横浜高小倉サン、さすがの見る目の確かさ!

横浜高の小倉サン、監督や部長として、歴代様々な選手達を見て来て、甲子園でも素晴らしいチームを見せてくれた。

歴代エース5人は

松坂大輔

愛甲猛

成瀬善久

涌井秀章

柳裕也

さすがの人選だ。NPBでも名を残している選手だし、甲子園でも活躍した投手だ。

47都道府県に於いて、最激戦区と言われる神奈川県、1日負けたら終わる高校野球に於いて、1日不調や不在あれば終わる。それをキチンとしたメンバーで戦い続けるための鍛練メニュー、大学や社会人やプロよりも遥かに厳しい。

松坂大輔であっても、2年までは惜しいトコまでだった。1学年上の上地雄輔では上手くリードできなかった。そうした悔しさも味わいながら、心身とも日本最高レベルの鍛練を積んだ。

12球団でもユルい西武の練習で、バカな女子アナに引っ掛かり、NPBに入った目的を見失った。MLB目指して更なる鍛練と改善をするハズが、高校までの鍛練の貯金を食いツブしながら目指すコトになった。

横浜だから、所沢でのカレの惨状は逐一耳に入ったろう。柴田のマンション前にセルシオ置いて駐車違反取られ、代理に日本のヒーロー黒岩彰を出頭させるなど、ヤクザ張りの違法行為だった。

野球では、優れた選手達をプロに送り込んでいるが、松坂だけでなく愛甲や成瀬や涌井、それぞれにプロで悔いなくやり切ったか、疑問だ。

 

 

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小倉清一郎が選出した横浜高校歴代エースベスト5。「松坂も涌井も入学時は普通の投手だった」
6/23(木) 16:15 Yahoo!ニュース
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高校3年時に甲子園春夏連覇を達成した松坂大輔
春夏合わせて全国制覇5回の名門・横浜高校野球部の監督・部長を歴任し、50人以上もの選手をプロへ送り込んだ小倉清一郎氏。横浜高校の生き字引とも言える小倉氏に、歴代エースベスト5を選出してもらった。

【画像】プロ野球「世代別」ベストオーダーを組んでみた!

 

松坂大輔(西武ドラフト1位)

 まず松坂は外せない。高校3年時に甲子園春夏連覇を果たし、夏の決勝(京都成章戦)でのノーヒット・ノーランなど、いまさら説明の必要はないだろう。

 そんな松坂だが、高校入学時は全然たいしたことのない普通の投手だった。ただ、投げ終えたあとのフォロースルーの右手が背中のほうまで届いていた。小学校の頃、剣道をやっていたそうなのだが、それによって背筋が鍛えられたのだろう。

 富士山の登山に例えれば、徐々にではあったが、確実に頂上を目指し、順風満帆だった。普通の投手は途中でひと休みするものだが、松坂にはそれがなく、一気に駆け上がっていった。

 基本タフだから、1日800球投げたこともあった。今の時代、こんなことをすればお叱りを受けるだろうが、当時は1日500球なんてザラだった。それが夏の甲子園準々決勝のPL学園戦の延長17回、250球の完投勝利につながったのだろう。

 松坂は覚えも早かった。スライダーを教えたら、ほんの5、6球でコツをつかんで自分のモノにした。高校2年春に前橋工業戦で142キロを出した時に、ドラフト1位になると確信した。

 プロ入り後は、日本シリーズワールドシリーズWBC制覇など、数々の勲章を手にした。オレは200勝すると思っていたが、日米通算170勝。股関節が硬いから、メジャーのマウンドに合わなかったんだろうな。プロ11年目あたりからずっとリハビリを重ねていた。

 日本球界復帰後は、往年の投球フォームは見る影もなかった。高校を卒業してプロに入って、3年連続最多勝。そこで勝負の世界を少し甘く見てしまったのかもしれない。そこが残念だった。

愛甲猛(ロッテドラフト1位)

 愛甲は高校1年夏から甲子園に出場し、高校3年夏はエースで3番。決勝で荒木大輔擁する早稲田実業を決勝で破り、全国制覇を遂げた。左腕から繰り出すカーブが武器で、愛甲もカーブの握りを教えたら簡単に覚えた。やんちゃだったが、実力は図抜けていた。

 ただ投手としては、あそこが限界だったのだろう。プロでは1勝もできなかった。甲子園優勝投手でも打者に転向する選手は多い。あの王貞治さんだってそうだった。愛甲も高校時代からバッティングがよかったし、センスもあった。だから、迷いなく野手に転向できたのだろう。

 通算1142安打を放ち、1989年には打率3割をマークした。それにゴールデングラブ賞を受賞したように、守備もうまい選手だった。

成瀬善久(ロッテドラフト6位)

 成瀬は中学時代、スライダーとカーブの2つが抜群の投手だった。そのうえ、針の穴を通すコントロールがあった。高校入学後はチェンジアップも覚え、投球の幅を広げた。

 とはいえ、球速はなかった。だから「スピードはなくても勝っている星野伸之NPB通算176勝)のフォームを真似しろ。ボールを背中に隠せ」と指導した。それがあの"招き猫"と呼ばれたフォームになっていった。

 成瀬のストレートは最速でも135キロ程度だったが、回転がいいから球が伸びる。このストレートを見て「プロでも絶対活躍できるはず」と思った。だから、何がなんでもプロに入れなくてはいけないと思った。顔見知りのスカウトに「間違いないから、だまされたと思って獲ってくれ」とお願いしたこともあった。

 ロッテ6位で入団した成瀬だったが、プロ4年目の2007年に16勝1敗、防御率1.81で最優秀勝率と最優秀防御率のタイトルを獲得した。2010年も13勝を挙げ、シーズン3位から日本一の原動力となった。オレの目が確かだったことを証明してくれた。

涌井秀章(西武ドラフト1位)

 成瀬の1学年下で、中学時代は千葉のシニアチームに所属し、当時から133キロを出していた。ただ、高校2年秋まではたいしたことがなかった。それをアメリカンノックで徹底的に下半身を鍛えた。3年春になって体ができあがって、最終的には148キロまで球速を伸ばした。

 3年夏は甲子園に出場しベスト8に進出したが、準々決勝で優勝する駒大苫小牧に敗れた。

 ヒデ(涌井)の調子が悪い時は、体が早く開いてしまい、ボールの出どころが打者に見やすくなってしまう。球の回転がよく死球も少ないから、打者が怖がらずに踏み込んでくる。もう少しボールが暴れてくれたら、外角を見送ってくれたんだが......。

 今年は好調だと思っていたら、打球を受けて右手中指を骨折してしまったのが残念だ。

 日本で唯一の「3球団で開幕投手勝利」を果たし、さらにこれも唯一の「3球団で最多勝」を成し遂げた。本当なら現時点で170勝くらいしていなくてはいけないし、通算200勝に到達すると思っていたが......今年36歳、185~190勝くらいかなぁ。

柳裕也(明治大→中日ドラフト1位)

 甲子園に3度出場しているが、実力は横浜高校の歴代エースのなかでベスト10には入らない。高校時代の球速は130キロぐらいで、特筆すべきボールがあったわけでもなかった。

 それが明治大に行ってからスピードが増し、ピッチャーとして大きく成長した。本来の才能が開花したこともあるだろうが、かなり努力したのだろう。

 プロ入りしてからは、最初は苦しんだが、3年目の2019年に11勝をマーク。昨年はカットボールを武器に最優秀防御率最多奪三振のタイトルを獲得した。球速は145キロ程度と決して速いわけではないが、コントロールがいい。

 また柳は昨年、ゴールデングラブを初めて受賞した。その時に「高校時代に小倉コーチから徹底的に教えられたことに感謝する」とコメントしれくれた。

 プロに行けるような投手はあまり打たれる経験がないため「打球処理」「クイック」「牽制」が鍛えられていない。ボール自体はいいのに、これができなくて一軍で投げられないのはもったいない。横浜高校の投手は、オレが徹底して鍛えたからみんなうまい。そのなかでも松坂はゴールデングラブ賞を7回、涌井は4回受賞しているが、守備に関しては柳が一番うまい。[m1]この数字も、「小倉氏が指導した人数」で合っているか要確認。
水道博●文 text by Suido Hiroshi

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