アタックNo.1をちゃんと読んで書いてるの?

アタックNo.1は、鮎原こずえと早川みどりの友情モノ?ちゃんと読んでないの?確かに、富士見中学で福岡高校と全国大会決勝をやり、回転レシーブの垣ノ内サン相手に逆光を使って優勝。最後の全国大会、おケイ問題で早川らと対立、キャプテン降りて体操部で空中回転レシーブマスターしたが、福岡高校との再度の決勝で捻挫して準優勝。鮎原や早川、三条や垣ノ内らが全日本選抜猪熊大悟の指導でジュニアの世界選手権に出た。決勝はソ連のシュレーニナの十字トス&ボルチンスカヤの殺人スパイクに、2段レシーブで対抗したが、敗れた。

鮎原と早川は富士見高校に進んだ。最初の全国大会決勝は、天王寺高校八木沢3姉妹の三位一体の攻撃に苦戦、ダイレクトスパイクで肉離れもあり敗れた。再度の全国大会、準決勝で天王寺高校に三位一体+1の攻撃に苦戦しつつも3女に集中攻撃して勝ち、決勝はデータバレーに苦戦しつつも勝った。決勝点は風船アタック。高校生ながら、鮎原と八木沢姉は世界選手権の全日本選抜候補に入った。風船アタックは拾われ、自信喪失の中、桧山の鮎原を狙ったトスをムリヤリ打って竜巻落としができ、全日本レギュラーになった。世界選手権、マンガではソ連に決勝で負けたのにMVPになったが、テレビではソ連シュレーニナ前に竜巻落としが決まりMVPになった。

早川は、高校での全日本からは出てないョ!

 

 

 

 

 

 

 

 

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「スポ根アニメ」ブームはなぜ起きたか?『アタックNo.1』のモデルだった魔女たち
12/11(土) 9:10 Yahoo!ニュース
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「スポ根」を女性層にも広めた『アタックNo.1
 
スポ根ブームの代表作とされるアニメ『アタックNo.1』 (C)浦野千賀子・TMS
「スポ根」と呼ばれる、日本のマンガやアニメに特有なジャンルがあります。「スポーツ根性もの」の略称で、次々と現れるライバルたちを特訓の末に打ち破る熱血ストーリーで知らています。若い主人公の成長を描くのに最適なスタイルであることから、1960年代から1970年代にかけて大変な人気を博したジャンルです。その後のスポーツもの、青春ものにも強い影響を与えています。

【画像】懐かし『アタックNo.1』につながる、五輪チームの活躍(9枚)

 大ブームとなった「スポ根アニメ」の代表格に挙げられるのは、野球の世界を描いた『巨人の星』(1968年~1971年)です。川上哲治監督率いる読売ジャイアンツに入団する星飛雄馬を主人公に、虚実が入り混じるドラマチックな物語でした。「スポ根」ブームをさらに広めたのが、『巨人の星』と同じく東京ムービーが制作した『アタックNo.1』(1969年~1971年)です。女子バレーボールを題材にしていたことから女性人気が高く、幅広い人気を集めました。

「だけど涙が出ちゃう。女の子だもん」という主題歌の歌詞も印象的だった『アタックNo.1』ですが、原作者・浦野千賀子さんにインスピレーションを与えたのは1964年の東京オリンピックで大活躍した女子バレーボール日本代表チームでした。海外からは「東洋の魔女」と恐れられるほどの強さを誇っていました。

鬼コーチ、猛特訓、魔球の開発は現実に基づいていた
 五輪初のアジア開催となった東京オリンピックで金メダルに輝いた女子バレーボール日本代表は、実はナショナルチームながら大日本紡績(のちのユニチカ貝塚工場の選手たちを主体にしたチームでした。

 このチームを率いたのは大松博文監督。太平洋戦争で最も過酷だったとされる「インパール作戦」からの元帰還兵でした。大松監督は「鬼の大松」と呼ばれるほどのスパルタ特訓で、女子選手たちを鍛え上げたのです。「スポ根」の必須キャラである、鬼コーチの原型となった人物です。

 海外の強豪チームに比べ、当時の日本選手は体格面で劣っていました。そのハンデをカバーするために生み出されたのが、「回転レシーブ」や「木の葉落としサーブ」です。これら必殺技を身に付けたことで、「東洋の魔女」たちは世界を圧倒することができたのです。

 フランスのジュリアン・ファロ監督が撮ったドキュメンタリー映画東洋の魔女』(2021年12月11日より劇場公開)は、日本代表チームが大松監督から尋常ではない猛特訓を受ける当時の様子から、引退した彼女たちのその後の姿までを伝えています。孫たちと遊ぶ優しいおばあちゃんになっている魔女たちの様子は、ほっこりさせるものがあります。

 日本代表と宿敵・ソ連(現在のロシア)が東京オリンピックの決勝戦で激突する様子が、映画『東洋の魔女』のハイライトシーンとなっています。当時の資料映像のなかに、『アタックNo.1』の主人公・鮎原こずえが奮闘するシーンも盛り込むなど、かなりユニークな構成です。エンディングには『アタックNo.1』の主題歌も流れます。ファロ監督は日本のアニメが大のお気に入りのようです。

汗を流せば、豊かになれると信じられた時代
 
1964年の東京五輪で大活躍した女子バレーボール日本代表チーム。ドキュメンタリー映画東洋の魔女』(2021年12月11日公開)より
 フランスで生まれ育ったファロ監督が撮ったドキュメンタリー映画東洋の魔女』は、日本人が忘れかけていたことをいろいろと思い出させてくれます。選手たちは、普段は日紡貝塚工場で朝8時から他の工員たちと一緒に働き、午後から深夜過ぎまで練習に明け暮れたそうです。工場内にある社員寮が、彼女たちの家庭となっていました。

 また戦災によって家族を亡くした選手も多く、大松監督は父親代わりでもあり、同時に理想の恋人のような存在でもあったことが映画のなかで語られています。貝塚工場の選手たちによって構成された日本代表チームには、家族同然の強いつながりがあったのです。だからこそ、厳しいスパルタ特訓にも耐えることができたわけです。

 当時の日本は戦後復興を果たし、高度経済成長の時代を迎えていました。一生懸命に汗を流せば、それだけ豊かな社会になると信じられた時代だったのです。

「スポ根」に代わるキーワードは生まれるか?
 東洋の魔女たちが「回転レシーブ」や「木の葉落としサーブ」という独創的な技によって世界一に輝いたように、高度経済成長期は日本のメーカーが携帯ラジオやカラーテレビ、軽自動車など高性能の商品を次々と開発し、世界市場へと躍進した時代でもありました。

 そんな時代の熱気が日本代表チームの背中を押し、また彼女たちの活躍が『アタックNo.1』などの「スポ根アニメ」を生み、その影響を受けてさらに多くの若者たちが競技を始めるようになりました。「スポ根」は高度成長時代とシンクロしていたと言えそうです。

 現在のスポーツ界では、非科学的なスパルタ指導は否定されるようになりました。監督やコーチによる練習の無理強いは、パワハラ扱いされかねません。そんな時代の新しいヒーローとなっているのは、MLBアメリカン・リーグ最優秀選手賞(MVP)に輝いた大谷翔平選手です。

 大谷選手は豪速球投手でありながら、目が覚めるようなホームランを放つスラッガーでもあるという「二刀流」ぶりでMLBの選手やファンたちを驚かせています。大谷選手の活躍は、マンガやアニメの世界観をはるかに凌駕してしまったのではないでしょうか。プロテインや筋トレが大好き。試合中もニコニコと笑っている大谷選手を観ていると、スポーツ界は新しい時代になったことを強く感じます。

 才能ある人材が従来の常識に縛られることなく、新しいことにどんどんチャレンジできる社会になれば、スポーツ界のみならず日本経済も活性化するのではないでしょうか。「スポ根」に代わる、新しいキーワードが生まれることを期待します。

 最後になりますが、『アタックNo.1』は鮎原こずえと早川みどりとの女子の友情もの、シスターフッドムービーとしても、とても面白かったように思います。

 

※『東洋の魔女』は、2021年12月11日(土)より渋谷ユーロスペースほか全国順次公開。
監督・脚本/ジュリアン・ファロ 撮影/山崎裕
配給/太秦
(C) Philippe Quaisse / UniFrance (C) 浦野千賀子・TMS
長野辰次

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