澤村拓一(35)才能がない×⇒◯オンナを見る眼がない!

巨人⇒ロッテ⇒MLB⇒ロッテ澤村拓一(35)、野球の才能がない?イヤイヤ、才能は素晴らしい!中央大で開花し、巨人でドラ1入団したのだ。単に、日テレ森麻季に青田買いされた、オンナを見る眼がなかっただけだ。売名目的オンナを見抜けなかっただけだ。

もっと言えば、名字が沢村栄治の澤村だったコト、入団した球団が巨人だったコトが不幸だったコトだ。もっと言うと、中央大に阿部慎之助捕手がアタマの上がらない先輩としていたコト、元巨人の背番号11高橋善正が監督だったコトが不幸だった。

長嶋茂雄監督以降の40年近く、巨人がダメな理由、森昌彦引退後にちゃんとした捕手が育たなかったコトだ。吉田や矢沢は補欠時代が長過ぎ、投手への理解も打者との駆け引き経験もミットを動かさないキャッチングも煮詰められなかった。山倉は江川と西本という、武器の偏った投手のリードに慣れ過ぎ、フツ~の投手のリードがデキなくなった。また、ミットを動かさないキャッチングはデキなかった。以後の捕手、村田以降の阿部も小林も、リードも肩もキャッチングもダメ、巨人投手陣は球威とキレで抑えるしかなくなっている。

そして、巨人入団でハズレ背番号、2と並ぶ15を与えられてしまった。城之内が不幸な状況になった辺りから凶化され、横山は最下位のトシにクビ、山倉は増長してクルマの事故で肩を故障し、ナマクラと言われた。

澤村の年代では、裏ガネもなくなっていたハズ。他球団マークなら森麻季に引っ掛かるコトもなかったろう。他球団なら、坂本とセットでアンダーアーマー社長のペット化され、六本木漬けになるコトもなかったろう。他球団で背番号14を与えられていたら、キチンとした捕手と組めたら、キチンとしたピッチングとトレーニングを身につけ、トレーナーの治療ミスもなく、MLBをクビになるコトもなかったろう。

選べなかっただけだ。

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「僕には才能がない」ロッテ・澤村拓一35歳が語る“常に逆境”の野球人生
5/22(月) 10:01 Yahoo!ニュース
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撮影:倉増崇史
澤村拓一は逆境に強く、己の信念をボールに乗せて投げるピッチャーだ。
読売ジャイアンツ時代の2020年、開幕から不振が続き、一度は現役生活の終わりを覚悟した。それでも移籍した千葉ロッテマリーンズで輝きを放ち、2021年からは2シーズン、MLBボストン・レッドソックスで活躍。そして今年3年ぶりにロッテに戻ってきた。スケールアップした澤村の実像に迫る。(取材・文:二宮寿朗/撮影:倉増崇史/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)

自分の周りにイエスマンはいらない
 
撮影:倉増崇史
威風堂々──。
メジャーリーグから千葉ロッテに帰還した澤村拓一には、その表現が実によく似合う。一球一球に魂を込めた真っ向勝負。一切混じり気のない「ド」がつくほどの迫力をボールに乗せて。
頼れる剛腕が登場すると、スタジアムは一気に盛り上がりを見せる。2005年以来となるリーグ制覇に向けて、澤村が欠かせないキーマンであることは言うまでもない。

「優勝したいというよりは、目の前の試合に勝っていきたい。一試合、一試合を継続すること。積み重ねですね。だから3連戦を2勝1敗でいいとか、1勝2敗でも大丈夫だとか、そんなことを考えているようではダメです」

澤村は言葉もストレートだ。アメリカでの2年間が彼に心の変化をもたらせた。

「向こうで生活して、人に対しても、起きた物事に対しても許せるようになった。それが自分のなかでは大きかったです。自分の育った環境によってつくられた常識って結局は偏見の集まりじゃないかって。そう思えるようになってからは、物事を柔軟に見られるようになった。そこから精神的な余裕が出てきましたね」

 
写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ
心の余裕はピッチングにも反映される。試合で示せばいいという環境は、不器用な男にとって居心地が良かった。
澤村がかねてメジャーリーグに憧れを抱いていたのは事実だ。とはいえ2020年10月に海外FA権を取得した際、海を渡ることが決してマストではなかったという。

「今、振り返ってみると必ずしも行きたいというわけではなかった。アメリカに行くか、ここ(ロッテ)に残るかとなったときに、信頼する自分の古い友人たちから『チャンスがあるんだったら絶対に行ったほうがいい』と言われたんです」

澤村は本音をぶつけてくれる古くからの友人を大切にしてきた。信頼する人の言葉には耳を傾ける。「友達は少ないですよ」と語るものの、それだけ古くからの友人と濃密な付き合いをしてきたからだといえる。自分の背中を押す決め手の一つになったのだ。

「自分の周りにイエスマンはいらないです。いいことは、みんな言ってくれるじゃないですか。これは僕の信条なんですけど、自分のことにハイハイとうなずいて相づちを打ってくれる人よりも、ダメなときにダメって言ってくれる人間を大切にしている。そういう人を自分の右側に置いています。自分の古くからの友達は確実にそうですね」

澤村は言葉に力を込めた。

戦力外の恐怖と闘っていた巨人時代
 
撮影:倉増崇史
きっぱりと「あのときは挫折」と言い切るのが、巨人でプロ10年目を迎えた2020年のシーズンである。中継ぎとして結果が伴わず、先発のチャンスも生かせない。一軍のマウンドからも遠ざかった。

「何をやってもうまくいかない時期に差し掛かっていたと思うし、戦力外の不安や恐怖とも闘っていました。もう野球は終わりかくらいに考えていたし、足を半分そこに突っ込んでいましたから」

救ってくれたのが、ダメなときにダメだと言ってくれる友人たちであった。

「自分の可能性をとにかく信じてくれたんです。だからこそ自分もその気になったし、自分の力を信じることができました。言葉の力って大事なんです。僕は常に逆境です。追い風なんて一回もないですよ。向かい風ばかり。でも最終的にははねのけてきたでしょみたいな感じの捉え方を周りがしてくれたので、僕としては助かりました」

 
写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ
振り返ってみれば、澤村の野球人生は逆境の連続だった。エースになれなかった佐野日大高から中央大へ進学したものの「あまり期待されてはいなかった」。それでも大学4年間を通じてピッチングに磨きをかけ、巨人からドラフト1位指名を勝ち取るわけである。

「僕には持って生まれた才能がない。だから誰よりも練習をやってきた。体が強いというのも、強くしてきたから強いわけで。積み重ねることしかできない」

積み上げることをやめなかったからこそ、再び輝き始める。
2020年9月7日、ロッテへの電撃トレードが発表されると、即出番が回ってきた。ユニホームが間に合わなかったために打撃投手の「106」を背負って登場し、3者連続三振でねじ伏せた。この日の活躍はロッテファンの語り草となる。結局22試合に登板して、チームはソフトバンクに大差をつけられたとはいえ13年ぶりとなる2位にこぎつけている。2020年限りでクビまで覚悟した男は、ロッテで再生してレッドソックスではポストシーズンのマウンドにも立つというストーリーを描いた。

V字回復ならぬ「ナイキ(のマーク)よりも上がっていた」。

ロッテで終わりたい、やめるのは今じゃない
 
撮影:倉増崇史
2022年9月にレッドソックス自由契約となり、日米両方において次のプレー先を探すことになった。複数の球団が手を挙げるなかで選んだのはロッテであった。決め手は「人」だった。

「ガキのときに始めた野球をこれまで続けてきて、若手よりはこの先長くはない。そう考えると誰と一緒に野球をやって、どこで終わるかっていうのは自分にとってものすごく重要だったので、ロッテに帰ってきました。(益田)直也らオフに一緒にゴルフをする連中もいれば、(美馬)学さんら食事をする人もいて……僕は結局人が好きなんで、最終的にはここで終わりたいと思えたんです」

吉井理人監督の存在も外せない。2020年は投手コーチとして支えてもらった。

「基本的に僕には何も言わないですけど、困ったことがあれば聞きにいくし、きちんと選手のことを思って動いてくれる人なので、選手たちも自然と『吉井さんのために』ってなりますよね。僕もその一人です」

キャリアを積んだ年長者として、自分なりのトレーニングを構築したアスリートとして若手に対する影響度も大きい。どのようなスタンスで接していくのか──。

「自分が引っ張るみたいなことは1ミリも思ってないです。一緒に成長していく、それだけ。ただ、傷口をなめ合うようなうわべだけの人間関係はやめようぜって」

澤村はそう言って、真っすぐな視線をこちらに向けた。

 
撮影:倉増崇史
威風堂々には、彼の生き方が映し出されている。

「野球のこと、体のこと、栄養のこと。うまくいく、いかないというのはプロの世界なのでもちろんある。でも、やらないで物事を語る人が多すぎる。物事は自分が体験する以上に、いい方法はないんです。変化しようとする心は持っているし、いろんな物事に対しても耳を傾けているつもりです。ただ自分の信念だけは、絶対に揺るがない。そう思っています」

1988年度生まれの「ハンカチ世代」は田中将大柳田悠岐秋山翔吾大野雄大らプロの世界で長く活躍する選手がいる一方、斎藤佑樹大石達也らユニホームを脱ぐ選手も多くなった。だが35歳になった澤村は、現役の終焉など頭にない。

「僕にもいずれ来るんだろうけど、それは今じゃないなと。衰えているとはまったく思っていません。それこそトレーニングをずっと続けてきたおかげでアメリカでも力勝負ができました。自分の場合、ルーキー時代よりも球が速いわけですから、四十何歳くらいまでは投げたいですね」

信念は剛直に、姿勢は柔軟に。澤村拓一のストーリーはまだまだ続く。

 
撮影:倉増崇史
澤村拓一(さわむら・ひろかず)
1988年4月3日生まれ。栃木県出身。佐野日大高、中央大を経て、2010年ドラフト1位で巨人に入団。プロ1年目は11勝を挙げて新人王を獲得。2016年には初のタイトルとなるセーブ王に輝いた。2020年のシーズン途中に巨人からロッテに移籍。2021年からの2年間はメジャーリーグレッドソックスで活躍。今年1月にロッテ復帰を発表した。
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