ミウラも、SVでは対策完了していた?

嘗て、エスポラルースランボルギーニで、90年F1鈴鹿の表彰台に立ったカレは、フェラーリランボルギーニと乗り比べて、「遮音制震など、クルマとしての作りが違う。」という意味のコトを言っていた。エスポと契約して買ったディアブロも「やかましいし、雨漏りもするから、ヒトにあげちゃった!」とか。

ミウラやカウンタック、「顧客が欲しいと言うなら売る!」方針で、日本やドイツメーカー的な煮詰めなどなく、売りながら対策していた。ダラーラの時のミウラも、スタンツァーニの時のカウンタックも、サンタアガタ周辺をB・ウォレスが走って仕上げたモノだ。

日本にも、ランボルギーニにノウハウあるショップはある。世界中見渡してもあるだろう。

リアル、ランボルギーニ車両(スタンツァーニまでのランボルギーニ車両のコト)どうか、末永く!

 

 

 

 

 

 

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3億5000万円でランボルギーニミウラ」が落札! 復刻「カウンタック」と同じプライスだった理由は「SV」の称号にあり
8/1(月) 12:10 Yahoo!ニュース
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フェラーリだけではないオークションマーケットの指標
 
世界のオークション動向のひとつの指標ともなったランボルギーニミウラP400SV」
 今やランボルギーニミウラ」は、国際クラシックカー・マーケットを象徴するモデルのひとつ。この名作の価格の推移が、市場全体の盛衰をそのまま体現することも多い。

【画像】3億4800万円で落札された「ミウラ」のディテールをすべて見る(28枚)

 そんな市況のもと、クラシックカー/コレクターズカーのオークション業界最大手「RMサザビーズ」社が2022年5月、モナコの大型見本市会場「グリマルディ・フォーラム」を会場に開催した「MONACO」オークションでは、ミウラ・シリーズのなかでも最も評価が高く、新型コロナ禍にあっても軒並み3億円前後の価格で取り引きされている最終版「P400SV」が出品。ふたたび全世界のファンの注目を集めていた。

マーケット価値が最も高いミウラとは?
 1966年に正式デビューを果たしたランボルギーニ「P400ミウラ」は、2年後の1968年にはV12エンジンを350psから370psにスープアップするとともに、細部をブラッシュアップした「P400S」へと進化する。この「S」は「極端な」を意味するイタリア語「Spinto(スピント)」の頭文字といわれる。

 そして1971年、ミウラの最終進化形として登場した「P400SV」は、Spintoに「速い」を意味する「Veloce(ヴェローチェ)」を組み合わせた頭文字「SV」が授けられた高性能版。パッと見ただけの印象では、ポップアップ式ヘッドライトの特徴的な「まつ毛」が廃止されたくらいの違いにしか見えないのだが、まずV12エンジンは、ネーミングに相応しく385psまでパワーアップされた。

 またシャシーにも手が加えられ、サスペンションのロワアームは剛性アップのためか、P400SまでのA字型から平行四辺形に近い形に変更。アーム長そのものも38mm延長された。またリヤホイールは、オフセットを28mm拡大するととともにリムもワイド化されたことも相まって、後輪のトレッドはP400Sミウラから約100mm増となる1514mmとなった。

 そしてこのホイールとタイヤを収めるため、リヤフェンダーもグラマラスな意匠に拡幅されたのが、P400SVのエクステリアにおけるふたつ目の特徴となった。

 さらに、設計者のジャンパオロ・ダラーラがBMCミニから着想したとされる、エンジンとトランスミッションのオイル潤滑を一体化することで、コンパクト化を図るというP400/P400S時代の潤滑システムは、P400SV後期の94台限定ながら、幻のスペチアーレ「イオタ」での実験成果を生かしてセパレート化されるなど、ブラッシュアップの範囲は多岐にわたるものであった。

 それゆえに「ちゃんと乗れるミウラ」ないしは「維持しやすいミウラ」と評価されたこと。さらに、全シリーズ通算で762台(ほかに諸説あり)のミウラが生産されたうち、P400SVは150台のみ(ほかに147台説などもあり)という希少性も相まって、現在の国際マーケットにおいて「最も価値の高いミウラ」となっているのだ。

欧米では有名なP400SVのオーナー遍歴とは
 今回オークションに出品されたミウラP400SVは、北米市場向けに特別に製作された21台のSVのひとつ。ちなみに北米仕様の最初の8台は、時速190マイルのスピードメーターとエンジン/トランスミッションが分割潤滑となった後期の13台とは異なり、200mphの速度計と一体潤滑式オイルシステムを備えている。つまり1971年型のこの個体、シャシーナンバー#4884は初期型のP400SV。じつは、アメリカに正規輸入されたP400SVの第1号という。

 北米仕様のP400SVは、反射式サイドマーカーやスピンナーのない八角形のセンターホイールナットなど、連邦規制を満たすため本国仕様のSVとは微妙な相違点があるほか、インテリアには3点式シートベルトが装備されていた。

 このミウラSV、シャシーナンバー#4884は、北米仕様車の型式認定を得るためのホモロゲート車両としても供用されたのち、1971年6月にアメリカの地を正式に踏んでいる。そして1971年のボストン・モーターショーに展示された直後に、カンザス州在住のファーストオーナーに引き渡された。

 その6年後には、ジョージア州に住む2代目オーナーのもとに譲渡され、以後28年間にわたって、その地に留まることになる。

 ところがこの2代目オーナーが2005年に逝去。P400SVは高名なミウラ愛好家にして研究家としても知られるジョー・サッキー氏が入手し、同じく有名なミウラ・スペシャリストのゲイリー・ボビレフ氏にフルレストアを依頼する。

 この時の修復は、ベルトーネ社から純正シート素材の供給まで受ける徹底したもので、完成後の2006年には、イタリア車だけのコンクール・デレガンス「コンコルソ・イタリアーノ」でクラス1位を獲得した。

 また、サッキー氏は自著として2008年に出版した「ランボルギーニミウラ・バイブル」の表紙にも、このシャシーナンバー#4884を登用。ピーター・コルトリン氏とジャン=フランソワ・マルシェ氏による、有名なランボルギーニミウラ本の表紙も飾っている。

 そして2015年にはイギリス経由でドイツに輸入され、今回のオークション出品者である現オーナーが入手。ここでも2017年に、17万ユーロ(当時の邦貨換算で約2000万円)を投じて、ディテールのリフレッシュとエンジン、エアコンディショナーなどのフルオーバーホールが施された。

最終落札価格は、安定の3億円オーバー
 来歴、コンディションともに申し分ないこのミウラP400SVだが、2022年5月14日に行われた競売では大方の予想どおり200万ユーロを大きく超える248万ユーロ、日本円に換算すれば約3億4800万円で落札されることになった。

 200万ユーロといえば思い出されるのは、つい先ごろ日本にも初上陸して話題を呼んだ、復活版カウンタッククンタッチ)LPI800-4の販売価格である。もしかしたら「ミウラP400SVとLPI800-4のどちらにしよう?」などと悩まれるような幸福なエンスージアストもいらっしゃるかもしれない。

 でも、世界限定112台というLPI800-4のオーダーリストに名を連ねることを許されるような真正のランボルギーニ愛好家ならば、すでにオリジナル版カウンタックとともに、ミウラもガレージに侍らせている可能性も高いに違いあるまい。

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