新浦寿夫(72)、リアル巨人の星!

新浦寿夫(72)、韓国籍だったコトが幸いしたのか?静岡商1年夏、甲子園準優勝後、高校中退して巨人にドラフト外入団、殆ど梶原一騎巨人の星」そのものな入団経緯だ。青雲高星飛雄馬は1年夏甲子園、花形満の紅洋高に負け準優勝、青雲高を中退し、巨人にテスト入団した。他のマンガなら水島新司「男どアホウ甲子園」藤村甲子園が東大1年で東京六大学を制し、退学後に阪神と契約した話がある。今は、高校や大学中退しても日本国籍なら、必要年数経たないとドラフト対象にならないんじゃなかった?大越や石田らみたいに。

新浦寿夫の場合、第1次長嶋茂雄監督下2年目にブレークしたハズ。前年は毎度色んな場面で使われては、過大なプレッシャー下か超大汗かきながら四球出していた。様々な場面に起用された経験は、先発中継抑えフル回転で活躍した。ブレークしてからも、江川卓入団後は鼻血降板後に大御所リリーフしていた。カレのアダ名はカッパじゃなかった?給料泥棒なんて、聞いたコトなかった。

第1次藤田元司監督下まで巨人で投げていたが、韓国プロ野球が始まった時、韓国に渡った。数年プレー後に、横浜に戻り技巧派として活躍した。

 

 

 

 

 

 

 

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巨人のレジェンド左腕につけられた、あまりに酷い「呼び名」 新浦壽夫氏「ハッキリしてますよ」
8/2(水) 19:14 Yahoo!ニュース
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新浦壽夫氏(2016年撮影)
 巨人、大洋(現DeNA)などで活躍し、NPB通算116勝、韓国プロ野球でも54勝を挙げた新浦壽夫氏(72)が2日に更新されたYouTube「よしひこチャンネル」にゲスト出演。巨人入団直後の苦労などを語った。

【写真】静岡商時代の新浦壽夫

 新浦氏といえば、183センチの長身を生かした角度のあるストレートと大きく曲がるカーブで、第1次長嶋政権から長く巨人のマウンドを支えたサウスポー。静岡商1年の時(1969年)、夏の甲子園で準優勝に導き、一躍、脚光を浴びた。

 「甲子園に行っちゃったもんですから、それで僕は名前が売れたんですね」

 当時の新浦氏は韓国籍。その頃のドラフト制度では、外国籍選手は日本の学校を卒業しても、ドラフトにかける必要がなかったため、MLBの名門サンフランシスコ・ジャイアンツも参戦する「大争奪戦」となった。「体が丈夫であれば、第2号のメジャーリーガー(だったん)です」。体調面、環境面などを考慮して、高校を中退して、ドラフト外で巨人へ入団。17歳で勝負の世界に身を投じた。

 ただ、プロの世界は決して甘くない。新浦氏は入団直後に左肩を痛め、ほぼ1年棒に振った。「巨人軍の1軍クラスの選手の人から名前を呼ばれないんです、僕は。(手招きしながら)契約金泥棒って」。あまりに昭和すぎる「仕打ち」に、ホスト役の高橋慶彦氏は「ハッキリしてるの~」とあきれ顔。「ハッキリしてますよ」と返した新浦氏は「何かあれば“契約金泥棒”って」と若き日の悔しい体験を笑顔で話していた。

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