アメリカ産業の欠点!他国市場への杜撰な調査と品質。

"黒船"とは、将に言い得たモノだ。ドイツやイギリスやフランスやイタリアやスウェーデンなど、大抵の国のクルマは日本で売れたのに、"アメリカ"車だけがハズれ続けた。

そうした国とアメリカの違いは何?それは、他国市場に対する、調査と品質への姿勢の違いだ。

誤解を恐れずに言えば、アメリカはバカの国だ。ヒトやモノやサービス含めて、全てはカネ次第の国だ。つまり、カネを出さないと、ヒトモノサービス全て質が落ちる。教育すら国公立より私立任せだ。アメリカの工業力が世界一と言われたのは、第2次世界大戦前後まで、以後はアメリカとソ連(現ロシア)は"量>質"の国と目されている。つまり、核も通常兵器も軍備も量本位で、質観念が薄い。だから、アメリカしか情報ないが、世界中にあった米軍基地は、規律崩壊と事故&不祥事頻発でなくなった。

アメリカ車は日本だけでなく、世界中で売れてない。日本と言わず、他国製品と比べてもサイズ・性能不適合と品質不良が大きい。

具体的に日本では、5ナンバーが基本だ。アメリカは5ナンバー車をキチンと開発するコトなく、3ナンバーの粗末なクルマを安値で売るという愚策に出た。挙げ句、安いクルマは安い程度のクオリティーしかない。

特にバブル以後は、日本国内5ナンバーを軽んじた国内メーカーのクルマすら売れないのだ。3ナンバーのクルマになると外国車との比較にもなり、更に売れなくなった。日本国内の不景気と購買力低下で、益々売れるワケない状況になっている。

 

 

 

 

 

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悲哀!! 続々撤退…何が足りなかったのか…日本で撃沈された黒船輸入車たち
2022/04/14 05:02 ベストカーWeb2

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 近年は堅調とは言えないものの、かつては経済的にも潤っていた我が国。そうした状況の日本は、国内はもとより海外の自動車メーカーにとっても魅力的な市場だった。そんな日本に向けて輸出されたクルマも数多いが、鳴り物入りで上陸しながらもまったく成果を残せなかったというケースもまた多い。今回は期待されたにもかかわらず惨敗に終わった残念な輸入車たちを見ていこう。

文/長谷川 敦、写真/FavCars.com、Newspress UK、トヨタ

悲哀!! 続々撤退…何が足りなかったのか…日本で撃沈された黒船輸入車たち

価格勝負も挑むも返り討ちに 「クライスラー ネオン」

日本では1996年に販売が開始された初代クライスラー ネオン。顔つきはアメリカンなマッチョではなく、丸目で愛嬌のあるものだった。残念ながら国内では売れず 

 世界有数の規模を誇るアメリカのクライスラー。以前はいかにもアメ車といった大柄なクルマが多く、それで問題はなかったが、1980年代になると小型でコストパフォーマンスのよい日本車の攻勢を受けて苦戦し始めていた。

 こうした状況を打破し、さらには日本や韓国などでも販売を伸ばせるように開発されたのがネオンだった。

 1994年に発表された初代ネオンは、1.8~2.0リッターエンジンを搭載する4ドアセダン。日本では3ナンバーサイズになってしまったものの、アメ車としては小さく、なにより最も安いモデルが約130万円という価格を全面に押し出した。

 4ドアセダンで130万円は、日本でネオンが販売開始された1996年でも十分に安いと言えたが、問題はその内容。ロープライスグレードはマニュアルシフトのみでエアコン&オーディオなしというさみしいものだった。ちなみに3速オートマや各種装備が付属する最上級グレードの価格は約180万円。

 130万円と聞くとお買い得に思えるかもしれないが、前述のとおりかなり切り詰めた仕様であり、さらに中身は当時のアメ車クオリティだったため、使い勝手がよいとは言えず、故障もそれなりにあったという。

 これでは同じ価格帯の日本車太刀打ちできず、1999年に登場した2代目も販売を伸ばすことはかなわなかった。そしてこの2代目をもってネオンは打ち切りの憂き目に合うことになった。

不殺に終わった日本車キラー 「GMサターン」

日本国内で販売されたGMサターンのSシリーズ。写真のSLは4ドアセダンで、1.9リッター直4エンジンを搭載。顔つきは印象的だが好みが分れる要因にも

 ここでは個別の車種ではなく、ブランドとして日本で成功できなかったケースを紹介していきたい。

 アメリカの大手自動車メーカー・ゼネラルモーターズGM)が、順調に売り上げを積み上げていた日本車に対抗するため設立した新ブランドがサターン。時に1985年のことだった。

 ユーザーと環境に優しいクルマ作りを目指したサターンは、販売戦略においても次々と新機軸を打ち出し、第一弾となるSシリーズでは、ドアや外装に金属ではなく変形しにくい樹脂を使用し、製品コストを下げるとともに維持費の節約にも努めていた。

 そんなサターンが満を持して日本に進出したのは1997年で、「礼をつくす会社、礼をつくすクルマ」のフレーズを引っさげて登場。自動車メーカーらしからぬイメージ優先のTV CMや、来店客に過度のプレッシャーをかけない営業スタイルが注目された。

 国内で販売されたのは小型モデルのSシリーズのみで、価格帯も十分国産車と勝負できるものではあった。ラインナップはクーペのSC、セダンのSL、そしてワゴンモデルのSW。肝心のクルマの内容もクライスラー ネオンに比べてはるかに上質と言えた。だが、サターンは日本で成功を収めることができずに終わる。

 サターンの販売方式の特徴に、一切の値引きをしない「ワンプライス販売」があった。これゆえに来店客にプレッシャーをかけることはなかったものの、大幅な値引きも珍しくはなかった日本車に比べてお得感は低く「ならばクオリティの保証されている日本車から乗り換える理由もない」と考える顧客も多かった。

 結局サターンはわずか4年で日本から撤退することになる。その後もアメリカとカナダで複数のサターンブランド車が継続販売されていたものの、業績は振るわず、2009年のGM社経営破綻によってサターンブランドは消滅してしまう。

 クライスラー ネオン、GMサターンは価格やサイズなどに起因する期待から「日本車キラー」とも呼ばれていたが、日本車は彼らに殺されてしまうほどヤワではなかった。

日本に適したサイズなのに受け入れられず 「フォードKa」

日本では1999年に販売開始されたフォード Ka。フォードの本拠地アメリカではなく、欧州フォードが開発したモデルのため、イメージもヨーロッパ車に近い

 手軽に乗れて燃費にも優れるコンパクトカーの需要が大きく高まっていた1996年、フォードから新型のコンパクトカーが登場した。Ka(カー)と名付けられたそのモデルは、フォード フィエスタと共通プラットフォームを使用し、1999年に日本での販売開始となるまで世界各国で50万台以上が販売されていた。

 日本国内での販売価格は税抜き150万円と、十分に競争力のあるものだったのにもかかわらずKaの売り上げは低迷し、わずか2年で日本での販売を終了する結果となってしまった。

 リーズナブルな価格で、サイズや内容も日本向きと言えたKaの敗因のひとつとして考えられるのが、5速マニュアルモデルしか設定されていなかったこと。この当時はすでに日本国内でのオートマ車の普及率は80%を超えていて、日常使いメインのコンパクトカーでマニュアルオンリーなのは明らかに不利だった。

 マニュアルだけという状況を逆手にとって、Kaの宣伝コピーは「乗れたらエライ」だったが、その意気も虚しく、日本市場からKaの姿は消えていった……。

成功できなかった逆輸入車トヨタ アバロン

初代トヨタ アバロン。3.0リッターV6エンジンを搭載するFFセダンで、北米トヨタでは最上級モデルに位置していた。コラムシフト&ベンチシート仕様も販売

 日本国内とは仕様などの異なるモデル、あるいは日本では販売されていない国産モデルが逆輸入されるというケースもある。しかし、必ずしも逆輸入が成功するとはかぎらない。ここではそんな失敗逆輸入車を見ていくことにしよう。

 トヨタが北米で販売している大型4ドアセダンにアバロンというモデルがある。日本よりも広大な土地があり、道幅も広いアメリカでの4ドアセダン人気はまだまだ根強い。トヨタもそうしたニーズを見込んでクラウンより大きなセダンをラインナップしている。

 このアバロンは現在でも継続販売されているが、実は日本に逆輸入されていた時期もあった。

 初代アバロンの誕生は1994年。メインターゲットは北米で、ゆとりある室内を持つFFラージセダンとして登場。国情にもマッチしたアバロンは、好意的にマーケットへ迎えられた。

 そのアバロンの逆輸入がスタートしたのが翌95年。TV CMも流されるなど積極的なプロモーションが行われたが、やはり日本の道路には大きすぎるのか、販売成績が好調だったという情報はない。

 2000年にはアメリカで2代目アバロンが登場した。この2代目も日本で販売されたが、日本国内ではアバロンではなくプロナードの名称が与えられた。ただし基本構成は、右ハンドルということを除くと北米仕様のアバロンほぼそのままと言えた。

 残念ながらプロナードの販売台数も伸びることはなく、日本国内でのアバロン(プロナード)販売はこの2代目をもって終焉を迎えた。

トヨタの努力にもクルマが応えず? 「トヨタ キャバリエ

2ドアクーペ仕様のトヨタ キャバリエトヨタのエンブレムがノーズに輝くものの、基本的にシボレーが作ったクルマであり、トヨタっぽさはほとんどない

 アメリカのGMが所有するブランドのひとつにシボレーがある。カマロに代表されるアメリカンマッスルカーのイメージが強いシボレーだが、実際のラインナップは幅広く、そのなかでも1982年登場のキャバリエは、FFコンパクトカーという、シボレーにとって新たな挑戦となるカテゴリーだった。

 そんなキャバリエの3代目モデル(1995年)が、トヨタのバッジを付けて日本で販売されることになった。これは日米自動車貿易摩擦の緩和を図るための措置であり、日本であまり人気のないアメリカ車トヨタの協力で売ろうというもの。

 1996年、トヨタは年間2万台の販売目標を掲げてキャバリエの販売をスタート。2.4リッターエンジン搭載のFFセダン&クーペとしては思い切った低価格に設定し、TV CMには人気タレントの所ジョージ氏を起用するなど、貿易摩擦を解消するために最大限の努力を行った。

 だが、悲しいことにキャバリエには日本人に響く魅力がほとんどなかった。トヨタが手を入れたとはいえ、同クラスの国産車に比べると各部のクオリティは低く、アメ車に特別な魅力を感じている人以外の購入欲を刺激できなかった。

 初年度から年間目標にまったく届かなかったキャバリエの販売台数を重く見たトヨタは、当初の予定を前倒ししてキャバリエの販売をストップ。この決定に疑問を挟む意見もなかった。

 輸入車の販売成績が振るわず撤退するケースは少なくないが、メーカーや販売店の期待が大きかったときにはダメージも大きい。各メーカーのグループ化が進み、クルマの“ご当地色”が薄れつつある現在でも、こうした悲劇が再び起きる可能性は残っている。

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