池沢さとし「サーキットの狼」谷田部幸雄の支援

週刊少年ジャンプ連載、池沢さとしサーキットの狼」で、主人公風吹裕矢はモデルの姉ローザに買ってもらったロータスヨーロッパに乗っていた。公道グランプリ前、"青年の父"谷田部幸雄と出会い、サポートを受けるようになった。

ロータスヨーロッパに、公道グランプリでの横転の修理と後付けターボ化。修理待ちの間、公道グランプリでは沖田が走らせていたフェラーリディノ。筑波Aライ模擬レースで慣性ドリフトをマスターするもロータスヨーロッパターボがエンジンブローすると、フェラーリディノを谷田部が開催した流石島レースに向けエンジンをディノV6⇒308のV8換装、ボディーを206Sコンペチオネ風のFRP化した。幻の多角形コーナーリングをマスターし流石島レースを優勝すると、ランチアストラトスを与えた。当時、公道で無法を働いていた黒のランボルギーニカウンタックフェラーリBBに対抗した。そして、6位までの入賞者をヨーロッパF2に派遣するための選抜、日光街道レースに、このストラトスをベースにグループ5仕様改造した。谷田部は風吹への援助を打ち切ると宣言、椿元太郎にBMW320ターボを与えた。

富士スピードウェイでの予選、ランチアストラトスターボはマシン完成遅れの調整不足からあわや予選落ちの危機、何とか最下位通過。レースでは本来のポテンシャルを発揮したが、レース中の接触ジャンプにより足回りを破損、最終コーナーをトップで立ち上ったが、コースアウト&クラッシュした。

風吹の姉ローザが、夫飛鳥ミノルのサポートのため、日本の資産を整理し、それを元手に風吹裕矢はイギリスF3活動を開始した。デビューレースで優勝、マーチからF2テストの機会を得た。モナコF3の結果次第でマーチワークスF2のオファー。ジャンピングターンフラッシュをマスターし、モナコF3を優勝すると、ロータスからのオファーを得るも、谷田部が起こした神風チームゼロ戦007でF1にデビューした。剛性不足などの問題点、エンジン開発を進めた009で、飛鳥ミノルのポルシェフォーミュラーターボ7と同着優勝した。

当時、週刊少年サンデー連載で村上もとか(JINの作者)「赤いペガサス」では、日系イギリス人赤馬研が77年富士スピードウェイでF1チャンピオンを獲得したマンガを描いていた。

 

 

 

 

 

 

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ストラトス・ゼロから始まったストーリー|サーキットの狼世代へ
12/16(金) 6:05 Yahoo!ニュース
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風吹の愛車がシルエットフォーミュラに! そして、日光レースで波乱を巻き起こす
誰しもが通ったであろう「サーキットの狼」という漫画。この作品が登場するまで実在するクルマを描き切った作品がなかったことに加え、漫画に登場するスーパーカー群を乗り継いできた作者によるリアルなエピソード。そして、1人の暴走族がF1レーサーへと成長する過程を丁寧に描いたストーリーに酔いしれた。そんなサーキットの狼世代に向け、往年の名車とともにじっくりと堪能できるシリーズをおおくりする。

>>【画像24枚】オーバーフェンダーがさらにデザインのアクセントとなっている非常に低い姿勢を保つフロントビューなど

プロになった風吹の相棒
シルエットフォーミュラに挑む

【 1974年式 ランチア ストラトス HF ストラダーレ】

 ランチアストラトスを語るうえで欠かせないのが、ディーノ308GT4などを手がけた名門カロッツェリアベルトーネの存在だ。歴史をさかのぼると1970年のトリノショーでベルトーネは「ストラトス・ゼロ」を発表。「ストラトス=成層圏」の名が披露され、後に数奇な運命を歩んだストラトスのストーリーはここから始まった。

 ストラトス・ゼロのベースは、1965年からラリー競技の世界で活躍していたランチアのフルビアクーペ。スポーツモデルとしての資質を秘めたクルマであることには違いなかったといえる。
 しかし、次なるラリーマシンを模索していたランチアにとって、ストラトス・ゼロが、ラリーで勝てるかどうか、という点では疑問が残ったのである。
 というのも、当時、ランチアは会社の転機を迎えていた頃で、次なるラリーカーが必須であったタイミング。

 1969年にフィアットの傘下に入り、新たなスタートを切ったが、大衆車を造っていた大規模な自動車メーカーのフィアットと、高性能なクルマを追求してきたランチア、自動車会社としてのバランス構図はひずみを生んでいた。


1974年式 ランチア ストラトス HF ストラダーレ
SPECIFICATION 諸元
全長×車幅×全高●3710×1750×1114mm
ホイールベース●2180mm
トレッド 前/後●1430mm/1460mm
車両重量●980kg
エンジン●水冷65度V型6気筒DOHC 横置きミッドシップ
総排気量●2418cc
最高出力●190ps/7000rpm
最大トルク●23.0kg-m/4000rpm
生産年●1974~191975年
生産台数●492台
生産国●イタリア
※スペックは池沢早人師ミュージアムに準じる。

 

初出:ノスタルジックヒーロー 2017年12月号 Vol.184
(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)
Nosweb 編集部

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