セルシオ>インフィニティQ45

280馬力を連発し、運輸省に"カタログ表示"自主規制のきっかけを作ったのは、ニッサンだった。初代シーマでは3リッターV6ターボで255馬力、スープラターボAで3リッター直6ターボで270馬力だった。そこに、R32GT-Rの2.6リッター直6ツインターボとZ32の3リッターV6ツインターボとインフィニティQ45の4.5リッターV8で280馬力を連発した。ソコで、カタログ表示の馬力数値競争を抑えるために、280馬力自主規制を促した。

日本やドイツは、カタログ表示に謳う数値を必ず超さなくてはならない。むしろ、メーカーにとっては楽だった。

その過程、高級車作りに於いて、トヨタニッサンに差が出た。

ニッサンはイキって、エンブレムの七宝焼やシートの革など不要なトコにもカネをかけ、デザインやメカにも独自色を全面に出した。カネを出す層、カネ持ち個人や法人車両担当が保守的な選択をするコトが見えず、単に独自色を打ち出したコトに自己満足した。岡開発主管は得意満面に噴きまくっていた。聞いてる側は「そんなモンじゃね~ョ!」って思ってたのに。

トヨタは堅く行った。カネを出す層、カネ持ちや法人車両担当の嗜好を考え、メルセデスのSやSE辺りをイメージさせるスタイリングに纏めた。

排気量が500cc少なくても、馬力が20馬力少なくても、サイズが少し少なくても、アクティブサスペンションがなくても、日本のカネ持ちや法人車両担当はセルシオを選んだ。

 

 

 

 

 

 

 

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本当に「このクルマから、クルマが変わった」世界をマジで震撼させた「初代セルシオ
8/31(火) 6:41 Yahoo!ニュース
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“日本車ヴィンテージイヤー”の中の一台 
初代セルシオの貴重なカタログに見られる、高性能など秘められつつも確たる存在であった孤高のセダン模様
 Auto Messe Webをご覧の方なら“日本車のヴィンテージイヤー”をご存知だろう。それは1989年、平成元年のことで、この年、奇しくも後世に残る日本の名車が数多く登場した。車名を挙げると、ユーノス・ロードスター、日産スカイラインGT-R(R32)、スバル・レガシィ(初代)をはじめ、日産フェアレディZ(Z32)、ホンダ・アコード・インスパイア/ビガー、日産パオといった車種がそうだ。

【画像13枚】セルシオのカタログページで再確認できる、主張されていた驚くべきもの

 さらに1989年前後の年を含めると、1988年の日産シルビア(S13)、1990年のホンダ初代NSX、日産プリメーラ(P10)などもある。言われているように1980年代中盤の好景気のなかで、そのころに開発されたクルマが次々と世に出たのがこの時期。勢いどのクルマも開発費がしっかりとかけられた力作揃いだった。そんななか、1989年10月に発売されたのが初代セルシオだった。

最新装備を引っ下げ、トヨタ製高級車として世界のライバルを追撃
 ご存知のとおりセルシオは“LS”の名も与えられ、北米を中心に展開が決まった新たな高級車チャンネル“レクサス”のフラッグシップモデルとして開発された。言われていたようにターゲットは、キャデラック、メルセデス・ベンツBMWといった、すでに定評のあるプレミアム・ブランドのクルマたちのいる市場だった。

 トヨタのフラッグシップといえば、それまではクラウンだったが、そのさらに上をいく高級車としてセルシオは1から造られた。特筆すべき点はいろいろあるが、ほんの一例をあげれば、ライバル各車が一目を置くようになった静粛性があった。そのために、キャビン前後の隔壁に世界初の粘弾性樹脂をサンドイッチした制振積層鋼板などが採用されていた。

 話が前後するが1989年は北米市場のレクサス元年だったが、トヨタでも、あのトヨタマークが登場したのがこの年だった。そして日本市場で新しいマークが装着された最初のクルマが、レクサスLSの日本版であるトヨタセルシオなのだった。1989年10月のセルシオのカタログのページを開くと、最初の扉ページには所信表明のように、新しいマークに込められた意味が記されている。同年はトヨタ50周年の節目の年でもあった。

 それともうひとつ、トヨタが持つ北海道士別試験場も、セルシオの開発に合わせての竣工だった。カタログには“いまだかつてない、滑らかな超高速走行を実現するため、まず、全周10kmの士別試験場の建設から始めた”と記されているが、そういう一生に一度あるかないかの経験に立ち会った当時のエンジニア、関係者のモチベーションは一体どこまで高まったのだろう? ちなみに士別テストコースの全景の空撮写真が使われたカタログのそのページのコピーは“この車から、車が変わります。”となっている。

贅を尽くした性能装備が秘められた和風の佇まい
 ふたたびセルシオのディテールに話を戻すと、エンジンは新規開発の1UZ-FE型、V型8気筒DOHC、3968ccが搭載された。当時のスペックは最高出力(ネット値)260ps/5400rpm、最大トルク36.0kg-m/4600rpm。

 メカニカルなトピックはもちろん多岐に渡るが、シザーズギヤを用いコンパクトなた4カム(バルブ挟み角は21.5度)だったことやアルミシリンダーブロック、オイルパンの採用をはじめ、シリンダーブロックにダイレクトマウントされた補機類、低騒音/低エンジン負荷に寄与する電子制御油圧駆動冷却ファンの採用など多数。組み合わせられたトランスミッションは、当時“ETC-i”の名で呼ばれた電子制御式2ウェイOD付き4速ATだった。一方でサスペンションは、前後ダブルウイッシュボーンとし、エアサスペンションとピエゾTEMSを設定した。

 装備面でも先進的なアイテムが投入されていた。オプティトロンメーターはスイッチオンでまず白い指針がブラックパネルに浮かび上がり、続けて文字盤が発光する仕組みのもの。マイコンプリセットドライビングポジションシステムは、2名分のシート、ステアリング、ドアミラー、ショルダーベルトアンカーの位置を記憶、ワンタッチで呼び出せた。“マイコン”の言葉づかいが時代を物語るが、当時としては高級な装備(機能)だった。

オプションには車内ファクシミリもあった
 そのほかカタログには自動車電話や、グローブボックス内に格納するファクシミリも販売店装着オプションとして紹介されている。ほかにも超音波雨滴除去装置付きドアミラーや、Hiモードで払拭角度を狭めて効率的な作動を可能にしたワイパー(フルエリアワイピングシステム)なども搭載。今ではキーレスがあたり前だが、キーヘッドのボタンを押して車外からドアの施錠と解錠を行うワイヤレスドアロック(ブレードは内溝式)、シート表皮ごとに音をチューニングしたというスーパーライブサウンドシステム(DATも設定された)など、まさに贅を尽くしたクルマに仕上げられていた。

 現在はレクサス・チャンネルが日本でも展開されるようになり、セルシオの名はなく、LSとして日本の道を走っている。現役当時の初代セルシオは、今思い返せば、控えめでしとやかな、いかにも日本の高級車らしいクルマだったような気がする。
島崎 七生人

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