不名誉総理国葬強行!葬ったのは不正の真相。

安倍晋三不名誉総理、事件として露見した加計森友や桜を見る会以外にも、様々な政治献金や選挙支持を見込めるカネ持ちや宗教団体含む法人らへの利益供与や不正の限りを尽くし、菅はソレらの証拠隠滅に力を尽くした。自民党の中でもバカが続く麻生、安倍、菅、岸田と、現代の田沼意次とでも言うべき贈収賄と利益供与の関係を築き、人材難下での党財政基盤を作っている。

その功労者への礼として、岸田以下の現職は全く不相応な国葬を強行した。国葬前例たる吉田茂ノーベル平和賞受賞&当時最長任期でも国葬されなかった佐藤栄作の功績の足許にも及ばないのに。内閣として強行した。

一体、この国葬強行は何を意味するのか?

統一教会の件に於いても、他の発覚する不正に於いても、自民党は全力挙げて真相を隠蔽し、安倍晋三不名誉総理にキズがつかないよう保護するという意思表示だろう。

日本人は武器を持たない。せいぜいデモくらい。基本、何をやっても撃たれない。政治家や官僚、タカをくくっている。安倍は撃たれても、レアケースくらいにしか思っていない。

日本人はバカにされている。

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本当は何を葬ったのか、安倍晋三元首相の国葬から読みとれること
9/28(水) 6:02 Yahoo!ニュース
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国民の「悼む気持ち」はまだ続いていた
 
写真提供: 現代ビジネス
 安倍晋三元首相の「国葬」が営まれた。

 賛否両論があるなかで」というのが、今回の国葬についての報道の決まり文句になった。実際、都内各所では国葬反対デモが行われ、国会前の集会にはかなりの人数の参加者があったという。

【写真】これが安倍元首相の国葬が結構もめる原因ー時期があまりに遅すぎる

 多くのメディアが、そして国葬の主催者が予想しなかったことは、一般献花に長い列ができたことだ。開始時刻は前倒しされ、受付終了の時刻も延長された。事前の世論調査で、国葬反対が賛成をかなり上回っていたため、献花にはさほど人が集まらないと予測されたのだろう。

 列を作ったなかにも、国葬に反対してきた人はいたかもしれない。死者が出れば、なんらかの形で追悼したい。人間にはそんな気持ちが自ずとわいてくるものだ。

 一週間ほど前に行われたイギリスのエリザベス女王国葬でも、事前に棺が公開され、弔問のための待ち時間は最高30時間に及んだ。サッカーの元イングランド代表、デビッド・ベッカムが13時間並んだことはニュースにもなった。

 安倍元首相の国葬が、もっと早い時点で行われたとしたら、献花に訪れる人の数は、膨大な数にのぼったかもしれない。それは、狙撃事件が起こった直後のことを考えてみれば、十分に想像がつく。その時点では、悲劇的な形で亡くなった元首相を追悼したいという思いが国全体に行き渡っていた。

岸田首相の禍根
 これは、前に書いた記事(8月5日公開「これが安倍元首相の国葬が結構もめる原因ー時期があまりに遅すぎる」)でもふれたことだが、岸田首相の決定的な判断ミスは、事件からすぐに国葬をしなかったことにある。戦後の国葬としては、吉田茂元首相のものが唯一だが、そのときは、亡くなってから11日目に国葬が行われている。

 岸田首相

 公開は準備期間が必要だったと弁解するかもしれないが、エリザベス女王国葬も、やはり亡くなってから11日目だった。この11日というのが国葬を行うまでの限度なのではないか。人を悼む気持ちは、それほど長くは続かない。

 私はたまたま、7月12日、安倍元首相の私的な葬儀が行われた日に、読売テレビの「ミヤネ屋」にリモート出演したが、途中、増上寺での葬儀を終えた安倍元首相の遺体を乗せた車が、自民党本部、首相官邸、そして国会をまわって弔意を受けた場面が中継された。そこには厳粛な雰囲気があり、放送にも緊張感が漂っていた。

 その後、ミヤネ屋は、自民党統一教会との関係を追求する急先鋒の番組になったが、国葬が7月12日、あるいは、事件があった8日の11日後、19日までに行われていれば、ミヤネ屋のその後も随分と違ったものになっていたかもしれない。

 国葬での、葬儀委員長としての岸田首相の追悼の辞は、心のこもったものではあったが、国葬までに期間をおいてしまったこと、さらには、閣議決定だけですませてしまったことは、禍根を残す結果になった。

山縣有朋と、伊藤博文
 国葬の追悼の辞のなかで、もう一つ注目されたのは、友人代表となった菅義偉元首相のことばだった。そのなかで、安倍元首相の議員会館の部屋に残されていた読みかけの本が紹介された。

 本は、岡義武著『山縣有朋』だが、端が折ってあって、そこまで読んだことがわかった。その頁でマーカーペンで線が引かれていたのが、山縣有朋が、長年の盟友だった伊藤博文に先立たれた際に詠んだ「かたりあひて 尽(つく)しし人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ」の歌だったという。

 伊藤は暗殺された点で、安倍元首相と共通する。しかも、伊藤も山縣も、旧長州藩山口県の出身で、それも安倍元首相と共通する。そして、この3人はいずれも国葬の対象になった。

 これは、菅元首相が意識していたとは思えないのだが、伊藤の国葬には30万人もの群集が集まったものの、山縣の国葬はまったくの不人気で、会場は閑散としていたと伝えられている。今回の国葬が、どちらに近いものなのか、それは後世に評価されるものになるのかもしれない。

 私の知り合いが、献花の列とデモの両方を調べにいき、その報告をSNSで行っていたが、デモの参加者は、ほとんどが高齢者で、むしろ後期高齢者が多かったという。

特殊な「骨葬」という風習
 国葬のやり方として、私が一つ注目したのは、それが「骨葬」だったことである。骨葬とは、遺体を、通夜、あるいは葬儀の前に火葬にしてしまい、葬儀は遺体ではなく、遺骨の前で営まれるものである。

 多くの人は骨葬に参列した経験を持たないだろうが、それは東北地方を中心に、北関東や南北海道、九州などに広がっている。

 吉田茂国葬の場合にも骨葬だった。そのときのニュース映像が残されているが、そこには、喪主となった茂の長男、文芸評論家の吉田健一が骨壺を持って日本武道館に入る姿が映されていた。今回、安倍夫人の姿が、それに重なって見えた。

 今回の国葬には、217の国、地域、国際機関からおよそ700人の参列者があったというが、そのなかには、依然として土葬が中心の国も含まれている。イスラム教の広がった国や地域では、火葬は地獄の火に焼かれるようだと、それを忌避する伝統が受け継がれている。

 誰もそんなことは取材しないだろうが、土葬の国からやってきた人々が、骨葬をどのように見たか。葬儀の国際比較という観点からすれば興味深い。

 なんと奇抜な、あるいはなんと恐ろしい葬儀ではないか。献花をしながら、そんなことを感じていたかもしれない。葬儀の文化は、国や地域によって大きく違うのだ。

 国内についても、西日本の人たちは、骨壺を入れた袋の大きさに驚いたのではないだろうか。東日本では、火葬したとき、遺族が遺骨をすべて引き取るのが原則になっているが、西日本では、3分の1、あるいは4分の1しか引き取らない。

 安倍元首相も、山口県で火葬されていたら、その骨壺は随分と小さなものになっていたはずである。そうなると、東日本の人たちは、骨壺の小ささに衝撃を受けたに違いない。

皇族の参列の仕方が意味するところ
 もう一つ、世界が注目した可能性があるのが皇族の参列の仕方である。

 天皇上皇夫妻は参列せず、勅使を派遣しただけだった。参列したのは、皇嗣となった秋篠宮などの7人だった。最初に拝礼したのは勅使であり、献花も皇族が最初だった。天皇家や皇族が特別扱いされていたわけで、最初に退席したのも勅使や皇族だった。

 王室が残されている国では、これに似たことがあるのかもしれない。しかし、共和制をとっている国の人々には経験のないことのはずだ。これも、そうした人々にどのように受け取られたのか、興味をそそるところである。

 私はこの場面を見て、仏教式の葬儀における僧侶のことを思い出した。僧侶は導師として法要を行うわけだが、それが終わると一番先に退席する。葬儀と告別式が区別されるのも、導師退場によってである。葬儀場では、導師のために、特別に豪華な履き物が用意されていたりする。

暗殺されなかったらどうだったのか
 今回の国葬を通して、戦前に「国葬令」が存在したことが広く知られるようになった。ただ、その際に重要なことは、国葬とは天皇から「賜る」ものだということである。国葬について研究してきた宮間純一は、「国葬が成立し、完成していく過程とはすなわち、天皇の名のもとに政府が『功臣』の死を装飾し、演出していく軌跡である」と述べている(『国葬の成立』勉誠出版)。

 戦後の国葬は、決して天皇から賜るものではなくなったが、その名残は、皇族の参列の仕方に示されている。少なくとも、国葬を権威あるものとして示すには、皇族の存在は不可欠なのだ。

 国葬には、天皇崩御したときの「大葬の礼」がある。大喪の礼については、「皇室典範」に規定されている。皇室典範では、大喪の礼の対象は天皇だけだとされているが、「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」によって、上皇の葬儀も大喪の礼の形をとるよう定められた。

 その点で、今後私たちが、天皇上皇国葬に接する機会はあるわけだが、それ以外の人間が国葬される可能性はほとんどなくなったのではないか。それに値する人物が現れる可能性は低いし、ましてそうした人物が暗殺されるとは考えにくい。安倍元首相も、暗殺されなければ、決して国葬の対象にはならなかったはずだ。

 今回の国葬は、本当は何を葬ったのか。まだ私たちは、その点を十分に理解できていないように思われる。
島田 裕巳(宗教学者

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