよりも良かったのだ。そうなっていれば、77年以降のグループ5がポルシェの独壇場にはならなかったろうし、ドイツメーカー同士とはいえ、盛り上がったのではないだろうか?

また、BMWが市販車両としてE32以降を投入する時期も早まったのではないだろうか?