"王シフト&インロー配球アシスト付"、王貞治の868本、H・アーロンの755本

H・アーロンが言った、「王の記録が日本人全員のバックアップによって達成できたことがとても羨(うらや)ましい。彼はナショナルヒーローとして皆に祝福された。私はナショナルヒーローというほどではなかった。その点は今でも残念だよ」という言葉に、色んな意味がコモっているように感じる。

日本人全員のバックアップ、ちゃんと野球を観ていたヒト、誰も疑問に思わなかったか?

あの王シフトとセットのインロー配球、バカじゃないの?王は約20年で868本、王シフトでよくそんなバカみたいに打たれ続けたモノだと思わない?誰か、左寄せにシフトを敷き、引っ張らせないよう外に配球するのが正解だと気付かなかったのか?巨人のV9と王のホームラン記録をバックアップしてしまった、最大の愚策だったと思う。

大谷翔平の時の右寄りシフトとはワケが違うのだ。メジャー投手は内外高低攻めているが、その傾向に打球が飛ぶデータに基づいてシフトを敷いている。

H・アーロンの頃、白人のルースを抜かせるものか、黒人に打たれるものかと、投げていたように思う。B・ボンズの頃は、もう諦めていたろうと思うけど。

 

 

 

 

 

 

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国民的英雄になれなかった 王とアーロンの違い
2/15(水) 15:00 Yahoo!ニュース
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日米野球ホームラン競争での巨人・王(左)とブレーブスのアーロン=昭和49年11月2日、後楽園球場
【虎番疾風録・其の四~小林繁伝(165)】 快音が響き白球が右翼へと舞い上がった。2、3歩踏み出した王が打球の行方を追う。そして大きく両手を広げてバンザイ。ゆっくりと走り始めた。ハンク・アーロンの記録を抜く通算756号ホームラン。昭和52年9月3日、午後7時10分、後楽園球場。2―0で迎えた三回1死走者なし。投手はヤクルトの先発・鈴木康二朗。2―3後の速球。

◇9月3日 後楽園球場

ヤクルト 000 100 000=1

巨 人 201 000 32×=8

(勝)浅野8勝3敗1S 〔敗〕鈴木12勝7敗

(本)王㊵(鈴木)若松⑰(浅野)張本㉒(佐藤)

試合後、セレモニーが行われた。場内のライトが消され、スコアボードの電光文字がくっきり。スポットライトが当たった王がマイクに向かった。

「みなさまのおかげで756号を打つことができました。巨人のユニホームを着て19年。いろんなつらいこともありました。しかし、756号を打てたいま、私は本当に幸せな男だと思います」

選手会長の堀内が運転する車に乗って場内1周。ヤクルトベンチではプロ5年目の鈴木が「こんなことで名前が残せるなんて、夢みたいです」と感激の声をあげた。

ハンク・アーロン(1934~2021年)右投げ右打ち、外野手。ブレーブス―ブルワーズ。

1973年、ベーブ・ルース本塁打記録714本に「あと1本」でシーズンを終えたアーロンは、ベーブの熱狂的ファンや白人至上主義の人たちから嫌がらせを受けた。そのとき、アーロンが言った言葉、『ベーブ・ルースを忘れてほしいとは思っていない。ただ、私を覚えてもらいたい』は有名である。

74年4月8日、ドジャース戦で715号を放つ。75年ブルワーズに移籍。76年7月20日のエンゼルス戦で755号を放ち、同年、現役を引退した。

昭和52(1977)年当時、アーロンは米ジョージア州アトランタマイナーリーグの選手管理の仕事をしていた。アトランタの球場にも町にも、アーロンの本塁打記録を記念するものはなかった。

「王の記録が日本人全員のバックアップによって達成できたことがとても羨(うらや)ましい。彼はナショナルヒーローとして皆に祝福された。私はナショナルヒーローというほどではなかった。その点は今でも残念だよ」

アーロンの本音である。(敬称略)

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