岸田、早大ごときでエリート意識

東大に3回落ちた?挙げ句、早大?全然、エリートとは全く思わないョ!確か、竹下サンまでは、早大出の総理はいなかったくらいだ。特に、関東の私大の連中、大抵、大学閥やシンパを作って代表したがる。学費バカ高大学だけに、そんなカネをカネとも思わないバカボン多い。だから、金銭感覚がズレてたりする。

国公立、キチンと志望するヒトは、模試でも何でもキチンと自分の位置を確認して、共通一次センター試験を確認して、適切な志望判断を下して通るか落ちるかなのだ。3度も受けて3度落ちるって、記念受験だったんじゃない?国公立を出たコトは、ソコで適切な選択をデキているかどうかだ。

早大出の総理も、ロクなのいない。

竹下サンは消費税、森不名誉総理、海部サンや野田サンも早大じゃなかった?

 

 

 

 

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「東大に3回落ちた。私は線の細いエリートではない」“謎アピール”の総裁候補・岸田文雄が気にしていた「自分の弱点」
9/3(金) 21:16 Yahoo!ニュース
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「菅は裏で岸田を『発信力がないので選挙で勝てない』『何がやりたいのか全くわからない』とこき下ろしてきた」(文藝春秋2020年5月号の赤坂太郎コラム)。  

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 官房長官時代の菅義偉による、岸田文雄の人物評だ。「当たらない」を繰り返して説明責任を果たさず、安倍一強の権勢を笠に着るうちに指導者になれると勘違いして総理大臣になってしまった菅が、よく人のことを言ったものである。 

 そんな岸田であるが、前回(昨年9月)に続いて、今月に予定される自民党総裁選への出馬を表明。するとどういうわけか、党役員の任期制を打ち出し、それが「二階おろし」につながっていくなど、これまでのボンクラなイメージとは様相を異にしている。 

 はたして岸田文雄とは、どんな人となりの政治家なのか。 

加藤の乱」でトラウマ…岸田が学んだ処世術
 
©文藝春秋
 岸田は広島市を選挙区にする、祖父の代からの世襲議員である。1993年の総選挙で初当選、同期には安倍晋三野田聖子、先日横浜市長選に落選した小此木八郎らがいる。そのよしみもあってか、安倍は首相時代、「後継の本命は岸田さん」としていると言われ続けていた。 

 たとえば2019年、同期当選の集まりで、安倍が「次の総裁選には出ない。次は岸田さんも候補だね」と話を差し向けた。しかし岸田は無言のままでいて、代わりに野田聖子が「私もいる」と口を挟んだという(文藝春秋2019年4月号の赤坂太郎コラム)。 

 遠慮がちでいること、これが岸田の永田町での処世術だったのだろう。岸田は「加藤の乱」(2000年)の敗軍の兵であった。

 不人気を極めた森内閣当時、派閥「宏池会」の会長・加藤紘一ネット世論に踊らされるうちに、野党と共闘して内閣不信任案の可決を目指す動きを見せるが、自民党主流派の切り崩しにあい、無残な結果に終わる。加藤はじっと順番待ちしていればいずれ総理になったであろうが、自ら仕掛けた政局で政治生命を失った。

 だから、目立てば嫉妬を買い、派手に動けば潰される、この永田町の摂理を岸田は骨身にしみるように知っている。 

森喜朗は「(岸田は)恥ずかしがり屋のところがある。でも…」
 そういえば森喜朗は、岸田について「ハッキリ言えば、恥ずかしがり屋のところがある。なかなか自分を出そうとしない」と評している。口下手な政治家(菅)もどうかと思うが、恥ずかしがり屋も政治家としてどうなのだろうか。 

 それはそれとして森は、岸田本人や岸田が率いる派閥(宏池会)についてこう続ける。「この人には立派になってもらいたい、育ててあげたいという気持ちがあるんです」「宏池会には優秀な人材が多い。その皆さんを表舞台に立てるようにしてあげることが、私の政治信条なんだ」(文藝春秋2020年3月号)。森の世話焼きによる人の支配の政治、つまり東京オリンピックが象徴するこの20年が凝縮したような言葉である。 

 院政を敷こうとする者(安倍)や長老としての力を保とうとする者(森)にとって、闘争によって権力を得ようとはせずに、口を開けてエサを待つ鯉(広島だけに)は手なずけやすいのだろう。

 前回の総裁選では、岸田は石破茂つぶしに利用された。得票数の発表時、菅陣営から「施し票」で得票が石破を上回り2位になると、岸田は「よしっ!」とつぶやいたという(注1)。そんな半端者だった岸田が今回は「二階おろし」のきっかけをつくるなど、発信力の発揮どころか、政局的な動きまで見せるようになっている。 

 いったい岸田に何があったのか。その予兆は、昨年の総裁選に見て取れる。 

「私の弱点が『発信力』にあることも自覚しています」
 前回の総裁選前に文藝春秋に掲載されたインタビュー記事は「リーダーには『聞く力』が必要だ」と題され、自ら発信しない様への言い訳のようなタイトルであった。またアベノマスクについて「私もこの布マスクを普段から着用していますが、市販の不織布マスクと比べても機能的に劣っているとは思いません」と断言し、安倍にへつらう素振りを見せていた(文藝春秋2020年7月号)。 

 それが総裁選の最中に発売された同誌のインタビューでは「私の弱点が『発信力』にあることも自覚しています」(文藝春秋2020年10月号)と自ら述べ、また「アベノミクスの格差を正す」と題して、安倍政権の成長戦略は不十分であり、中間層への手当を行うなど格差解消の必要を説いている。 

 さらに候補者討論会のなかで岸田は、「総裁選に挑戦する中で、個人として自由に発言できることに気づいた」「これからは立場ではなく、政治家として、自分自身としてどう発信するかをしっかり考えていきたい」と述べるにいたる(注2)。 

 もっと早く気づけばいいのにと思うところだが、岸田にとっての前回の総裁選は、“自分探し”あるいは“自己啓発“の機会であったかのようだ。 

「東大に三回落ちた。私は決して線の細いエリートではない」
 発信に目覚めた岸田は何を語ったのか。前掲10月号のインタビューでは、上記のように安倍政治の罪の部分を論じると同時に、誰しもが思う岸田の弱点を自ら潰していく。たとえば「権謀術数が渦巻く中」も歩み、「加藤の乱」も経験して権力闘争とは無縁でないと、20年前の話でもって永田町的なマッチョぶりをアピールしている。 

 また東京生まれの世襲議員であることから、ひ弱なボンボンと思われていることを意識してのことだろう、岸田は苦労や挫折の経験として、大学受験の失敗を語る。 

「私は決して線の細いエリートではありません。母校の開成高校は東大に進む生徒が多い中、私は東大受験に三回失敗するなど悔しい思いもしました。結局、早稲田と慶應の両方に受かりましたが」と言い、早大に進んで、バンカラな気風の中で自分を見つめ直すことができたと続けている。  

 はたして、ここに共感性はあるだろうか。「保育園落ちた日本死ね」ならぬ、「東大落ちた?だから何」である。 

 たとえば同じく「加藤の乱」の敗軍の兵である谷垣禎一も政治家の家に生まれた。こちらは麻布高校から東大法学部に入るのだが、山登りに熱中したため卒業に8年かかり、その後司法試験浪人を重ねて、社会人になるのは37歳のときであった。そんな浪人時代を振り返り、谷垣はこう語る。「午前中はずっと寝てて、正午過ぎに『俺は一体何してんだろう』と思いながら布団から出て、人生考え込んじゃった時があったよ」(石井妙子『 日本の血脈 』文春文庫)。

 弱さも人の魅力になる。それを体現したのが谷垣であった。対して岸田は弱さを打ち消そうとする自分語りによって、かえって弱くてつまらない自画像を浮かび上がらせているように感じられる。 

 また岸田は昨秋、書籍2冊を刊行している。『 岸田ビジョン 』(講談社)は安倍首相の任期が切れる2021年に向けての自己発信のための書物であったろう。ところが発売直前に安倍が辞意を表明し、総裁選の最中の出版となってしまう。おまけに「岸田ビジョン」を謳いながらも、言うほどビジョンは示されていない。 

著書からわかった、唯一の「芯」
 もう1冊は『 核兵器のない世界へ 』(日経BP)である。これは原爆投下から75年目にあたる2020年に刊行したいとの思いで著したもの。ここで岸田は「核軍縮」「平和国家」を論じる。こうした平和や理想を説く者を「お花畑」と揶揄し「サヨク」扱いする、すなわち国際政治の複雑さを前に理想を空疎なものとして冷笑するのが当世だ。しかし岸田はそうした理想を「現実政治」の中で取り組む姿勢を見せる。 

 これは広島をルーツとする家系に生まれ、外務大臣として戦後初となる米国大統領の広島訪問を実現させ、また「吉田ドクトリン」の吉田茂の系譜に連なる派閥に属してきた岸田の、そうした自らの背景に深く根ざした政治キャリアの到達点であるように読める。

 しかし、だ。 

 今年8月の原爆記念日に行われた広島での平和記念式典で、菅は「原稿がノリでくっついた」という理由で、あいさつの一部を読み飛ばした。それは「核兵器のない世界の実現」「核兵器の非人道性」について語る箇所であった。 

 期せずしてそれは、岸田が自著に思いを込めて綴る、「『核なき世界』ではなく、『核兵器のない世界』という言葉に拘っている大きな理由は核兵器が持つ『非人道性』を確実に世界に対して訴えたいからなのです」と重なる部分でもあった。 

 だからといって岸田は、菅が読み飛ばしたことについて物申すことはなかった。これでは記者に自分で書いた本の主張(「政府があらゆる記録を克明に残すのは当然」等)を読み上げられ、「これを本に記していた政治家は誰かわかるか」と聞かれて、「知らない」と平然と答えた菅(注3)と同類ではないか。 

 出馬表明後の岸田は、憲法改正への意欲を示し、夫婦別姓についても慎重な姿勢を見せるなど、自民党のツボを押さえるための発信に抜かりはない。

 ところが岸田は今年3月に発足した夫婦別姓を推進するための議員連盟の呼びかけ人でもあった。

 このように国民に向けた理念・主張をあっさりと引っ込めてしまうあたり、岸田は菅を永田町の優等生キャラにしただけなのかもしれない。

(注1) 時事ドットコム 2020年10月4日 
(注2) 日刊スポーツ WEB版 2020年9月13日 
(注3) 朝日新聞デジタル 2017年8月8日 
urbansea

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