ドコまでの基準?A・ニューイのF1マシン、通算200勝達成!

A・ニューイが手がけたF1マシン、通算200勝達成!

カレを語る時、似た時期に似た状況にあった人物を思い出す。80年代後半、レイトンハウスマーチのデザイナーをしていたA・ニューイと同時期に、ベネトンのデザイナーをしていたR・バーンだ。2人とも、作風に違いこそあれ、ジャッドV8とフォードV8という、当初は量産の90度V8から、シャシー断面に隠れる狭角V8で超高速コーナーを得意とする空力マシンを作り上げた。

A・ニューイのレイトンハウスマーチは'88年後半、I・カペリのドライビングでマクラーレンホンダターボのA・プロストやA・セナを一瞬抜いた。R・バーンのベネトンは、T・ブーツェンとA・ナニーニのドライビングで、ホンダターボエンジンを失ったウィリアムズを抜いた。以後、この2人の空力デザイナーはクローズアップされた。

しかし、互いに90年代前半までは苦労した。ニューイのレイトンハウスはジャッドエンジンの信頼性に苦しみ、バーンのベネトンフェラーリからJ・バーナードを招きデザインを覆された。

先にチャンピオンマシンを手掛けたのは、A・ニューイ!V10&V12のホンダ撤退後、最強のルノーV10を持つウィリアムズに移籍し、P・ヘッド下で空力デザイナーとしての能力を遺憾なく発揮、N・マンセルとA・プロストをチャンピオンにした。しかし、先にチーフとしてブレークしたのは、R・バーン!バーナード離脱とM・シューマッハ加入、給油レギュレーションを活かし、燃費に優れた狭角フォードV8に依る軽量マシンで'94年A・セナを抜いて見せた。A・セナは焦り、規格未達ヘルメットとステアリングシャフト切断&細いシャフト再溶接&溶接箇所ピン未着に依り、イモラで事故死した。ニューイはセナの死の直接被告にされた。

バーンはシューマッハV2の功労者になったが、シューマッハフェラーリ移籍、J・アレジ&G・ベルガーというタイトルの望み薄な2人になった。少しして、バーンは引退した。ニューイはマクラーレンへ移籍し、空力デザイナーとしてM・ハッキネンのV2に貢献した。

バーンはその後、シューマッハフェラーリにデザイナーとして招かれ、当時最多チャンピオンのファンジオを上回るのに貢献した。

ニューイは、レッドブルのデザイナーに就任して今に至るハズ。

バーンのベネトンB188&189やニューイのレイトンハウス88&89、プラモデルでも作ったし、好きなデザインだった。

 

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エイドリアン・ニューウェイが手がけたF1マシン、通算200勝を達成。1勝目は”ウイリアムズFW14”での1991年メキシコGP
6/19(月) 18:16 Yahoo!ニュース
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エイドリアン・ニューウェイ
 今年のF1カナダGPでは、レッドブルマックス・フェルスタッペンが優勝。この勝利でフェルスタッペンの通算勝利数は41となり、伝説的F1ドライバーであるアイルトン・セナに並ぶことになった。ただ今回の勝利はそれだけではない。レッドブルにとっても通算100勝目、また現在同チームのチーフ・テクニカル・オフィサーを務めるエイドリアン・ニューウェイが手がけたマシンとしても通算200勝目ともなり、まさに記念すべきグランプリとなった。

【ギャラリー】これが鬼才の仕事。エイドリアン・ニューウェイ作のベスト10マシン

 カナダGPの表彰台にレッドブルコンストラクター代表として登壇したのは、ニューウェイだった。これは、彼が手がけたマシンの通算200勝目を記念したものだった。

 ニューウェイは1980年にフィッティパルディに加入してF1でのキャリアをスタートさせると、その後マーチに移籍。F2やIMSACARTのプロジェクトを経て、1988年にマーチ881を手がけてF1へ復帰。ウイリアムズに移籍して最初に手がけたFW14でF1初勝利(リカルド・パトレーゼが勝ったメキシコGP)を挙げ、1992年にはFW14Bで初のチャンピオンに輝いた。その後も強力なマシンを生み出し続け、ウイリアムズ、マクラーレンレッドブルで合計13台のチャンピオンマシンを送り出した。

 その内訳はウイリアムズで59勝、マクラーレンで41勝、そしてレッドブルで100勝である。なおこの200勝という数字には、ニューウェイが改良を施したマクラーレンのMP4-12(1997年)や、ニューウェイのマシンの派生型マシンであるトロロッソSTR3(2008年)は含まれていない。

 ニューウェイはこの偉大なる記録について、「ボーナスのようなモノだ」と語る。

「素晴らしい旅だった。子供の頃からの夢は、エンジニアリングに関わること、自動車レースに関わることだった。初めて自動車レースの仕事に就き、初めての給料をもらった時は、本当に重要な瞬間だった。それ以降の全ては、ボーナスみたいなものだ」

 F1における最高の瞬間は、前述の1991年メキシコGPで、自身が手がけたマシンが初めて勝った時だとニューウェイは語る。

「どのレースも、間違いなく特別なモノだ。もちろん、際立っているのは1勝目のメキシコだろうね。それから、チャンピオンシップが危うくなった瞬間もそうだろう」

「シーズン最終戦が(最高の瞬間だ)と言う人が多いだろう。もちろん、そういうレースは記憶に残っている。(2010年の)アブダビでのセバスチャン(ベッテル)対フェルナンド(アロンソ)、それから(2021年の)マックス対ルイス(ハミルトン)もそうだね」

 F1でのキャリアはいつ終わるのか? そう尋ねられたニューウェイは、仕事を楽しめている間はレッドブルで満足できているため、すぐに引退する予定はないと語った。しかしながら、引退へのカウントダウンは”現実的”に始まっているとも認めた。

「私は幸運なことに、ずっとやりたかったことをすることができ、仕事を楽しむことができている。この仕事が大好きなんだ」

 そうニューウェイは言う。

「もちろん、私のキャリアが永遠に続くわけじゃない。チームが私を必要としてくれて、私がそれを楽しむことができる限り、この仕事を続けていくと思う」

「しかしそれは……現実的にはカウントダウンが始まっているはずだよ。ただ、その日が正確にいつなのかは分からない」
 
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