元TBS安東に聞かせてやりたい、神様ジーコのA60セリカ40年!

ワタシが"足の芸術家、白いペレ"と呼ばれたジーコを見たのは、トヨタカップだった。フラメンゴ-リバプールの試合、ジーコは1得点・2アシストと3点全てに絡み、MVPに選ばれ副賞A60セリカを得た。

カレは1年半かけてブラジルに持ち込んだ。きっと、納車まではトヨタトヨタディーラーの仕事だから、大変なコトだったろう。トヨタジーコも換金する方が楽だったろうに、"トロフィー"の持ち帰りを互いにやり抜いた。

あの当時、トヨタセリカはラリーなどで使用されていたモデルだが、ソコまでスゴいクルマではなかった。カレさえその気なら、スゴいクルマも買えただろう。他のクルマも、持っているかも知れない。しかし、"走るトロフィー"として、大事に40年使ってくれている。まして、ジーコがヨーロッパでプレーしてる間は兄"エドゥー"さんまで運転していた。

ジーコは生涯収入を本国での巨大スタジアム始め"サッカースクール"設営に充てている。確か、鹿島に来る際、住友金属などスポンサーからの支援を取付、2部チームながら選手復帰もした。いざ、サッカーフィールドに出たら"熱い"神様だ。あの伝説の"ヒールボレーシュート"は、この時のゴールだ。鹿島アントラーズは1部に上がったハズ。

Jリーグプレシーズン、先輩から余ったチケットもらえて、国立競技場の鹿島アントラーズ-読売ヴェルディーを観た。ワタシの隣は、初代レッズ監督森サンと初代フリューゲルス監督加茂サンだった。確か、"当時ぺぺ監督と揉めてた"三浦カズのゴールでヴェルディー勝ったが、ジーコはフルタイムプレーし、蹴る前に"上がれ!"ゼスチャーしてフリーキックコーナーキックやシュートやスルーパス随所に魅せてくれた。

Jリーグ元年はアルシンド来て、鹿島は前期優勝もした。肉離れの影響で、開幕戦ハットトリックが最高のプレーだったが、後期制覇のヴェルディーとの決定戦のツバ吐き退場まで、頑張って魅せてくれた。

カレはジーコのサッカースクールオープンの特番で"コレはサッカーに対する恩返しなのです"と言った。サッカーのスーパースター、カネに飽かせた贅沢品買い漁りをする者、政治家になる者、ヤク中で死んだ者など色々いる。カレだって、他にも色々やってるかも知れない。

しかし、カレは今もブラジルで"走るトロフィー"を大事に乗って、魅せてくれている。

こんな感性、スゴく好き!

ワタシは、同時期のニッサンS12シルビアRSに長く乗っていたが、結婚し子供生まれ、チャイルドシート法制化されたコトで手放した。カレのA60セリカが羨ましく、我がコトのように誇らしい。

元TBS安東みたく、1台をキチンと味わわず取っ替え引っ替え買い替えるヒトに、ツメのアカでも煎じて飲ませたいくらいだ。

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「筋トレしないと運転できない!」神様ジーコが40年間も乗り続ける“セリカ”との秘話に英感動!「走行距離は驚きの…」【2021総集編】
12/11(土) 5:00 Yahoo!ニュース
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試合当日に贈られた車種からまさかのアップグレード!
 
フラメンゴ時代、キャリア絶頂期のジーコ氏。ブラジルではアイドル並みの人気を誇った。(C)Getty Images
 今年も残すところあと数週間。本稿では、2021年のサッカー界における名場面を『サッカーダイジェストWeb』のヒット記事で振り返る。今回はジーコと愛車の40年にも及ぶ物語をプレイバック。“神様”が頑なに1台の車に乗り続ける理由とは……。

【関連フォト】美しいフォルム! ジーコが公開した“40年落ちセリカ”はこちら!

記事初掲載:2021年3月13日

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“神様ジーコ”には40年の長きに渡って愛し続けるマイカーがある。

 日本やブラジルのサッカーファンの間ではそれなりに知られた話だが、今回あらためて母国のクルマ雑誌『AUTO ESPORTE』の取材を受け、本人が知られざる秘話などを明かした。それを英紙『The Sun』がさらに取り上げ、驚きをもって世界に発信したのだ。

 さかのぼること40年前、1981年12月に東京・国立霞ヶ丘競技場で行なわれたのが、第2回トヨタカップだ。南米王者フラメンゴ(ブラジル)と欧州王者リバプールイングランド)がクラブ世界一の座を争った一戦は、前者が3-0の完勝を収める。フラメンゴ不動のエースで、当時28歳と脂が乗り切っていたジーコは、1得点・2アシストと全得点に絡む大車輪の活躍で、見事MVPを受賞した。

 トヨタカップMVPの副賞と言えば、その時代時代で最先端の技術が駆使されたトヨタ産のスポーツカーだ。この日のジーコに提供されたのは真っ赤なセリカ。雲ひとつない青空の下、特大の黄金キーを手ににっこり微笑む彼の姿が印象的だった。

 なぜセリカをそこまで愛し続けられるのか。ジーコはその理由をこう語るのだ。

「何度もこのセリカを売ってくれと頼まれたが、そのたびに私は頑なに拒否してきた。これは単なるクルマではない。偉大なトロフィーであり、素晴らしい思い出でもあるんだ。フラメンゴが世界一を獲った最高に美しい瞬間のね。(クルマの)調子はぜんぜんOKだし、よく動いている。永遠に乗り続けるよ。生きているかぎりはね(笑)」

 しかしながら、国立競技場で贈られたセリカは赤で、現在所有しているのはシルバー。どこかフォルムも異なる。改造や塗り替えでもしたのだろうか。これには興味深いエピソードが隠されていた。

 1981年当時、不況が深刻なブラジルは外国製品に対して厳しい輸入制限を設けていた。とりわけクルマなど贅沢品は取り締まりが厳重で、ただでさえ珍しい日本車ともなれば、ブラジル国内では日本大使館員や外交官くらいしか乗っていなかったという。

 クルマを金銭に換える手もあったが、ジーコはこれを固辞。なんとしてもセリカをブラジルに持ち込みたいと、あらゆる手を尽くしたと振り返る。

「あれは優勝トロフィーなんだ。絶対に諦めたくなかった。時の財務大臣中央銀行の総裁とか、可能な限りの人脈を使って奔走したよ。でもなかなか上手く行かなくてね。クルマがようやく到着したのは、1983年の4月だった」

 1年半越しに晴れて“納車”となったわけだが、ジーコにサプライズをもたらしたのが製造元のトヨタだった。すでにセリカは3代目にモデルチェンジしていたため、トヨタカップ時の「セリカST」ではなく、最新版でよりグレードアップされた「セリカ2.0 GT」を届けてくれたのだという。しかもブラジルに合わせ、北米向けの左ハンドル仕様をチョイスした。

 それからわずか4か月でジーコはイタリアのウディネーゼへ移籍するが、欧州挑戦中の2年間は実兄エドゥが預かって、大事に保管していたようだ。

「ハンドルが油圧式じゃないんだ!」と不満爆発!?
 気になるのは総走行距離だが、ジーコによれば「だいたい7万マイル(約11万2000キロ)くらい」とのこと。40年間運転し続けた割にはかなり少ないが、それだけ大切にメンテナンスを繰り返しながら、宝物のように扱ってきたのだろう。

 英紙『The Sun』は「ジーコほどのスーパースターが40年間もひとつのクルマを大事にしている。まさにカネでは買えない、プライスレスな思い出なのだろう。素晴らしいストーリーではないか」と伝えている。

 最後にジーコは冗談交じりに、こんなジョークを飛ばしてインタビュアーを笑わせた。

「油圧式じゃないから、ハンドルがめちゃくちゃ重いんだよ! だからブラジルでセリカを運転するためには、しっかり筋トレをしておかなきゃいけないんだ」

(文中敬称略)

構成●サッカーダイジェストWeb編集部

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