クルマ作りの誤り?全てがコレで良いワケではない。

このR32以降のGT-R、確かにグループAを勝つためのクルマ作りとしては、正しかった。単に、勝つための車両を作るだけなら、R31GTS-Rのツインターボ化だけでも良かった。それを圧倒的に勝つために、レギュレーションに合わせた、専用車体と切り札機能とエンジンの設定、ホモロゲーション車両に昔の名前、GT-Rをネーミングした。

しかし、ニッサンの技術者連中は、それが全てのクルマ作りにハマるモノと勘違いした。

少なくとも、日本で売るための国産車とは、規格商品であるコトを忘れてしまった。外車が、BMW3シリーズや子ベンツが3ナンバーでも売れているのを勘違いしたのだろう。ヨーロッパでは排気量1.4リッター以外の規格はなかったから、ワザワザ日本に合わせなかっただけだ。それを、良いクルマを作ればサイズをハミ出しても売れると勘違いした。

日本で5ナンバーを買う層と外車を買う層は全く違うコトがわからなかった。

だから、S14シルビア以後、動力性能5ナンバー程度なのに、数センチハミ出したクルマが乱発された。何故か、トヨタセリカなどで同じコトをやっていた。

 

 

 

 

 

 

 

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国産ネオクラシック列伝、第2世代GT-Rが愛される訳。現代でも通用する高い性能とチューニングへの適応性
9/9(木) 9:01 Yahoo!ニュース
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第2世代GT-Rと呼ばれる、R32系~R34系のGT-R(写真:日産自動車
 通称「25年ルール」と呼ばれているアメリカ独自のクラシックカー登録制度。これは通常では認められていない右ハンドル車の輸入が登録から25年以上経過すると認められ、排ガス規制に縛られることなく販売・登録が可能になるというもの。

国産ネオクラシック列伝、第2世代GT-Rが愛される訳。現代でも通用する高い性能とチューニングへの適応性

13年超で重課となる日本の自動車税と比べると夢のような話だが、その制度が80年代から90年代のネオクラシックと呼ばれる国産中古車相場に大きな影響を与えているというのは前回のコラム「90年代スポーツカーが価格高騰でも狙い目な訳」でもご紹介したとおりだ。

 今回から当コラムでは、その人気と価格高騰に歯止めがかからない国産ネオクラシックマシンの中から代表的な車種をピックアップしていくことにする。まずは日本はもちろん世界中で愛される日産の名車、第2世代スカイラインGT-Rを紹介していこう。

GT-Rの系譜、第2世代登場までの歴史を知る

 トップバッターとなるのが日産「スカイラインGT-R」。排気量2600ccのRB26DETTエンジンを搭載した“第2世代GT-R”と呼ばれるモデルで、1989年のデビューから2002年の生産中止までの13年間に3モデルが存在している。その最初のモデルとなるのが、25年ルールの存在を多くの人に知らしめ、今のネオクラシックブームの火付け役となったR32系だ。

 日産はもちろん、日本を代表するスポーツマシン「R32GT-R」を説明するうえで、まずはスカイラインGT-Rの変遷について振り返っておきたい。スカイラインの初代モデルは、富士精密工業(後のプリンス自動車)から1957年にデビューしたALSID-1型プリンス スカイライン。その後1966年にプリンス自動車日産自動車と合併し、2代目モデルの途中から車名が「ニッサン プリンス スカイライン」に変更となる。そして合併後の最初のモデルとなったのが、1968年に登場した“ハコスカ”の愛称で知られる3代目のC10系だ。

 このC10系ハコスカのボディに、レーシングカー譲りの2000cc直列6気筒DOHCエンジンS20を搭載したのが初代スカイラインGT-R(PGC10)であった。GT-RはGTレーシングを意味するもので、その名のとおりレースに勝つために生み出されたモデル。エンジンだけでなくトランスミッション、サスペンションなどに専用チューニングが施されるほか、オプションとして多数のレース専用部品も用意。その実力は他の追随を許さぬもので、ツーリングカーレースで49連勝を達成したのだ。

 S20エンジンを搭載した第1世代GT-Rは、1973年にモデルチェンジとなったケンメリの愛称をもつC110系でも販売されたが、排ガス規制強化に伴いわずか3カ月間で生産中止。以降のC210系(通称ジャパン)、R30系(通称ニューマン)、R31系(通称セブンス)のモデルチェンジごとにファンは復活を期待していたが実現することはなかった。

 そして第1世代の終了から16年を経て、1989年8月に復活を果たしたのがR32GT-R。エンジンは専用設計された直列6気筒DOHCツインターボRB26DETTで、当時国産最強となる最高出力280ps、最大トルク36kgmを発揮。駆動方式も画期的なFRベースの電子制御トルクスプリット4WDのアテーサETS、サスペンションには4輪マルチリンク式を採用。セダン派生型スポーツカーとしては、世界トップクラスの運動性能を実現した。

 エクステリアもパフォーマンスにふさわしい装備となっていて、前後のワイドフェンダー(フロントはアルミ製)、アルミ製ボンネット、専用16インチ鍛造ホイール、フロントグリル、フロントバンパー、リアウイングがベースのGT系とは異なる専用装備品となっていた。

 R32GT-Rはレースでも大活躍。通称グループAと呼ばれた全日本ツーリングカー選手権(JTC)では、1990年3月のデビュー戦から他を寄せつけない速さを発揮し、グループA車両によるレースが終了する1993年までの4シーズン全29戦すべてを優勝するという前人未到の輝かしい記録を残している。レース仕様のRB26DETTエンジンは、最高出力550ps/7600rpm、最大トルク50.0kgm/6000rpmにまで鍛え上げられていた。

NISMOやN1、V-Specなどの特別仕様車たち

 R32GT-Rは、1994年12月の販売終了までの間に4万3661台を生産。標準モデルのほかに1990年には軽量化やタービン変更、ダクト付きフロントバンパー、小型リアスポイラーなどを装備したGT-R NISMO(500台限定)、1991年には耐久レース参戦ベース用にエンジン強度や装備を変更したN1、1993年には大型ブレーキやBBS製17インチホイールなどを装備のV-Spec、1994年にはタイヤサイズを変更したV-SpecⅡが追加されている。そうした特別仕様車は昔も今も人気だが、標準車にパーツ流用で仕上げた“NISMO風”や“V-Spec風”も多く存在している。

 R32GT-Rをベースとしたコンプリートカーもいくつか製作されているが、その代表的なモデルがチューニングパーツメーカーのHKSの手による“ZERO-R”。ルーフやケーニッヒなど欧州のカスタムビルダーと肩を並べることを目指した意欲作で、専用エアロパーツをまとったボディに2.7L仕様とした450psのシーケンシャルツインターボエンジンを搭載していた。

 大ヒット作となったR32の後継モデルとして、1995年1月にデビューしたのが「R33GT-R」。その最大の特徴は、ベース車の3ナンバー化により大型化されたボディで、R32GT-Rに比べて全長が130mm、ホイールベースで105mm拡大となっている。RB26DETTエンジンはECUの高性能化やターボ過給圧の向上などの改良が施され最高出力280ps、最大トルク37.5kgmとなり車重の増加に対応させている。

 R33GT-Rは、標準モデルを含めて3タイプのラインナップが設定され、上位モデルとなるV-SpecにはアクティブLSDと連動の4WDシステム「アテーサETS PRO」や専用の足まわりを装備。V-Spec N1は、レース参戦用ベース車としてカーボンパーツの多用と装備の廃止による軽量化や装備を追加していた。

 限定モデルも存在していて、ル・マン24時間レース参戦記念として1996年に期間限定で販売されたLMリミテッドは、チャンピオンブルーの専用車体色とN1仕様と同様の外装パーツを装備したモデルだ。さらにはスカイラインの誕生40周年を記念モデルとして、GT-Rオーテックバージョン40thアニバーサリー(生産台数422台)も1998年に登場。その特徴はハコスカ以来となる4ドアボディで、リアスポイラーは装備せず、フロントスポイラーも小型化するなどで独特なスタイルであった。

 ほかにも99台限定、当時価格1200万円で販売されたR33GT-Rベースの市販コンプリートカーNISMO 400Rも忘れてはならない存在。エンジンは2.8L化され、N1仕様メタルタービンや大型インタークーラーメタルヘッドガスケット、専用ECU、空冷式オイルクーラーを装着し、公称スペック最大出力400ps/6800rpm・最大トルク47.8kgm/4400rpmを獲得していた。

■第2世代GT-Rの最終モデル、完成形と言えるR34

 そして第2世代GT-Rの最終モデルとなったのが、1999年1月にデビューした「R34GT-R」だ。「大きい、重い」と不評だったR33を受けて、全長で75mm、ホイールベースで55mmのサイズダウンを図り、前後重量バランスも改善。V-Specグレードには、量産車として初となるボディ下面も含めた本格的なエアロシステムを採用。RB26DETTエンジンはツインボールベアリングのセラミックタービンと過給圧のアップで最大出力280ps、最大トルク40.0kgmとなり、ドイツのゲトラグ社と共同開発の6速ミッションを組み合わせている。

 第2世代GT-Rもまた、第1世代と同様に排ガス規制の強化に伴い2002年末でその歴史に幕を閉じることとなったが、R34でも約4年の販売期間に多くの特別仕様車が登場している。従来にはなかったグレードとしては、乗り心地と上質さにこだわったM-Specを2001年に設定。生産終了記念のV-Spec Nür/M-Spec Nür(各1000台限定)は、発表即日完売となり中古車でもプレミア価格で取引されているほどの人気ぶり。さらに2004年にはニスモから厳選中古車をベースに500ps仕様の専用エンジン、サス、ブレーキ、ドライカーボン製外装を装着したコンプリートカーNISMO R34GT-R Z-tuneが20台限定、本体価格1690万円で販売されている。

■なぜ今も第2世代GT-Rが愛され続けるのか? 

 さて、生産中止から19年が経った今も世界で人気となっている第2世代GT-R、その人気を支えてきた大きな要因といえるのが豊富なパーツによるチューニングといえるだろう。かつてはフルチューンエンジンに大型タービンを組み合わせて800psを超えるようなパワーを獲得しているマシンも多く存在していたが、近年主流になってきているのがパワーと足まわりのバランスを重視して500ps前後のパワー設定としたファインチューンだ。

 最新のパーツ開発技術を投入した新作パーツも各社から続々リリースされていて、それらを効果的に組み合わせればオリジナルを超える扱いやすさや、トラブル知らずの安心感を得ることも可能。なかでも純正にはない可変バルタイ機構の追加や、後継モデルR35GT-Rのエアフロメーターや燃料インジェクターの流用などが人気の定番メニューとなっている。さらにシチュエーションに応じて自動や任意でサスペンションの硬さを調整できるサスペンションや、音量の調整機構を備えたスポーツマフラーなども注目のパーツといえるだろう。

 また長く第2世代GT-Rを楽しむために、チェックしておきたいのがニスモの動向。好調を維持するために欠かせない純正パーツを「Heritage Parts」として復刻販売しているほか、ヘッドクォーターとなる大森ファクトリーでは各種レストアサービスやオーバーホールを兼ねたエンジンのファインチューニングメニューを用意。そうした情報もしっかりと収集しながら、世界に誇る名車を今後も長く楽しんでもらいたいと、一ファンとして切望している。
川崎 英俊 :フリーライター&エディター

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