北京五輪、星野の失敗とは?

過去、五輪の野球にプロが参加して、監督がケアしていたのは、どのポジションの選手を召集し、どう起用するか。一方、起用した選手がちゃんと活躍できるかだった。アマ監督は投手と捕手、一塁と三塁メインで選考した。投手と捕手はまあまあだったが、一塁松中と三塁中村紀はヨコの動きが悪く、二塁手と遊撃手に守備の負担が増え、勝てなかった。しかも、野村らプロ選手は国際式の高めストライクゾーンに対応できず、見逃し三振を繰り返した。

それが、第1回WBCを制覇し、北京五輪野球はプロのフル参加OKになり、星野・田淵・山本の六大学同期首脳に委ねられた。選手としてそれほどでもなかった星野は明大島岡監督譲りの精神論者、田淵と山本は選手として優れていたが参謀としてはアタマが足りなかった。最悪の3首脳だった。それを補佐するデータ収集分析ブレーンも不在だった。他国選手達のデータ収集されず、各選手が右打ち左打ちか足が速いか遅いか各投手が右投げか左投げか上投げか横投げか下投げかすら調べてなかった。星野には、監督として中日と阪神で日本一になれなかった代わりに、北京五輪で金を獲り巨人監督の青写真がデキていて、100%精神論だけで勝ちに行った。

選手編成は、中日と阪神から主軸を据えた。ソコからチームを意思統一し運営を目論んだが、まずダルビッシュが売名妻を同じホテルに呼んでチーム内に亀裂を生んだ。まずエースがマウンド以前にダメだった。そして、広島から阪神に移籍したばかりの新井がNPB前半戦で息切れ、下降状態にあった。そんなチーム状態を星野・田淵・山本は直視せず、ダル・岩瀬・新井を軸に実戦に入った。

案の定、ダルビッシュや新井や岩瀬はダメだったし、調べてなかった韓国キム・ガンヒョンにやられ、メダルすら取れなかった。

帰国したら、荒木と岩瀬を粗末に扱われたコトで、中日から以後の協力を得られなくなった。以後、新井は阪神でも大して働けず、また広島に戻る破目になった。

星野は第2回WBC監督の芽を探ったが、イチロー以下の拒否反応は強く、消去法で(日本シリーズで圧倒的戦力差があったのに、西武渡辺久に負けた)原になった。

星野は負け惜しみ記者会見をやってた。

以後、何とか楽天監督になり、マー君と則本と美馬のおかげで、唯一の日本一になれたが、それも巨人原の失策でしかない。

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稲葉篤紀監督」は戦訓にできるか…屈辱にまみれた“北京五輪の悲劇”
7/22(木) 17:00 Yahoo!ニュース
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「季節外れの桜を咲かそう」
 
北京五輪で韓国に勝ち越し2ラン本塁打を打たれ、沈む星野仙一監督(右端)
 7月23日開幕の東京五輪では、2008年の北京大会以来、13年ぶりに野球が復活する。前回は阪神のオーナー付SDだった星野仙一監督が侍ジャパンを指揮した。本番直前の08年7月、星野監督は、代表24選手全員に「北京の夏に季節外れの桜を咲かそう」と書いた手紙を送り、金メダルへの熱い思いをアピールした。

 だが、真夏の北京で桜が咲くことはなかった。

 中日、阪神監督時代に3度指揮をとった日本シリーズでいずれも敗れた星野監督は「短期決戦に弱い」といわれていたが、北京でもその不安は現実のものになった。

 故障や不振の選手が相次ぎ、ベストの打線が組めなかった“星野ジャパン”は、継投失敗や拙守など作戦面でも歯車がかみ合わず、メダルどころか、まさかの4位に終わった。

 東京五輪では、稲葉篤紀監督率いる“稲葉ジャパン”が北京五輪の雪辱を期すことになるが、くしくも稲葉監督は当時星野ジャパンの一員だった。13年前と同じ轍を踏まないためにも、なぜそうなったのか、“北京の悪夢”をもう一度振り返ってみよう。

「オレのミス」
 08年8月13日の1次リーグ初戦、日本はいきなり強敵・キューバと対戦した。星野監督は必勝を期して、エース・ダルビッシュ有を先発させた。

 だが、北京入り前に背中の張りを訴えるなど、本調子ではなかったダルビッシュは、フォームのバランスを崩し、球が高めに浮く。2回にアルフレド・デスパイネ(現ソフトバンク)のタイムリーで1点を先制され、3回にも1点を失ったあと、2対2の5回にも無死二、三塁のピンチを招いて降板。代わった成瀬善久デスパイネに2点タイムリーを浴び、無念の黒星スタートとなった。

 日本は翌14日に台湾、15日にオランダに連勝し、軌道を修正したかに見えたが、同16日の韓国戦で痛恨の2敗目を喫する。

 6回に新井貴浩の2ランで先制も、7回に和田毅が先頭打者に四球のあと、李大浩に同点2ランを浴びる。9回にも3番手・岩瀬仁紀が決勝タイムリーを許し、さらに悪送球などで計3失点。9回に1点を返したが、3対5で敗れた。

 試合後、星野監督は「オレのミス。7回に和田が無死で四球を出したところで川上(憲伸)に継投しとくべきだった」と短期決戦の継投の難しさを吐露した。

 日本はその後、カナダ、中国に連勝して4勝2敗としたが、8月20日の1次リーグ最終戦で米国と0対0のままタイブレークに突入。11回に岩瀬が4点を失い、3敗目となった。

 急きょ導入が決まったタイブレークへの対策が不十分だったことに加え、韓国戦でリリーフに失敗した岩瀬を再び重要な局面で起用したことが凶と出た。失敗した直後に再度チャンスを与え、自信を取り戻させる星野監督の“情の采配”は、長丁場では一定の効果を生み出すが、短期決戦ではうまくいかなったのだ。

 しかし、星野監督は同22日の決勝トーナメント準決勝の韓国戦でも、2対2の8回から岩瀬を投入し、李承燁に決勝2ランを献上。この敗戦により、金メダルは絶望となった。

 敗因は継投失敗だけではなかった。

 ライトが定位置でレフトの経験がほとんどないGG佐藤を「絶対負けられない1戦」で不慣れなポジションに置いた結果、いずれも失点につながる2つのエラーを招いた。バックのエラーは、投手を「自分がミスを取り戻さなければ」と力ませ、さらに失点を重ねる悪循環へと導く。短期決戦の怖さである。

情の采配が裏目
 そして、「せめて銅メダルを」と期待された翌23日の米国との3位決定戦も、3回に佐藤の左飛落球をきっかけに失点し、4対8と逆転負け。3A主体のオールマイナーの米国に予選リーグに続いて敗れたのは、日本のファンにとっても大きなショックだった。

 この日も星野監督は、佐藤を“鬼門”のレフトで使い、本来先発タイプの川上を5試合目のリリーフ起用で傷口を広げるなど、情の采配がことごとく裏目に出た。

 投手10人のうち7人までが先発タイプで、リリーフは、先発と併用の上原浩治を含めても、藤川球児、岩瀬の3人だけ。このバランスの悪さも、短期決戦では不利に働いた。

 4位という期待を裏切る結果に、星野監督は「私に力がなかった。金メダルを待っていたファンには、申し訳ない思いで一杯」と肩を落としながらも、選手たちに「この経験を将来、指導者になったときも忘れないでほしい」の言葉を贈った。

「力がなかったということ。精神的にも技術的にもボヤッとしていると、世界は勝てない」と悔し涙を流した稲葉現監督もその一人だ。

 だが、北京では悪夢に泣いた星野監督も、楽天時代の13年の日本シリーズでは、「良い状態で投げたい」というエース・田中将大の気持ちを汲んで、CSから中4日での第1戦先発に固執せず、第2戦にスライド。第5戦では、5回まで1安打無失点の辛島航を6回から則本昂大にスパッと代えるなど、柔軟かつ大胆な短期決戦型采配で悲願の日本一を達成している。“北京の教訓”が生かされた結果と言えるだろう。

 東京五輪は、日本、米国、韓国の3強が中心のメダル争いが予想されるが、7月28日の予選リーグ初戦で対戦するドミニカも、MLBのFA組を中心に強力なメンバーが揃い、侮れない。

 何が起きるかわからない短期決戦。稲葉ジャパンは13年前の屈辱を晴らすことができるだろうか。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍プロ野球B級ニュース事件簿2020」上・下巻(野球文明叢書)

デイリー新潮取材班編集

2021年7月22日 掲載
新潮社

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