佐々木朗希、チャレンジのベストは26・7歳?

大慈彌サン、嘗ては小宮山>吉井と評価して、大ハズしした。ドコをどう贔屓目に見ても、吉井の方が遥かに上だったのに。

佐々木朗希のメジャー挑戦ベストは26・7歳?一体、ドコを見てそう思う?

千葉ロッテ、佐々木朗希の管理に四苦八苦している。東大小林至はともかく、大学ナンバー1藤岡や京大田中をツブし、今度は160キロ出したというだけの佐々木朗希を獲ってしまった。球団として、育成と言う名の(大谷翔平で日ハムが負ったより)遥かに重い十字架を背負ってしまった。

佐々木朗希をドラ1指名した球団のスカウト連中、一体ドコを見て指名したのか?

ガタイは立派で、大谷翔平藤浪晋太郎を尺度に考えて、鍛えれば160キロ出せるのは明白だった。

花巻東佐々木監督は、大谷翔平を育成する上で甲子園と160キロ達成するために、自ら考えて瞬発力系と持久力系トレーニングをバランス良く課した。3年春甲子園、夏は岩手県予選準決勝敗退したが、準々決勝で160キロ出した。

大船渡国保監督は、佐々木朗希育成を出身の筑波大に丸投げした。筑波大の運痴学者達は、160キロ出すコトしか念頭になく、瞬発力系トレーニングをメインに課し、投げ込みや長距離ランニングなどの持久力系を課さなかった。甲子園や県予選終盤の連投など、筑波大運痴学者達には、サラサラ観念になかった。160キロストレートを何球投げる想定があったかすら疑問だ。県予選決勝は4番エースながらベンチで眺めた。マメとも、関節とも言われたが、カレは高校選抜で投げていた。チョロっと投げて、チョロっと降りて、甲子園フルに戦った同級生に迷惑を振り撒いていた。

佐々木朗希は、全てを使う側の判断に従ったとコメントした。そのメンタルは3年経った今も変わらない。国保監督が井口監督に代わっただけだ。

基本、カラダの成長を考えたら、中高生時期に身体鍛練して置くべきなのだ。桑田真澄松坂大輔は、それによりプロでも大活躍した。桑田は、あのダイビングなければ長く活躍できたし、松坂は西武からメジャーと怠惰トレーニングで鍛練したカラダを腐らせて行っただけだ。

佐々木朗希は、瞬発力系偏重のカラダだった。ロッテは、瞬発力を落とさずに持久力を補うメニューを作る必要があった。野球筋肉バカでは考え辛く、ココでも筑波大運痴学者達に頼っている。

こんな状況、あと5・6年もやってられない。その間に故障や手術したら、佐々木朗希の価値も大暴落し、ロッテの評判もガタ落ちし、ロッテ入団希望者がいなくなる。

コレらは、大谷翔平を獲った日ハムにもあった。日ハムは、ダルビッシュ有の二の轍を踏ますまいと、大谷を鎌ヶ谷には出さず、札幌でトレーニングさせ、女子アナやタレントを排除した。大谷を1年目から投手と言わず野手やDHと言わず起用し続けた。3年目に投手タイトル、4年目に日本一になったが、5年目に故障がちで、球団も管理限界と価値下落前のポスティング放出を決めた。

佐々木朗希、今のままでは、井口監督はずっと腫れ物起用し続けるコトになる。大谷翔平より、遥かにヤバ過ぎる。

せいぜいあと2年、大谷と同じ23・4歳が限度だろう。

ソコまでに、故障や手術なく、持久力をドコまで上げられるかにかかっている。

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佐々木朗希のメジャー挑戦は26、27歳がベストとみる理由【大慈彌功コラム】
4/24(日) 22:01 Yahoo!ニュース
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ロッテの佐々木朗
◇24日 オリックス3―6ロッテ(京セラドーム大阪)

 この日の佐々木朗からは危なっかしさがうかがえた。3回くらいから汗をかき、呼吸が荒かった。フォーム的にもバランスを崩したところが見受けられた。中6日で86球、99球、105球、102球と投げての今回。体力面での未熟さが表れた結果だろう。

 今の現実は、佐々木朗自身が最も良く理解しているはずだ。というのも、私が知る彼は野球IQが非常に高い。己を知る能力にたけているのだ。

 彼が高校3年生だったときのこと。4月のU18代表候補合宿で163キロを計測した。注目が高まった後、関係者を通じて伝え聞いたのは「これから出力を落とします」という話だった。それ以後の試合には、米国からもスカウト陣が視察に訪れた。だが本人は先の言葉通り、球速を抑える投球を続けた。

 160キロを超える球を投げれば体には相応の負担がかかる。特に体が出来上がっていない若い人は、ブレーキをかけなければパンクしてしまい、致命的なけがを誘発する恐れがある。肘ならトミー・ジョン手術を受けてメンテナンスすれば復活できるが、肩はそうはいかない。前回8回で降板したのも、本人が何かを感知し、それを察した首脳陣が判断を下したのだろう。

 メジャーでも7回完全降板があった。4月13日、ドジャースクレイトン・カーショー(34)が記録よりもコンディションを優先した。そのカーショーのメジャーデビューは2008年、今の佐々木とほぼ同じ20歳2カ月。若い投手はマイナーでじっくり育てる米国では、かなり若年でのデビューだった。

 その年のカーショーは22試合で計107イニング3分の2を投げた。今年の佐々木が目指すなら、この数字に近い20試合前後、計120イニングほどが適切な数字だと思う。大きな出力に比べて細身であり、体はまだこれから成長していく時期にある。

 肩など致命的な故障をしないよう、25歳くらいまでは地道に土台づくりをしてほしい。私のところへも米国から問い合わせが届いているが、渡米するなら体が出来上がる26、27歳がベストだとみている。

大慈彌功(おおじみ・いさお) 元太平洋クラブ(現西武)捕手。ロッテでバレンタイン監督の通訳を務め、1997年からは同監督が指揮を執ったニューヨーク・メッツで日本駐在スカウトに転身。ドジャースアストロズを経て2019年までフィリーズで環太平洋担当部長を務めた。
中日スポーツ

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