背番号38末次、あの年の浮き沈み。

第1次長嶋ジャイアンツ、最下位翌年、セ・リーグ優勝したシーズン。

あの巨人-阪神、見ていた。9回裏、球審阪神先発江本に渡すタマを暴投した。ソコからおかしくなった。と言いながら、江本にも余力はあったように見えたし、左投手の山本和に代えたのに王を敬遠するのはおかしく感じた。流れを悪くしたように感じた。そしたら、末次の逆転サヨナラ満塁ホームラン!長嶋巨人のファンにとって、最高のエンディングだった。

オールスターにも選ばれたが、練習中に打球が眼に当たったと聞いた。片目の視力が極端に落ちたとか・・・一体、どういう当たり方をしたのか、何も明かされてなかったと思う。それ以後、末次を見るコトがなくなった。

確か、あの後、スカウトやって、巨人2軍監督で黄金時代を築いたハズ。順当なら、巨人監督だってあり得たハズだった。しかし、長嶋茂雄解任後、巨人は王派が占拠、第1次長嶋で活躍した長嶋派と言われた選手達は、引退したりトレードされた。高田や土井は引退、張本や淡口や山本功らは他球団にトレードされた。

 

 

 

 

 

 

 

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46年前の6月8日、巨人・末次利光の逆転サヨナラ満塁弾を長嶋茂雄監督が本塁前で出迎え…ヒーローが回想
6/8(水) 17:54 Yahoo!ニュース
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劇的なサヨナラ勝ちに、飛び出した長嶋監督(左)に迎えられる末次(カメラ・樋口景章)
 ちょうど46年前、長嶋茂雄監督(86)2年目の1976年6月8日に巨人・阪神戦(後楽園)で末次利光外野手(80)が逆転サヨナラ満塁弾を決めました。ミスターや選手がホームベース付近で迎える様子を、カメラマンが至近距離から記録。歓喜の舞台裏を、末次さん本人が明かしました。

【写真】当時の報知新聞1面

 「これはしょうがないよ。ミスターがここまで来れば皆さんは出てくるよね」。自身を迎える長嶋監督の周りを大勢のカメラマンが取り囲む写真を見た末次さんは振り返った。

 この試合、巨人は阪神先発・江本にわずか1安打に抑えられていた。ようやくチャンスが巡ってきた9回、2死一塁から張本が左翼線二塁打を放つと、阪神ベンチは好投の江本を下げて左腕・山本和を投入。4番・王が四球で歩き満塁で末次を迎えた。「山本和は性格がさっぱりしているから、ファウルで粘っていれば甘いところへ来ると思った。打った瞬間、いい感触があった」。打球はライナーで左翼席に突き刺さった。

 末次さんは闘志に火をつけた光景を今でも思い出す。「王さんが歩かされたとき、お客さんが帰っていったのが見えた。とりあえず打つ、打たなきゃいけないという気持ちで打席に入った」。打ったまでは冷静だったが、その先はよく覚えていない。「結構、跳びはねていたんだね」。大げさに喜んではいけない―。そんな教育を受けてきた男が、我を忘れるほど興奮していた。

 三塁を回るとナインが総出でヒーローを待ち、カメラマンがずらっと並んでいるのが見えた。「カメラマンには驚かなかった。でも、ホームベースのずっと手前で両手を広げたミスターには驚いたよ」。無我夢中で長嶋監督と抱き合った。“試合終了”になる前に選手とカメラマンが入り乱れたが「監督が絵になるんだから。ミスターでなければ、こんなこと起きないでしょ」。

 あの時、打席から見えた、あきらめたように席を立つ観客の姿。「水道橋駅あたりで大歓声を聞いたんじゃないかな、わーって。一番いいところだったのに、もったいなかったね」と笑った。

 ◆末次 利光(すえつぐ・としみつ)1942年3月2日、熊本・人吉市出身。80歳。鎮西高、中大を経て、65年から13年間巨人でプレー。引退後は2軍監督、スカウト、編成部長など歴任し、上原浩治阿部慎之助亀井善行らの獲得に尽力した。74年に民夫から改名。
報知新聞社

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