江川&松坂、不勉強な2人が喋るとこうなる!

江川卓松坂大輔、片や100球肩の開祖、片や70年代から80年代NPBが被害を被った、MLB実績をタテにソフトバンクから3年12億踏んだ食ったイカサマメジャーリーガー!この2人が佐々木朗希やタマ数を語ると、こんなバカ話になる。

 

 

カレら2人、小中高トレーニングをイヤイヤやらされて来たのだろう。カレらのそのトレーニングが、その後のカレらにどんなにか財産になったか、一切理解していなかった。

江川卓は高卒時、せっかく阪急ブレーブスに1位指名されたのに会いもせず拒否、あの頃山田久志を筆頭に足立光宏山口高志ら最高の投手陣と環境を放棄した。ソレどころか、慶大深田教授に蹴られて不合格、法大に裏口入学して、ヌルい大学トレーニングで右肩を故障、大卒ではクラウンライターライオンズの1位指名を蹴り、1浪し更にヌルいトレーニング環境になり、空白の1日問題など、船田代議士など巻き込み野球以外の騒ぎばかりだった。カレがある程度カラダのキレを取り戻した頃、長嶋茂雄は監督を退任し、江川卓登板日無気力試合を先導した王貞治が助監督⇒監督と残った。

松坂大輔、横浜高渡辺監督までの指導者達が走らせ、投げ込ませたおかげで、3年春夏甲子園制覇デキた。もっとも、2年の時は上地雄輔のサインにクビを振って打たれたり、暴投で甲子園をフイにしていた。上地の将来すらブチ壊したろう。高卒で西武に1位指名されたのが不幸だったのか、NPB最も練習のヌルい西武で10代トレーニングの財産を食いツブし始め、日テレ柴田倫世マンション前の駐車違反には御守役"日本のヒーロー"黒岩彰を替玉出頭させるという犯罪行為に及ぶくらい、心身とも腐り始めていた。3年連続最多勝やって以後はコンスタントに故障離脱、唯一の日本一は石井貴"最後の煌めき"のおかげだった。レッドソックスワールドシリーズを制し、2度のWBCでは"最高の見せ場"キューバ戦に勝ちMVPを獲ったが、以後トレーニング貯金が尽き、上体力任せパワーピッチで熟年ノーコン、MLBを追われた。王貞治会長以下ソフトバンクの節穴スカウティングのせいとはいえ、3年12億タダ取りという、過去害人助っ人も未到の禁字塔を立てた。中日でも実稼働1年だけで年金暮らし、キャンプではオバチャンに触られただけで肩を負傷するという、ヤクザ真っ青のインネン付けて計画的に中日キャンプを無断離脱、調整日数アメリカ滞在した。挙げ句に、西武にも年金在籍した。MLBから帰って来て、見事に晩節を汚し切った。

2人とも、このトシになっても、10代の瞬発力・持久力トレーニングの重要性を理解デキずに解説や評論の仕事をしている。

未だに、正しいスポーツ科学は確立されていない。アメリカのスポーツ科学は、野球に於いて10代の鍛練観念がなく、欠陥理論だ。10代鍛練してないヒトを、瞬発力偏重トレーニングで強化し、体格任せにパワープレーヤーにするだけの理論でしかない。

大船渡高で佐々木朗希を担当した国保監督、自分では考えられず、母校筑波大運痴学者達に丸投げし、そのアメリカのバカスポーツ科学を元に、160キロ出すだけの大男を作った。そのせいで、あの岩手県決勝や高校選抜の問題を起こし、プロでの3年間、佐々木朗希のための千葉ロッテを作り上げた。

ロクに取材活動すらしない江川卓松坂大輔には、佐々木朗希のトレーニングが瞬発力偏重であるコトすらわかってないだろう。未だに、自分達が甲子園出場や制覇のため、連戦の体力養成のため、課された持久力トレーニングであったコトもわかってないだろう。

バカって、悲しいモノだ。

作新学院までの指導者や横浜高渡辺監督までの指導者、本心では嘆いているだろう。

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江川氏×松坂氏 W怪物が佐々木朗希を語り尽くす「僕になくて彼にあるのは…」「体の使い方が上手」
7/31(月) 21:00 Yahoo!ニュース
  
松坂大輔
 「平成の怪物」松坂大輔氏(42)が31日更新の公式YouTubeチャンネルに「昭和の怪物」江川卓氏(68)を招いて、「令和の怪物」であるロッテ・佐々木朗希投手(21)を語り尽くした。

 佐々木朗の印象について…。

 江川氏は「僕になくて彼にあるのはフォークボール」と切り出した。

 「ストレートは僕は自分では自信を持っている。(佐々木朗は)フォークボールで三振を取るタイプ。同じストレート系でも形がちょっと違う」

 松坂氏は「あの身長(1メートル92)、腕の長さ、足の長さを持っているが、体の使い方が上手だなというイメージと、コントロールがめちゃくちゃいい」と明かした。

 制球力に関して、江川氏は「(1試合の球数)ベースが100球で、イニング投げないといけないからボール球をあまり投げられない。我々は何球でもいけるという感じだったが、そこが違う」と指摘した。

 話は「100球」が日本で上限の目安になった由来に及んだ。

 江川氏は「知ってます?僕が最初にマスコミの方に“100球肩”って言われた。100球でボール(球威)が落ちるとか色々言われて…」と明かし、松坂氏は「江川さんのおかげなんですね」と素直に感心していた。



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