松坂大輔や藤浪晋太郎、それぞれ日本で最も厳しいと言われる高校で、エースとして鍛練された。春夏の甲子園を殆ど1人で投げ抜き、プロでも故障なく投げている。松坂大輔、横浜高校よりユルい西武の練習でタルみ、更に怠惰なメジャーの練習で鍛練したカラダという財産をカラにしてしまった。怠惰な練習で、足腰がダメになり上体任せの投球になり、ストライクを取るレベルのコントロールすら失い、より力任せに投げて肩ヒジ壊して手術になった。
松坂大輔、このヒト、ホントにわかっているのだろうか?カレがホントに感謝すべきは、横浜高渡辺監督じゃないの?
反省すべきは、西武入団以降、柴田なんかに引っ掛かり、セルシオなんかで柴田のマンションなんか行ってたコトだ。その分、走り込み、投げ込むべきだった。メジャーに行く気があるなら、内外高低緩急のコントロールやキレを磨くべきだった。
こんな薄っペラい、通り一編のコメントしてるようではダメだろ!
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松坂大輔氏が語る少年時代に得た“財産”「野球を辞めていても無駄にならなかった」
5/28(土) 20:00 Yahoo!ニュース
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小学校の経験は「心に残っています」
「AIG」×「MLB CUP 2022」の活動プラン発表会に登場した松坂大輔氏【写真:小林靖】
プロになれずに野球を辞めていたとしても無駄ではない。日米で活躍した松坂大輔さんが、23日に行われた「AIG」×「MLB CUP 2022」の活動プラン発表会で少年野球の記憶を振り返った。高校でもプロでも数々の栄誉を勝ち取った松坂さんは、プレー以外でも野球を通じて手にした“財産”があった。
【動画】初心者の子どもたちがキャッチボールのやり方を身につけるには“順番”が大切
昨シーズン限りで現役を引退した松坂さんの生活には、子どもの頃から野球があった。毎日のように家族で野球中継をテレビ観戦し、草野球をしていた父親や父親の仲間とキャッチボールをしていたという。夢中で白球を追いかけた幼少期を熱っぽく振り返った。
「もし辞めていたとしても、それまで野球に関わったことや学んだことは無駄にはならなかったと思います。100%の答えは難しいですが、小学校の経験は心に残っています。無駄にはならないと伝えたいです」
松坂さんは横浜高時代に甲子園で伝説をつくり、プロでも順調にキャリアを積み重ねた。西武では最多勝や最多奪三振など、数々のタイトルを獲得。メジャーではレッドソックス時代にローテーションの一角を担い、ワールドシリーズ制覇にも貢献した。国際舞台にも強く、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)では2大会連続でMVPに輝いている。
現在は少年野球をする息子をサポート「改めて両親に感謝」
子どもの頃から光が当たる道を歩んできたように見える松坂さんだが、野球を辞めようと考えた“挫折”も経験したという。41歳まで現役を続けてこられたのは、両親や指導者、仲間やその家族のおかげだったと明かす。そして、少年野球をしていた頃に原点がある。
「親や監督、友達の親にも励まされてやってこられたと思います。元々は人見知りでしたが、とにかく友達が増えました。チームメートだけではなく、試合を通じて他のチームの友達もできました。野球を通じて築いた関係は続いていきます。たくさんの人と出会えて良かったです」
子どもの頃は当たり前と感じていた両親のサポートにも今、改めて感謝している。息子が少年野球を始めて、自らがかつての両親と同じ立場となり「相当な負担をかけていたんだなと思います。大変だと感じさせる姿は見せずに、気持ち良く野球をやらせてもらいました。今は自分が息子をグラウンドに連れていっていますが、改めて両親に感謝しています」と語る。
ユニホームを脱いだ松坂さんは野球人、そして父親として子どもたちに自身の経験や野球の楽しさを伝えていく。
Full-Count編集部
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