ランボルギーニ、ドコが立派なの?日本メーカーだったら・・・。

カウンタック作り続けてたから何?偉大なのか?立派なのか?

元々、外装をカロッツェリアベルトーネに依頼し、エンジンや車体や足回りや内装をランボルギーニがやっていた。ちゃんと量産すればコストダウンできたハズ。少量生産車両としての不能率だ。手工業の工場をベルトーネランボルギーニ両方で動かし、1ヶ月に数十台しか作れない。そりゃあ、原価高いし、販売価格もバカ高くなるワ!

デザイン料だけベルトーネに払って、日本メーカーに生産依頼してくれたら、その20倍くらい作れたろうから、コストも販売価格も1/20にはデキたのでは?

ただ、フレームを作るならオートバイ系メーカー、生産都合上、外皮はFRPカウルボルトオンの方が良いだろう。オートバイメーカーなら、基本設計の粗いランボルギーニV12もキレイに仕上げて生産デキたんじゃないかな?ホンダやヤマハやスズキやカワサキ、ドコに依頼しても、安く早く大量に生産デキただろうに。

日本メーカー、日本のデザインではこんなモノはできないが、生産効率を鑑みた改善なら、スゴくデキたろうと思う。

というか、ランボルギーニBMWとのM1開発話あった時に、エンジン生産をBMWに委託デキなかったかな?カウンタック用の縦置かミウラ用の横置かV12をスムーズにM1に載せるコトがデキたかも知れない。M1がシルエットフォーミュラに間に合ったら、歴史が変わっていたかも知れない。

**********************************

カウンタック50年の軌跡と、17年間にわたりほぼカウンタックのみを作り続けたランボルギーニ
11/28(日) 19:10 Yahoo!ニュース
 11
 
豪華で速いクルマを目指し新たなフラッグシップを開発
 
カウンタックLP400。3929cc V型12気筒エンジンを搭載し、低くシャープなスタイリングとシザードアはカウンタックの証。当時、だれもがそのスタイリングに驚いた。
スーパーカーの代名詞とも言える「カウンタック」が登場してから50年が経つ。1990年にいったんは生産が終了したものの、2021年に復活を果たした「カウンタック」。その50年を振り返る。(Motor Magazine2021年12月号より)

【写真はこちら】カウンタック LP500プロトタイプから、創立25周年記念の最終モデル「25th Anniversary」まで(全28枚)

50周年を迎え、改めて言っておこう。「カウンタック」とはランボルギーニそのものである、と。

なぜなら1974年から1990年初頭まで作られたカウンタックによって現代のブランドイメージが形成され、組織のオーナーが変わった今もそれは受け継がれているからだ。フラッグシップモデルとしてのカウンタックはその後、ディアブロ、ムルシエラゴ、アヴェンタドールへとモデルチェンジしたが、この4世代における基本コンセプトとパッケージはまるで変わらない。それゆえアヴェンタドール&シアンをベースとし、2021年登場したLPI800-4もまた、50周年を機にカウンタックと名乗る資格があったというわけだ。

おそらく2023年にはアヴェンタドール後継モデルの発表もあるだろう。プラグインハイブリッド V12搭載は確定しており、パッケージングそのものは継承するに違いない。否、ひょっとして継承しないからこその限定車カウンタック登場という深読みも可能だが、それはさておき・・・。

創始者フェルッチョ・ランボルギーニの理想は「ロールスロイスのように豪華で、フェラーリのように速い」クルマだった。

そのために集められた若きタレントたちは、しかし、それで満足しなかった。彼らはより高みを目指したのだ。その発芽が今をときめくジャンパオロ・ダッラーラによるまるでレーシングカー(当時)のようなV12横置きミッドシップレイアウトのベアシャシで、1965年に発表されている。のちのミウラだ。

ミウラのスタイリストもまたベルトーネマルチェロ・ガンディーニだったが、曰く「1950年代のイタリアンベルリネッタ流」であった。しかし、このクルマが登場したことでランボルギーニの運命がにわかに転向する。

ミウラは予想以上に人気を博した。しかし、それゆえ問題点も浮き彫りとなった。そしてミウラの欠点を克服して、来るべき時代を担う新たなフラッグシップを造ることになり、それに向けて、ジャンパオロの元で活躍したパオロ・スタンツァーニやテストドライバーのボブ・ウォレスが開発部隊の核となり、フェルッチョから全権が託された。

パオロはまず12気筒ミッドシップレイアウトを縦置きにしようとした。だが大きなエンジンの後方にこれまた大きなトランスミッションが直結される。レースカーならまだしもロードカーとしては長さの点でも、ユーティリティスペースの点からもそれは問題だった。

そこでパオロは奇策を思いつく。パワートレーンを前後逆に置くというアイデアだ。エンジンとパッセンジャーの間にトランスミッションを置き、V12を縦置きミッドシップ、サイドラジエーターとした元祖LPレイアウトの完成である。

このレイアウトを基本に、マルチェロ・ガンディーニによるスタイリングが完成する。シザードアもこのレイアウトが生んだ必然だった。スタイリングが完成したとき、感嘆の声が上がる。「わーお、こりゃすんげぇ」。デザインスタジオのあったピエモンテ州の方言で「クーンタッチ!」。

市販なんてできないと思わせるコンセプトカーが登場
1971年春のジュネーブ。1台のプロトタイプがデビュー。その名も「カウンタックLP500」。誰もが思った。こんなクルマ、市販なんてできっこない、と。

事実、市販までにさらに3年の年月を要した。内部構造やスタイリングの変更など紆余曲折もあった。なかでも大きかったのはフェルッチョのトラクタービジネスが躓いたことだ。自動車ビジネスから手を引いたフェルッチョに代わり、ランボルギーニのオーナーシップは流浪の憂き目に遭う。

それでもカウンタックは登場した。1972年にカウンタックLP400として正式デビュー(#1120001は現在もランボルギーニ社のミュージアムに展示中)。プロトタイプに比べ、エンジンは現実的な4Lで、冷却対策が随所に施されており、ボディ骨格もモノコックではなくスペースフレーム式となっていた。

1974年春、スタイルにさらなる小変更を加えてついに市販モデルの生産が始まった。しかし、そこまでの間にも、依然として経営は不安定で多くの人材が流出した。ジャンパオロがかのウォルター・ウルフを引き連れ復帰し、1978年にマイナーチェンジモデルのLP400S(#1121002、ウルフカウンタック3号車)を発表するも、ついにランボルギーニ社は倒産した。

政府管理下となったランボルギーニはそれでも年産数十台規模ながら細々とカウンタックだけを作り続けた。オーナーの変遷も相変わらずであったが、1982年には5L版のLP500S、1985年には4バルブ版のクワトロバルボーレを登場させ、徐々に生産台数を伸ばしていった。1988年、クライスラー傘下となったランボルギーニはブランド誕生年を祝うアニバーサリーモデルを発表。

およそ17年間にわたり2000台弱のカウンタック、ほとんどそれのみを作り続けたランボルギーニ。不遇の時代を乗り越えるという長い時間の経過こそが、現代のランボルギーニのイメージを確定したと筆者が断じる所以である。

かつてLP400オーナーだった筆者のカウンタック生活
フェラーリ派だった筆者がカウンタックを欲しいと思ったのは21世紀になってからのこと。探しあてたLP400はしかしS仕様でオーバーフェンダーや巨大ウィングを装備していた。それを4年かけてオリジナルの姿にレストレーションし、その後、7年ほどカウンタック生活を楽しんだ。イベントにはほとんど自走で出かけていたし、時には筆者ではなくクルマだけ招待されることもあった。細いタイヤのLP400は非常に乗りやすく、高速ドライブもラクだった。ワインディングロードものちのカウンタックとは違ってひらりひらりとしたハンドリングを楽しむことができた。スピードは大して速くはなかったけれど操って楽しいスポーツカーだった。(文:西川 淳/写真:西川 淳、アウトモビリ ランボルギーニ、モーターマガジン)

カウンタック年表
1971年:LP500プロトタイプ発表
1974年:LP400
1975年:ウォルター・ウルフ
1978年:LP400S
1982年:LP500S/5000S
1985年:5000クワトロバルボーレ
1988年:25thアニバーサリー
1990年:カウンタック生産終了
2021年:カウンタックLPI800-4発表
Webモーターマガジン

**********************************