昔は、こういうクルマが人生最後のクルマと思ってた。

ニッサン・セドリック/グロリア、ワタシの父親は最初に初代のマツダ・ファミリアの中古に乗っていた。それから、セドリックのディーゼルに乗り換えた。430型かな?以後、父親はセドリックのディーゼルを3年毎、車検を1度も受けない状態で買い替えていた。ワタシ以外に妹も3人いる、6人家族、ファミリアではギュウギュウだったが、セドリックは前もベンチシートのコラムシフトで悠々になった。大学教授だった父親は、日曜以外毎日往復100キロ、日曜は釣りに走った。年に4万キロ近く走ってた。釣り場所も志賀島能古島、長崎西海橋下とか、朝3・4時に出て、夕方まで。付き合わされるワタシには、中々の地獄だった。

ワタシと父親は35歳違い。子供心に、自分も50歳くらいになったら、こんな感じのクルマをファミリーカーとして乗るコトになるのかと思っていた。ワタシ自身はY31グランツーリスモの5ナンバー最強モデル、2リッターV6ターボが欲しいと思っていた。

それが、80年代後半からの税制改定により、2リッター以上の排気量のクルマの税制が変わった。狭い日本、道路や車庫や駐車場の事情は変わりないハズなのに、日本自動車メーカーは平気で車幅1.7mをハミ出したクルマを平気で出すようになった。

Y32以降、個人的に欲しいクルマからは全く対象外になった。

実際にそういう年齢になって、ワタシは家族用にアルピナB12-5.0BMWと、趣味用にポルシェ996カレラに乗っているが。どちらも10年ずつくらい乗っている。

父親とは、買替も乗り方も嗜好も違っている。

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高級車だが走りじゃ負けん! ちょい悪オヤジに愛された爆速セダン日産セドグロ「グランツーリスモ」とは
5/7(土) 10:00 Yahoo!ニュース
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ちょいワルなルックスで一気に人気グレードへ
 
スタイリッシュさが際立つルックスが特徴的だったY31型セドリック・グランツーリスモ
 通称グラツー。筆者自身あまり言い慣れていないせいか流暢に発音するには幾分か練習が必要だが、今はなき日産のセドリック/グロリアで人気を集めたシリーズが“グラツー”こと“グランツーリスモ”だった。

【写真】貴重なY31セダングランツーリスモやY34グランツーリスモなどの画像を見る

苦戦したY30のテコ入れとしてY31で初登場
 このグラツーだが、初出は1987年に登場したY31時代。このY31は、直前のY30がそれまでの直6からV6にエンジンを一新するなど、中身が大きく進化させたにもかかわらず、外観イメージが先代の430と大きく変わらなかったことなどが災いし販売的には苦戦。当時のライバル車だったトヨタ・クラウンが、あの大人気を博したクリスタルピラーのS120系だったこともあり、後塵を拝する結果となってしまっていた。

 そこでY30からY31へのフルモデルチェンジにあたり、日産は勝負に打って出たのだった。それが、従来のイメージリーダーだった“ブロアム”と並ぶ新しいシリーズとして設定された“グランツーリスモ”だった。

“高級車は同時に速いクルマでもありたい。そんな願いをカタチにした、新しいジャンルのグランツーリスモ”と当時のカタログにも記されており、イメージ色は写真のカタログにもあるとおりのブラック。これに日本初を謳う2LのV6ツインカムターボ(VG20DET型)を搭載し、185psと当時の3L(195ps)に迫るパワーが与えられたのだった。

 このVG20DET型はまさにカタログ映えする新技術も満載。ツインカム24バルブをベースに、ターボローターがセラミック化されたハイフローセラミックターボをはじめ、電子制御可変吸気コントロールシステム「NICS」、可変バルブコントロールシステム「NVCS」、ダイレクトイグニッションシステム「NDIS」などを投入。

 そのほか、小さな見出しで“世界初”を謳うデュアルモードマフラーも同エンジンには採用。これはエンジン回転数に合わせて排気経路を長短2とおりに自動的に使い分け、低回転時のこもり音の低減と中・高回転時の排気抵抗を抑える役割を果たした。

 そのほかでは、サスペンションはブロアム系が電子制御エアサスペンションを採用するのに対し、コンベンショナルな4輪独立懸架を採用。ただしメーカーオプションで4WASとビスカスL.S.D.がセットで用意されるなどした。タイヤはブロアム系と共通で205/65 R15 93Hを装着。カタログの諸元表上は“スポーティサスペンション”が標準だった。

その名に偽りなく速さを体感できた
 で、実際の走りだが、当時試乗した記憶の糸(!?)を辿ると、平たくいえばとにかく「バカっ速」なクルマだった。サスペンションは一応は専用だったが(あくまで一般道でしか試乗しなかったので)強めの加速を与えると、テールを沈ませながらヒューン! とセドリックのあの大柄なボディが離陸でもするのではないか!? といった体感を味わわせてくれた。

 外観上はブロアム系に対し、グリルのデザインやエアロ形状になったフロントバンパー、専用アルミホイールなどで差別化されてはいたが、まあ、あくまでもジェントルなセドリック(グロリア)。しかしいざとなれば、泣く子も黙る俊足ぶりだったのである。

 このY31セドリック/グロリア登場を追って、1988年になると同じベースから誕生したあの初代シーマがセドリック/グロリアの両車に設定されたのはご承知のとおり。“グラツー”はその理屈抜きの速さで、当時のヤング・アット・ハートなオジサンたちのハートをまさしく鷲掴みにしたのだった。

 ちなみにY31ではグラツーは4ドアハードトップだけでなく、あの地味な……いやごくフォーマルな“身なり”のセダンにも設定があった。今考えると、じつに通好みのクルマといえたかもしれない。

丸目ヘッドライトを採用したY32も人気に
 
丸目4灯でちょいワル度がアップしたY32型
 グラツー人気は1991年にフルモデルチェンジを果たしたY32へも引き継がれた。このY32ではまずブロアム&クラシック系とはルックスが大きく差別化され、丸型4灯ヘッドライトをもつ、輸入車のチューニングカーを連想させる趣になった。

 エンジンについては3Lに格上げされ、トップモデルのグランツーリスモ・アルティマには、初代シーマと肩を並べる255ps/35.0kgmを誇るVG30DET型が搭載された。カタログには“ツインカムセラミックターボエンジンの強大なパワーとトルクが、悠々たるサルーンの走りをもたらしました”とサラリと書かれているが、新たにSUPER HICASなども与えられ、より走りに磨きがかけられたといえる。

Y33からY34と進化のたびに運動性能を際立たせた
 
Y32の雰囲気を受け継ぎ進化したY33型
 1955年に登場のY33では、アルティマにステアリングを切ると後輪が一瞬前輪と逆方向に動く、位相反転&ディレイ制御方式の電動SUPER HICASが与えられるなどしている。

 そして1999年にフルモデルチェンジを受けたY34では、モデルチェンジ翌年の2000年10月になり、グロリアにのみグランツーリスモを設定。この世代になるとメカニズムもフェーズが変わり、直噴、電子制御スロットル、エクストロイドCVT、電子制御トルクスプリット4WDといったアイテムが投入されるようになった。

 すでにセドリック/グロリア自体は銘柄としては存在しないが、純粋な走りへの熱い思いを託すことができた懐かしい時代の高性能車だった。
島崎七生人

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