ソフトバンク監督になれたのは、高田GMのおかげ!

ソフトバンク監督工藤公康、確か、巨人がアゴ倉を国内FA獲得する時にワザとプロテクトしてなくて横浜に行ってたから、縁がデキた。選手を終えたのは西武で、暴力振るってたデーブ大久保の焚付役だった。カレがちゃんと仲裁してたら、菊池雄星は手術もメジャー行きもなかったかも。

横浜高田GMが監督候補をピックアップした時、桑田真澄中畑清と共に面接受けた。高田GMが扱いやすさを第1に中畑に決めたから、工藤にソフトバンク監督のオファーが回った。古葉監督も森監督も、広島と西武での耀かしい実績に横浜でドロを塗った。横浜で株を上げたのは、権藤サンだけ。

現存する最愚GM高田繁が見逃してくれたから、肥大戦力チームたるソフトバンクで日本一監督になれたのだ。NPB最高総年俸のソフトバンクで、パ・リーグCS圏からもハズれたから無能の烙印と共にチームを去った。

まあ、工藤が西武からダイエーに移籍したから、王のダイエーが日本一になれた。王の方が恩返しだったんじゃない?

 

 

 

 

 

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工藤公康氏 王会長からの監督オファー「前向きに」即答の理由 ダイエー時代の“恩”「返さなければ」
10/23(日) 11:36 Yahoo!ニュース
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ソフトバンク監督の工藤公康
 プロ野球福岡ソフトバンクホークス前監督の工藤公康氏(59)が22日放送のBS日テレおぎやはぎの愛車遍歴 NO CAR,NO LIFE!」(土曜後9・00)に出演。監督就任オファーを受けた際の裏話を披露した。

【写真】退任会見を終え、王貞治球団会長(左)にねぎらわれる工藤公康監督

 工藤氏は2015年~21年までプロ野球福岡ソフトバンクホークスで指揮を執り、7年間で3度のリーグ優勝、5度の日本一に輝いた。

 王貞治球団会長から「お前に監督をやってもらいたい」とオファーされたと説明。妻からは「もしそういう話があっても即答してきちゃダメよ」と釘を刺されていたが、王会長に「“前向きに考えます”って言ってしまった」という。

 実は、ファンと王会長に恩義を感じていた。1981年に西武に入団し、95年に当時のダイエーに移籍。99年オフ、フリーエージェント宣言し、巨人に移ることに。この時、工藤氏のダイエー残留を願うファンが署名活動を行い、17万人以上もの署名が集まった。

 「それを10年間くらいかけて、家族みんなで書いて、送れるものは送った」と御礼のはがきを返信した工藤氏。「王会長にもいろいろ相談させてもらったし。いつかは返さなければいけないと思っていた。“前向きに考えます”って言葉が出たのは、九州のみなさんと王会長に恩義があったので」と話した。

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