分裂後、全日本プロレス全盛期!

馬場、鶴田、天龍、タイガー(三沢)、ラッシャー木村らの日本人レスラーにハンセン、ブロディー、ファンクス、シン&馬之助/ブッチャー、マスカラスなど、全日本プロレスはキャラクター豊かで、面白かった。将に、全日本プロレス全盛期だったと思う。

いつも、ハンセン&ブロディーの暴走負けを見て、「何であんなにバカなの?」とか、「馬場が何故相手レスラーからの致命的な必殺技を良い角度で食わないのか?」「十六文キック、痛いのか?」とか、「マスカラスのフライングクロスアタックは効くのか?」とか、いつも話題になった。

銀座に勤めるようになり、東急に泊まる全日本外人レスラーとコンビニや銀座周辺で出くわし、よく話題にした。ハンセンはデカかった。

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天龍さんが語る“外国人レスラー”手に負えないレスラー二大巨頭はマスカラスとブロディだ!〈dot.〉
7/10(日) 7:00 Yahoo!ニュース
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天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ(撮影/写真部・掛祥葉子)
 50年に及ぶ格闘人生を終え、ようやく手にした「何もしない毎日」に喜んでいたのも束の間、2019年の小脳梗塞に続き、今度はうっ血性心不全の大病を乗り越えてカムバックした天龍源一郎さん。人生の節目の70歳を超えたいま、天龍さんが伝えたいことは? 今回は「外国人レスラー」をテーマに、つれづれに明るく飄々と語ってもらいました。

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 外国人レスラーについてよく聞かれるのが“誰が一番強かったか”だけど、これは答えるのが難しいんだよ。俺からするとピントがズレている質問だね。全日本プロレスを例にとると、外国人レスラーはジャイアント馬場さんに呼ばれて参戦しているわけだ。馬場さんからオファーがあって、ギャラをもらっているから、試合で馬場さんのことをコテンパンにできるかというと、それはできない。

 逆に俺と戦うときは、いくらでもボコボコにしていい。攻撃のシビアさが全然違うんだ。スタン・ハンセンもブルーザー・ブロディもみんなそうだったよ。外国人レスラーはみんな賢くてマネーファーストだからね。次に呼んでもらえたら1万ドルがもらえるのに、ボスである馬場さんをボコボコにする馬鹿はいないだろう。どうしても相手や状況によって戦い方やスタイルが変わるものだから、誰が強いとは言明できないんだ。

 強さを比較するのは難しいが人間性についてはいくらでも挙げられる(笑)。俺が見てきた中で気難しい、やっかいなレスラーの二大巨頭はブロディとミル・マスカラスだ。マスカラスはホテルのランクが低かったり、部屋が狭かったりするとすぐに会社(全日本プロレス)に文句を言っていた。サイン会も思ったより人が多いと「このギャラでは割に合わない」と応じなかったり。

 ビジネスライクと言えばそれまでだけど、プロ意識がなせることだろう、細かいことにも徹底していたよ。それは日本だけではなくアメリカでも同様だ。ニューヨークでは大きいレスラーが人気でメインの試合も大きいレスラーが務めるが、マスカラスは小さいからだでも「メインじゃないと出ない」と譲らなかった。大きい選手を押しのけて、自分のポリシーを守っていたね。

 ブロディはマスカラスと違って自分の形から外れたことを要求されたり、やらされたりするとカチンとして頑として受けない。そういう面ではマスカラスよりも偏屈だったね。「約束が違うじゃないか。こうすると言ったよな? なに? 約束していない? じゃあ嘘をついたのか! そんな人間は信用できない!」という調子で、一度こうなったらもうダメ、全然話にならない。ブロディには馬場さんも手を焼いていたけど、一度新日本プロレスに厚遇で迎えられたのに全日本に戻ってきたこともあった。普通は待遇がよかったら、多少のことは我慢するけど、ブロディはそれができなかったんだろうね。これには馬場さんもホッとしたというか、しめしめと思ったんじゃないかな。

 気難しさという面ではマスカラスとブロディの2人が強烈すぎて、ほかの選手は小物に見えちゃうよ(笑)。そんな、2人をうまく扱っていた馬場さんはやっぱりすごいね。きっと、葉巻で煙に巻いていたんだろう……。

 気難しさとは逆に、紳士的だったレスラーで真っ先に思い浮かぶのはニック・ボックウィンクルだね。AWAのチャンピオンで、何度か来日してジャンボ鶴田と王座を争っていたんだが、この人は紳士だったよ。人と接するときはいつもにこやかで、ホテルのフロントでも、普通のレスラーは「おい、部屋のキーだ!」という感じだけど、ボックウィンクルは「キーをください」と言える人だった。

 考え方が普通というか、ビジネストークがきちんとできる人という感じかな。ほかのレスラーのように「俺が! 俺が!」と前に出るタイプでもないし、バーで馬鹿みたいな飲み方をしたり、一人で席を3つも4つも使って我が物顔でいたりということはまったくなかった。どんな人にも腰が低くて「よくこんな人がプロレスで生活の基礎を築いているなあ」と感心したもんだ。

 リック・フレアーも紳士的だったね。普段は言葉遣いも丁寧で「Yes, sir! 」や「pardon me」と相手をちゃんと立ててくれて、優しかったよ。ただ、酔っぱらってハチャメチャするのが玉にきずだったな……。言葉遣いや物腰は紳士なんだけど、やることがレスラーだったんだよ。自分をすごく見せることへの意識が強くて、モテるところを見せようと女の子を4~5人はべらせて飲んだり、そのことで家に帰ってから奥さんに怒られたり(笑)。普段の振る舞いは紳士的だったが、紳士度はボックウィンクルに比べると一段落ちるね。

 あとはWARにも来てくれたボブ・バックランドもすごい紳士だった。実力があるのに偉ぶらず、ひけらかすでもなく、まさに好青年といった感じだ。彼は優しい顔をしたベビーフェイスだったけど、フロリダのプロレスの練習場ではいつも道場破りの相手をしていたんだって。やってくる道場破りは優しい顔つきをしたバックランドだったら勝てると思って彼と戦うんだけど、ものの10秒で泣かされていたようだ。優しい顔をしてやることはキッチリやる奴だって、フロリダでは有名だったらしいよ。

 ひょうきんだったレスラーといえば、俺の中ではディック・マードックしかいないね! 家に遊びに行ったら、ベッドで寝ながらテレビを観たいと言って、天井に無理やりテレビをくくりつけていたりと、ふざけたことをする人だったよ。それに彼は「ドンパチ」や「すみません、ビールください」という日本語を知っているくらい日本びいきだった。

 マードックは義理人情という日本の文化が好きだったようだね。行きつけの店もあって、日本で稼いだ金の半分以上は日本で使っていたんじゃないかな。テキサスの出身だからおおらかではばかりなく、酒は徹底的に飲むし、はしゃぐときは徹底的にはしゃぐ。マードックテリー・ファンクはよく似ているよ。広い土地で育つとああいう性格になるのかね? 俺もテキサスにいたころに感化されて、日本でもカウボーイスタイルのファッションをしていたけど、すぐ女房に服を捨てられたっけ(笑)。

 日本びいきといえば、外国人レスラーは日本の焼肉が大好きだったよ。ほとんどの選手が「焼肉は最高にうまい!」と言っていたのが印象的だった。甘辛いタレの味付けがうまいのかな? そういえばテリヤキソースも人気があるもんね。ほかにも日本のあるステーキ店が人気で、わざわざ車を出してまで通うレスラーも多かった。そこは外国人レスラーが行くとサービスがよかったみたいだからね。俺も一度行ったけど、そのとき撮った写真を勝手に店に使われて「俺たちで商売しやがって!」と頭に来てね。それ以来その店には行っていないけど、外国人レスラーには人気だったよ。

 ほかに思い出深いレスラーといえばブルーノ・サンマルチノの息子だね。彼とはノースカロライナで一緒だったけど、これが馬鹿息子で(笑)。「俺はブルーノ・サンマルチノの息子だ」とことさらアピールしてきてね、なにかにつけて「うちのダディが、ダディが」というのにはみんな閉口していたよ。からだも小さいし、俺は稽古しなくても勝てるくらいの実力だ。鼻持ちならない奴ではあったが、性格の悪い奴ではなかったから、周りに好かれてはいたよ。「ダディが」以外はね(苦笑)。

 最後に挙げるのは、金髪の“ネイチャーボーイ”としてアメリカで旋風を巻き起こしたバディ・ロジャースだ。馬場さんがよく「俺がアメリカにいたころ、ロジャースとどこに行っても、アメリカ中の会場が超満員だった」と言っていたもんだ。1960年代のことだね。

 そのずっと後だけど、俺もアメリカのテレビマッチで戦ったことがある。1978年か79年で俺はグリーンボーイの日本人、ロジャースは60歳近いじいさんだ。当時の俺はロジャースのことをよくわかっていなかったから「なんでこんなおっさんとやらなきゃいけないんだよ」と悲しく思ったもんだ。挙句の果てに足四の字でギブアップ負けだ。あのときは情けなかったね。

 ただ、振り返ってみるとロジャースは60歳近いのにピシっとしたいいからだをしてカッコよくてやっぱりスターだったし、今では戦えたことは俺の誇りだ。馬場さんもロジャースと戦っていたことを誇りに思っているようで、よくその話をしていたから「俺も戦ったことありますよ」とは最後まで言い出せなかったね……。馬場さん、俺もロジャーズと戦ったんですよ!

(構成・高橋ダイスケ)

天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ。「ミスター・プロレス」の異名をとる。63年、13歳で大相撲の二所ノ関部屋入門後、天龍の四股名で16場所在位。76年10月にプロレスに転向、全日本プロレスに入団。90年に新団体SWSに移籍、92年にはWARを旗揚げ。2010年に「天龍プロジェクト」を発足。2015年11月15日、両国国技館での引退試合をもってマット生活に幕を下ろす。

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