80年代中盤、このスズキGSX-R400、ハーフカウルがそそった。週刊少年マガジン連載、しげの秀一「バリバリ伝説」で主人公巨摩郡&聖秀吉コンビがイチノセからエントリーした、鈴鹿4Hで使われたバイクだったハズ。
当初は峠、巨摩郡はホンダCB750F、聖秀吉はスズキGSX1100Sカタナだったハズ。ソコに同級生一ノ瀬みいがサーキットへと誘った。
ノービスF3の鈴鹿4H、第1ライダー聖、第2ライダー巨摩で4時間を3回交替、1スティント1時間。つまり、聖でスタートし巨摩でゴールするプラン。聖が抑えて走り、巨摩が追い上げる。妨害行為で聖が転倒し、周遅れになったが、前後タイヤ交換してラスト1時間以上を全開スプリント。ファイナルラップ三巴の展開で、130Rでインのゼブラゾーンに乗り上げ、コースアウトしながらオーバーテイク、巨摩がトップでゴールした。
ノービスF3で、聖にはヨシムラから声が掛かり、巨摩にはB級への特別昇格が掛かった。今度は聖仕様と巨摩仕様のスプリント用に、GSX-R二種類が用意されていた。そんな時、聖は峠で転倒したバイクを避ける際に対向車線のクルマと衝突、亡くなった。
巨摩はノービスF3最終戦をブッちぎりで優勝、B級に特別昇格し、翌年全日本250にホンダのRS250でエントリーした。
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オートバイのあれこれ『400レプリカ時代、開幕。』
2/2(金) 18:45 Yahoo!ニュース エキスパート
Rotti.
モトエンスー(moto enthusiast)
全国1,000万人のバイク好きたちへこのコーナー。
今宵は『400レプリカ時代、開幕。』をテーマにお話ししようと思います。
『RG250Γ(ガンマ)』の登場を機に、熱を帯び始めたレーサーレプリカブーム。
ガンマをリリースしたスズキは、このブームをいっそう加速させるオートバイを立て続けに世に放ちます。
『GSX-R(400)』。
「GSX-R」は『GSX-R1000』などに見られるように、現在もスズキのスーパースポーツブランドとしてよく知られていますね。
この名ブランドの元祖が、1984年(昭和59年)に400ccのレプリカとして登場したのです。
ガンマと同様、GSX-Rの作りこみは当時のバイクファンたちを驚かせるひじょうにレーシーなものでした。
まずはその見た目。
スズキの耐久レースマシン『GS1000R』を思わせる丸目二灯ヘッドライトを備えた大きなカウルは、ガンマの時と同じく一般ライダーへ大きなインパクトを与えました。
エンジンは、その佇まいにふさわしくクラストップの59psを発揮。
1983年登場の『GSX400FW』に搭載された水冷4バルブDOHC4気筒エンジンをベースに、ハイパワー化とコンパクト化が徹底的に追求されました。
その馬力ももちろんポイントなのですが、GSX-Rのエンジンは単体重量で約65kgと、元々の400FWのエンジンから10kg以上軽くなっていたことも見逃せません。
▲GSX400FW(1983/画像引用元:スズキ)
そしてフレーム。
ガンマに続き、GSX-Rにもアルミ製の角パイプフレームが採用されました。
GS1000Rのフレーム構造を参考に、59psをしっかり受け止められる頑丈さを持たせながら、単体で7.6kgという驚異的な軽さを実現し、GSX-Rの乾燥車重152kgに大きく貢献しました。
250ccクラス並の軽量な車体に約60psのエンジンが組み合わされたGSX-Rはまさしく「レーサー・クオリティ」で、新車販売価格が62万9,000円と当時の400ccモデルにしては高価でしたが、それでも“スズキの本気”をビンビン感じるGSX-Rの作りこみは何事にも代えがたく、GSX-Rはデビューするやいなや大人気モデルとなりました。
そしてここから、2ストクウォーター(250cc)レプリカと並び、4スト400レプリカも大いに盛り上がることとなるのです。
▲『GSX-R』は今もスズキの名ブランドだ
《参考》
SUZUKI Digital Library - GSX-R(400)
Rotti.
モトエンスー(moto enthusiast)
バイクを楽しむライター。バイク歴15年で乗り継いだ愛車は10台以上。ツーリング/モータースポーツ、オンロード/オフロード、最新バイク/絶版バイク問わず、バイクにまつわることは全部好き。
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