V・ロッシ、各クラスで見せたヤンチャ!

V・ロッシ、印象に残ったのは、98年の250ccステップアップした時だ。97年アプリリアからホンダに移籍したM・ビアッジが500ccにステップアップ、ホンダ・ヤマハ・スズキは戦力不足、チャンピオン争いはアプリリアのR・カピロッシ原田哲也とV・ロッシの3人で行われた。

3人はレースを引っ張る展開を嫌い、中盤まで互いに譲り合って走りマシンを温存、最後の数周だけ全開でバトルしていた。特に、原田哲也とV・ロッシは露骨にやっていた。

終戦原田哲也に抜かれたR・カピロッシが、原田哲也に露骨にブツけコースアウトさせた。それで原田哲也は2度目の250ccチャンピオンを逃した。主催者はカピロッシにペナルティーを課すなどの処置を一切しなかった。

99年は原田哲也カピロッシもいなくなり、あっさり250ccチャンピオンを手にした。

00年、500ccにステップアップ、ホンダNSRを手に入れた。長身と長い手足で、500cc2サイクルを操り、500cc最後のチャンピオンになった。

01年、990ccモトGPとなり、ホンダV型5気筒のRC211Vを駆り、圧倒的に勝った。今のモトGPのライディングとは違い、超高回転エンジンの強烈なバックトルクを使い、慣性ドリフトを見せていた。

また、ホンダだけでなく、ヤマハドゥカティーでもタイトル含め活躍した。

 

 

 

 

***********************************

《秘蔵写真満載》バイクレースを変えた天才…写真で振り返るバレンティーノ・ロッシの情熱と革命の歴史
12/29(木) 17:02 Yahoo!ニュース
  10
ヤマハYZR-M1を駆る2017年のバレンティーノ・ロッシヤマハでの2度目の挑戦では王座に届かなかった photograph by Satoshi Endo
 1949年に始まったロードレース世界選手権(WGP)の歴史のなかで、「スーパースター」と呼べるのは、バレンティーノ・ロッシだけではないだろうか。

【貴重写真】坊主頭やお茶目な笑顔にノリックとツーショットなどのロッシ全盛時代、MotoGPプロトタイプのテストライド秘蔵写真、存命ならロッシのライバルになったであろう加藤大治郎の在りし日の華麗なライディング

 1996年に125ccクラスでグランプリにデビューして以来、125cc、250ccクラスで1回ずつ、500ccとMotoGPの最高峰クラスでは7回と、合計9回のタイトルを獲得。残した数々の記録はこれからのライダーたちの目標になることは間違いないが、ロッシが残したのは記録だけではない。

 サーキットのスタンドを埋めるファンはもちろんのこと、映像を通じて、世界のロードレースファンに語りかける仕草やポーズは、レース好きのハートを鷲掴みにした。表彰台での楽しくて愉快なパフォーマンスはファンとの距離をぐっと縮め、コース上では新しいライディングのテクニックを生み出した。

 そんなロッシも2021年限りで引退。現役生活を26年間続けられた要因を「情熱」と語ったが、その情熱から生まれたロッシならではのエピソードを写真とともに紹介していきたい。

「無敵のコンビネーション」2001年11月 ヘレステスト
 2002年から最高峰クラスのマシンには、従来の2ストローク500ccから4ストローク990ccが導入された。ホンダは2ストロークのNSR500に加え、ニューマシンRC211Vをヘレステストに用意した。

 同年は過渡期として2スト、4ストのマシンが混在するシーズンとなり、テストでは、2001年にNSR500でタイトルを獲得していたロッシにバイクに乗り込んでもらい、2002年シーズン、NSR500かRC211Vのどちらで参戦するかを決めてもらう予定だった。だが、ロッシはピットを出てからわずか5周でRC211Vを選択。そして、2002年、2003年と、RC211Vで敵無しのシーズンを送った。

加藤大治郎との遭遇」2001年11月 ヘレステスト
 同じくヘレステストでのワンカット。この年、250ccクラスでシーズン11勝(現在も250cc・Moto2クラスのシーズン最多記録)を挙げていた大ちゃんこと加藤大治郎は、2002年シーズンからNSR500でデビューすることになっていた。大ちゃんは、ヘレス、バルセロナ、フィリップアイランド、もてぎ、セパンなどをテストで走り、500ccのレコードを持つロッシの記録を次々にブレイク。ロッシにとって最大のライバルかつ、脅威になることが予想された。

 そんな二人が並んだ記者会見が、11月のウインターテストで初めて実現。二人とも体制発表前で私服だったが、会場は緊張感にあふれていた。

「あこがれのノリックと」2002年7月 ドイツGP
 1994年の日本GPでワイルドカードで衝撃のデビューを飾ったノリックこと阿部典史。彼の強烈な走りを見てファンになったロッシは、「ろっしふみ」というステッカーを作り、引退までマシンに貼り続けた。ドイツGP会見場で初めて同席した二人だが、ロッシは2001年に500ccでタイトルを獲得しており、言わば格上。このときはノリックの方が緊張したと語っていた。

「ファンを魅了するパフォーマンス」2009年9月 サンマリノGP
 全盛期のロッシは、優勝したレースでさまざまなパフォーマンスを披露してファンを喜ばせた。前戦インディアナポリスで「2位でも良かった」レースで転倒リタイアしたロッシは、チームメートのホルヘ・ロレンソに一気にポイント差を縮められた。だが、続くサンマリノGPでロッシは優勝し、チャンピオンを再び引き寄せた。

 そんな経緯もあって、レースでは「まぬけ、のろま」を意味するロバをヘルメットに描いて、バカな転倒をしたインディアナポリスを自ら揶揄し、表彰台ではロバの耳をつけてファンを喜ばせた。いまのライダーたちが多彩なパフォーマンスを当たり前のように繰り広げるのも、ロッシというパフォーマンスの先人があってこそだ。

シャンパンファイトの達人」2009年6月 カタルーニャGP
 チームメートのホルヘ・ロレンソのホームGPであるカタルーニャで、熾烈な一騎打ちを制したロッシのシャンパンファイト。ただ、ロッシの人気はスペインでも高く、シーズンを通して、どの大会もホームGPのようだった。

 雑誌、テレビなどで自分のレースを入念に研究するロッシは、シャンパンファイトも超一流。角度、向きなど、ムービーやスチールのカメラを意識したポーズをいつも見せてくれた。写真映えという点でも超一流だった。

「足出し走法の発明」2009年2月 セパンテスト
 マレーシアのセパンで行われた公式テストで、バレンティーノ・ロッシは初めてブレーキングで足を出す走法を披露した。なぜ? その効果は? と話題になり、その後、ロッシ考案のブレーキング足出し走法は、ロードレース界のスタンダードになった。

 足出し走法の効果は、ブレーキングの際にリアに荷重を残し、よりハードなブレーキングを実現すること。流行し始めたころにロッシは、「足を出す選手には、1回ごとに1ユーロもらおうか」と言って笑いを取った。この走法は、ロードレースの走り方を変えたもっとも大きなテクニックでもある。

「誰もが真似するパフォーマンス」2016年4月 スペインGP
 2016年からMotoGPクラスのタイヤは、ミシュランの1社供給となり、パルクフェルメの路面には、順位を示したミシュランのプラカードが用意された。ロッシはスペインGPでPPを獲得したとき、鉄製の看板を引っこ抜き、写真に収まった。以来、クラス、レース、ライダーを問わず、これが恒例となった。枠にはまらない自由な発想は、ロッシならではだった。

「たくさんの決まりごと」2017年2月 セパンテスト
 ロッシには走り出すまでの決まりごとがたくさんあるが、その中でも有名なのが、マシンに跨がる前に「集中するため」に行なうという、この儀式である。この後、ステップを掴み、跨がる。乗る時は進行方向右側から、降りるときは左側と決まっている。ほかにも数々の決まりごとがあるが、それらは引退するまで変わらなかった。

「黄色に染まるサーキット」2018年6月 イタリアGP
 全盛時代、ムジェロで開催されるイタリアGPで7連勝を達成するなど、地元ファンの期待に応えてきたロッシ。サーキットは、ロッシ応援団で真っ黄色に染まるが、2018年の大会で3位になったときはコースにファンがなだれ込んで、「バレ」コールは鳴り止まなかった。

 この大会だけは、レース終了5周前にパドックを封鎖する。それは観客がパドックになだれ込まないようにするためだが、我々カメラマンも早めにパドックに引き上げなければならない。シーズンを通してもっとも熱いレースである。

「サービス精神のかたまり」2021年3月 カタールGP
 ロッシの最後のシーズンとなった2021年。表彰台に立つことはなかったが、フリー走行、予選、そして決勝と、ロッシはこうしてウイリーを披露した。観客はもちろんのこと、カメラマンにとっても、ロッシのセッションを締めくくるパフォーマンスは大人気。ロッシのサービス精神は、報道関係者のハートも掴むものだった。写真の開幕戦カタールGPは、予選4位とラストシーズンのベストグリッド。決勝は12位に終わったが、印象深いウイリーだった。

「おまけ・ファンの聖地」2017年9月 イタリア・タブーリア
 バレンティーノ・ロッシが生まれ育ったタブーリアは、ミサノサーキットから約10kmのところにあり、サンマリノGPを訪れたファンは、タブーリアのロッシのオフィシャルショップに立ち寄ることになる。言わば聖地だけあって、街の入り口の看板は写真のように思い出づくりのサインで埋まる。

 ロッシの現役時代、レースウイークになるとこの道の制限速度を示す標識には、ロッシのゼッケンにちなんで〈46〉が掲げられたが(実際の制限速度ではない)、あっという間にファンに持ち去られたのだという。街はロッシのトレードカラーの黄色に染まり、窓からはロッシの旗が掲げられる。黄色に染まるタブーリアを訪れる旅は、なかなか興味深いものだった。
(「モーターサイクル・レース・ダイアリーズ」遠藤智 = 文)

***********************************