菊池武夫(83)、BMW Z4を20年!

菊池武夫(83)、『タケオキクチ』の創始者、今まで20年乗っているという、BMW Z4で現れた。その前は、BMW Z3を6年くらい乗っていたらしい。その前にも、BMWで3.3や733や750などを、他車を挟みながら乗っていた。

30年代から父親がビュイックに乗っていたらしく、若くして免許持っていながら更新抜けて、30代でアメリカで取得した免許を取り替えたとか。Z4以外はアメ車ばかり出て来た。別に、スーパーカーに乗っていたワケでも、ポルシェに乗っていたワケでもなかったみたい。

750の5リッターV12にも乗っていたらしいが、大抵、3.3リッターくらいの直6を乗っていて、3リッター直6のウーパールーパーZ4を20年乗っていたのは、確固たる嗜好として良いなと思う。しかし、個人的にウーパールーパーメルセデスの回し者、クリス・ヴァングルの時期のクルマ、好きとは言わない。とは言いながら、ワタシもグランツーリスモでこのZ4によく乗っていた。

次回は麻丘めぐみ?やたら、昔の歌手や女優を使うネ。

 

 

 

 

 

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TAKEO KIKUCHI創始者菊池武夫「車のデザインをしたい」 歴代愛車と人生明かす
5/13(土) 22:00 Yahoo!ニュース
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これまでの愛車を振り返ったファッションデザイナー・菊池武夫さん
ファッションブランド『TAKEO KIKUCHIタケオキクチ)』の創始者で、デザイナーの菊池武夫さん(83)が、歴代の愛車と共にこれまでの人生を振り返りました。

菊池さんは1970年、31歳で洋服のブランド『BIGI』を立ち上げ、1975年には社会現象になるほどヒットした男性服ブランド『MEN’S BIGI』を展開。さらに1984年には、自らの名前を冠したブランド『TAKEO KIKUCHIタケオキクチ)』を立ち上げ、伝統的な英国風なスタイルをベースに遊び心を加えた衣装で、多くの男性を虜(とりこ)にしました。菊池さんは、来年40周年を迎えるブランドのクリエーティブディレクターとして、現在も第一線に立ち続けています。

■20年間乗り続けている愛車
 
BMW Z4
菊池さんが、20年間乗り続ける現在の愛車は『BMW Z4』。ワイド&ロー、そしてロングノーズ&ショートデッキのスポーツカーらしい唯一無二のデザインは、2003年に日本で発売されると、たちまち人気となりました。

BMW Z4』を愛車にした理由について、菊池さんは「2003年に雑誌の取材を受けた時に、“20年間乗れる車はどんな感じ?”と、聞かれたので“これです!”と答え、(有言実行で)乗り続けてきました。(今でも)飽きはこないですね。運転できる限り乗るつもりです」と、愛車への思いを明かしました。

続けて、菊池さんは「僕はいろんな(メーカーの)車に乗ってきたけど、デザインが気に入って、いつのまにかBMWしか乗らなくなった。ドイツのミュンヘンにある『BMW MUSEUM(ミュージアム)』に4回行っている」と、BMWの車に夢中になっていることを明かしました。

■Z4をデザイナー目線で見て…
 
菊池武夫さんが20年間乗り続ける『BMW Z4
ファッションデザイナーの菊池さんが、Z4のデザインで気に入っているのが、フロントタイヤとドアの間にあるメーカーのロゴ入りのウインカー。菊池さんは「こういうちょっとした所が気になる。全体のプロポーションと、ディテールがやっぱりすごい。テールランプのデザインも(気に入っている)」と明かし、ボディーカラーについては「(運転席を覆う)ベージュの幌(ほろ)を決めてから、それに合う車体の色を決めた」と、こだわりを明かしました。

またZ4の乗り心地について、菊池さんは「直列6気筒のエンジンはいい。極端じゃなく、軽くてちょうどいい(走り)」と明かしました。

■ファッションデザイナーとして23歳で独立
デザイナーを目指すきっかけについて、菊池さんは「18歳の時に、銀座の洋服店2店舗で、オーダーメイドでスーツを作るアルバイトをしていた。その時に、(客の要望を聞いて)下手なデザイン画を描いていたから、少しずつ(デザイナーとして)目覚めていった。それで結婚を機に、こんなことはやっていられないと23歳で独立しました」と、若くして自身が歩む道を見いだしたそうです。1970年、31歳の時にファッションブランド『BIGI』を、友人らと立ち上げた菊池さん。反響について「(立ち上げて)半年で、こんなに売れるのか! 下積み時代はなかった」と、順風満帆だったと明かしました。

■赤坂で著名人と交流 夜遊び用の愛車
 
キャデラック フリートウッド ブロアム
続いて登場したのは、菊池さんが35歳の時に購入した愛車『キャデラック フリートウッド ブロアム』。アメリカの大排気量エンジンは、通称・ビッグブロックエンジンと呼ばれ、広大なアメリカを横断する際にも疲れを感じさせず、低回転でも高速走行で優雅なクルージングが楽しめます。ゆったりとした室内も魅力的で、4ドアならではの使い勝手の良さ、一度味わうと忘れることができない特別な時間をすごすことができる車です。

かつての愛車と対面した、菊池さんは「これは(運転手に)運転してもらう夜遊び用の車だった。2台買って外装は黒、内装は赤」と回顧。そして、久々にハンドルを握った菊池さんは、「いまの感覚で言うと、なんでこれを買ったのかな? と思う。当時はこれが最高だと思っていた」と明かしました。

当時のプライベートについて、菊池さんは「昼間仕事をして、夜は音楽を聞くのが好きだから東京・赤坂の(ディスコ)に行った。俳優やミュージシャンいろんな人とあって、毎晩のように(酒を)飲んでいました。当時の業界の人たちの(酒の)飲み方はめちゃくちゃでした。ロックンロールの内田裕也さんは、若いときから変わった人でした。永ちゃん(歌手・矢沢永吉さん)なんかにも会いましたよ」と、著名人との交流を懐かしみました。

■夜の交流がきっかけで…
1975年、菊池さんが36歳の時に、英国調クラシックをベースに、大人のエレガントさと不良っぽさをミックスさせたブランド『MEN’S BIGI』を立ち上げ大ヒット。1980年代に起きた空前のDCブランドブームをけん引しました。

ブームのきっかけは、1974年に放送が始まった大ヒットドラマ『傷だらけの天使』で主演の萩原健一さんが『MEN’S BIGI』の衣装を着たこと。洗練されたファッションが当時の若者に多大な影響を与えました。菊池さんは「赤坂で知り合った俳優の萩原健一さんが、“今度ドラマやるから衣装やってよ”と言われた」と、萩原健一さんから直接オファーがあったことを明かしました。

■自らの名前を冠したメンズブランド
そして1984年、菊池さんは自らの名前を冠したメンズ服ブランド『TAKEO KIKUCHI』をスタート。反響について、「ショーを何回かやっている間に勢いが出てきて、僕が『MEN’S BIGI』でやっていたことを知っている人が多かったから、結構話題になって軌道に乗りました」と、振り返りました。

■一目ぼれした愛車で一人旅
 
キャデラック セビル
最後に登場したのは、菊池さんが51歳の時の愛車『キャデラック セビル』。キャデラックとしては当時、最小ボディーサイズで内外装は高品質化。ラグジュアリーモデルとしては2番目に高額な価格で販売されました。

愛車にした理由について、菊池さんは「前から見ると(他のキャデラック車と)変わらないんだけど、(後部デザインが)英国車みたいで気に入って買ったんですよ」と、一目ぼれだったと明かしました。

約30年ぶりにハンドルを握った菊池さんは、「乗り心地はアメリカ車。先のブロアムと比べたら、かなり運転しやすい。セビルで3か月くらいかけて日本1周をしたことがあった。その間、会社はズルして休ませてもらって…(当時は)猛烈に大変で結構ストレスたまっていましたね」と、1人になる時間が必要だったと明かしました。

 
TAKEO KIKUCHI』を創設したファッションデザイナー・菊池武夫さん
最後に菊池さんにとって車とは? と質問すると「デザインしたいもの。本当は車のデザインをしたいんですよ。何回かトライしたんだけど、やっぱりできなかった。洋服とは違って、外側だけでなくエンジンとかも含めて、車のデザインの方が圧倒的に楽しい」と、分野の垣根を越えたデザインへの意欲を示しました。

(5月13日放送のBS日テレおぎやはぎの愛車遍歴』を再構成)
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