古いクルマだけど、ヨイショが過ぎない?

何か、違わない?ソアラもZも6気筒、トヨタニッサン最高のクルマだし、セリカGT-FOURはそれに次ぐ直4ターボ最高のクルマだった。プレリュードは、オプション付け出すと値段の嵩むクルマだった。

若者が羨むではなく、日本人が皆羨むクルマだったのだ。

この時期から、パワー(トルクではなく)偏重、車重お構いナシの傾向は始まっていた。ソアラやZはそれぞれ最高のクルマだから3ナンバーで良かったが、セリカやプレリュードも次のフルチェンジにより3ナンバーに膨れた。手が届いていたクルマ・グレードまで、手が届かないところに、逃げ水のように引き上げたのは、他ならぬ自動車メーカー自身なのだ。

売れていたモノも、余計なモノを付け足し、変えなくて良い所を変えて、売れないモノにしてしまった。

 

 

 

 

 

 

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1980年代に若者が憧れたのは国産クーペだった! 羨望の眼差しで眺めるも「手が出なかった」クルマ4台
1/3(月) 11:41 Yahoo!ニュース
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ハイパワーなスポーツタイプが憧れの的
 
80年代に「ハイソカー」として人気を博したトヨタソアラ
 1980年代の国産車というと何を思い浮かべるだろうか。2020年代にもっとも価値のあるモデルとなると1983年にデビューしたAE86カローラ・レビン/スプリンター・トレノかもしれないが、はたして1980年代に青春を謳歌していた若者たちはハチロクに憧れていたかといえば疑問だ。ハチロクは手の届くスポーツカーであり、本当に欲しいと願ったのは別のクルマだったりした。1980年代にリアルに若者が憧れたモデルを振り返ってみたい。

【写真】3代目フェアレディZのフロントスタイリング!

1)トヨタソアラ(2代目)

 今回のキーワードは「憧れ」。この言葉には、手が届きそうで届かないというイメージがある。そうした意味で1980年代の若者にとって、まさに憧れだったのはトヨタソアラ(2代目)だろう。最上級グレードの3.0GTリミテッドのメーカー希望小売価格は485万1000円。エンジンは7M型の3リッター直列6気筒DOHCターボで、最高出力は230馬力を発生した。この車格の2ドアクーペは、まさに余裕のある大人のモデルであり、レビンやトレノとは圧倒的な違いを見せつける迫力があった。

 なにしろ、この当時における3ナンバー専用ボディ(といっても全幅1725mmと今からするとさほどワイドではないが)というのは本当に贅沢で、しかも3.0GTリミテッドはエアサス仕様だったのだ。とはいえ輸入車でこのクラスを選ぶのは若者にとってはハードルが高すぎた。バブル経済が盛り上がっていた1987年には、ソアラに手が届きそうな予感もあったのだ。もちろん、それからほどなくしてバブル経済の崩壊が来るとは、当時の若者は誰も予想してはいなかった。

2)日産フェアレディZ(3代目)

 3リッターターボといえば、日産にも存在していた。ソアラのライバルとなるのは同じ1986年にフルモデルチェンジした2代目レパードだったが、当時の若者が憧れたのはむしろフェアレディZ(Z31)だったと記憶している。

 VG30型の3リッターV6 SOHCターボの最高出力は230馬力。スタイリングは北米ターゲットゆえにバタ臭い部分もあったが、ウェッジの効いたフォルムは、わかりやすいスポーツカーとして認知されていた。この3リッターターボを積んだグレードの新車価格は320万円(前期型)。

 これまた若者にはおいそれと届かない価格帯だったが、だからこそ憧れの存在となっていった。なにしろ、当時はスカイラインGT-Rもなく、日産のスポーツカーといえばフェアレディZ一択だったのだ。

若者は「私をスキーに連れてって」の影響をモロに受けた
 
私をスキーに連れてって」での鮮烈な走りが忘れられないトヨタセリカGT-FOUR
3)トヨタセリカ(初代GT-FOUR

 さて、1980年代に若者文化に影響を与えた映画が「私をスキーに連れてって」だ。原田知世が主演した、この青春ムービーではクルマは若者の必須アイテムと位置づけられ、劇中でも大いに存在感を発揮した。そのクルマこそ、トヨタセリカGT-FOUR(初代・ST165型)である。映画の中では白と赤、2台のセリカGT-FOURが登場したが、印象深いのは白の方。クライマックスでのカーアクションシーンは語り継がれるレベルでインパクトがあった。また、スポーツマフラーを装着するなどライトチューンを施されていたのも、チューニングムーブメントの盛り上がっていくタイミングと合わせて、若者が憧れるクルマになっていった。

 セリカGT-FOURWRC世界ラリー選手権)でも活躍したクルマだが、おそらく1980年代の若者は、WRCより「私スキ」のクルマとして認識していたはずだ。ちなみに、当時の新車価格は297万6000円。いまの基準で考えると非常にリーズナブルにも思えるが、はっきり言って1980年代に20代の若者が手軽に買えるような金額ではなかった。

 リアルに若者が狙えたのは、同映画におけるもう一人の主役、三上博史が劇中で乗っていたカローラIIリトラGPターボ(147万8000円)のほうだった。

4)ホンダ・プレリュード(3代目)

 いまでは信じられないかもしれないが、1980年代のクルマというのはモテるためのツールだった。実際“デートカー”というジャンルがあったほどだ。その代表モデルであり、頂点といえるのが1987年にフルモデルチェンジした3代目のホンダ・プレリュード。4輪ダブルウィッシュボーンのサスペンションによる低いノーズと、それを強調するリトラクタブルヘッドライト。トップグレードには2リッター4気筒DOHCエンジンを載せるなどスポーティな面もあったが、ユーザーニーズは完全にデートに誘うためのスタイリッシュなクーペという部分にあった。

 それでも222万5000円というメーカー希望小売価格は、とても手が届くものではなく、憧れの存在だった。リアルな若者は、フルモデルチェンジしたことで買いやすくなった先代プレリュードを中古車市場で探したものだ。

 なお、このプレリュードをキャッチアップしようと生まれたのが、日産のS13型シルビア。いまではドリフトマシンのイメージが強いかもしれないが、シルビアはプレリュードを追い落とすことが使命だったのだ。
山本晋也

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