トヨタハチロク/スバルBRZ、全然成功ではない!

トヨタハチロク/スバルBRZ、商品的にもコスト的にも成功ではない!

今は亡きテストドライバー成瀬サンが、LFAよりもこちらを早く出したいと言っていた。

自動車は規格ビジネスだ。日本市場で売るなら、大きくは小型車5ナンバーか普通車3ナンバーかキチンとセグメントを明確にするべきだった。初代は動力5ナンバーレベル、車幅3ナンバーのクルマだった。かと言って、ヨーロッパ市場に合わせたかというと、1.4リッター以上の無差別級でも全く特性のないクルマになった。1.4リッターターボや2.5リッターターボを設定すれば、1.4リッターターボを車幅1.7m内に設定するコトで、日本にもヨーロッパでも対応したクルマになったハズ。

ハナっから、原価管理として既存トヨタ/スバル既存コンポーネントを流用で作れば、こんなバカ値段をつけるコストにはならなかった。キチンとトヨタ/スバルの生産関連情報交換がされていれば、市販(5ナンバー)インプレッササイズで1.4リッターターボで生産できたハズ。

1.4リッターターボを日本でも売っていれば、日本の市場も変わっていたハズ。マーケティング的にも誤ったクルマだと思う。

2代目はハナっから無差別級のクルマにしたが、動力的に大した向上もなく、ただ値段を上げて継続しただけのクルマになった。

週刊ヤングマガジン連載、しげの秀一「MFゴースト」が休載しているのも、そうしたクルマの商売的片棒担ぐ書き方を強いられたため、スランプに陥ったからじゃないの?

 

 

 

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トヨタハチロク」を作ったエリート技術者が「やってられねえぜ」と心折れてしまった理由
2/19(日) 7:03 Yahoo!ニュース
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写真提供: 現代ビジネス
 トヨタが1980年代の名車「AE86」のDNAを現代に復活させた、スポーツカー「86(ハチロク)」。2012年に発売されると、ライバル車をはるかに上回る売れ行きを見せ、クルマ離れ著しい若年層にも人気を博した。

【写真】20年前にトヨタの株を「100万円」買っていたら、今いくら?

 だが「86」が成功するまで、自動車各社は「スポーツカーは売れない」と開発に後ろ向きだった。当時の売れ筋は家族向けのミニバンや小型車。トヨタ社内でも「車高が低くて乗りにくいスポーツカーなんて、オッサンしか買わない」「そんな車を作っても、担当者は出世できない」とまで言われていたのだ。

 自動車エンジニアには、「いつかスポーツカーを作りたい」という夢を抱きながら、採算や効率の壁に阻まれて、それを諦める者も少なくない。だが「86」チーフエンジニアを務めた、多田哲哉氏は違った。

 「会社のために働くな」

 日本最大の企業・トヨタにいながら、そんな「反逆」ともいえる思いを胸に、多田氏は自らの夢だった「本格スポーツカーを現代に復活させる」というプロジェクトを、孤独の中で始動させた。

 その道のりと、今なお秘密に包まれているトヨタ社内の実態を描き尽くした、清武英利氏のノンフィクション『どんがら トヨタエンジニアの反骨』が今、自動車業界と愛好家たちの話題をさらっている。今回、衝撃的なその第一章冒頭部を特別公開する。

 ときは、多田氏がスポーツカー開発の特命を受ける前夜、2007年1月にさかのぼる。

「やめだ、車なんかやめだ」
 
Photo by iStock
 小針神明社の鳥居を過ぎたあたりから家々の灯は絶え、闇の中の田んぼが深閑と広がっていた。愛知県岡崎市の中心部から北西に六キロ、寒々とした農道である。

 「やってられねえぜ」

 畦道の中で、小さなLEDライトを持った痩躯長身の男がひとり怒鳴っている。

 「なんでわかんねえんだ! あのバカは」

 ひょろりとした男は細い眼鏡をかけ、握った手綱の先には黒い中型犬がいた。罵声は主にその犬に向けられていた。もう三十分もぶらぶら散歩しながら哀しそうに叫んだり、立ち止まって嘆いたり、暗い空を仰いだりしているのである。

 「やめだ、やめだ。車なんかやめだ」

 男は多田哲哉という。トヨタ自動車に途中入社してから二十年になる。「Z」と呼ばれる開発チームのチーフエンジニアである。三ヵ月もすれば五十歳だが、短く刈り上げた髪が逆立ち、十歳以上も若く見えた。

何を言っているのか…?
 自動車はボルト、ナットまで数えると約三万点の部品から成っている。これが電気自動車になるとその半分以下で済んでしまうのだが、チーフエンジニアの場合、新車開発の企画から設計、宣伝、販売に至るまで現場の決定権を握り、約三万点のすべてを差配するから、部長職でありながらかつての車作りでは絶対的な力を持ち、技術職の憧れのポストでもあった。

 そのひとりが毎夜、田んぼの畦道で憑かれたように振る舞っている。

 多田の職場は、十一キロ先の豊田市トヨタ技術本館にある。このエンジニアの城から午後十時前後に岡崎市の自宅に帰り、毎晩すぐに農道に現れ、畦道を歩き回るのだ。

 犬の名はダッチといって、狩猟犬の血を引くラブラドール・レトリーバーである。畦道で叱りつけてくる主人をボーッとした顔で見上げていた。そうかもねえ、と同情しているようでもあり、何を言っているのか、と問うているようでもある。その老犬を罵倒し顔を見合わせているうちに、ばかばかしくなったらしく、

 「もう、やめようかね」

 とつぶやいた。そして、ゆっくりと家路につく。

 以前は、ダッチの散歩に妻の浩美が行くこともあったのだが、百五十センチと小さくて細身の彼女はある夜、手綱ごとダッチに引き倒され、ひっくり返った拍子に顔に傷を作った。それから夜の散歩は多田ひとりが引き受け、一日の終わりに老犬が罵声を浴びることになっている。

妻も「おかしい」と気づいて
 チリンチリンと玄関のベルが鳴った。

 「あっ、戻ってきた」

 浩美は夫の帰宅に気づいた。この家は玄関のカギをかけていない。彼が「今から帰るよ」などと連絡したためしはないし、会社や外出からいつ帰ってくるかわからないので、しかたなくそうしている。

 彼は挨拶もしない。「ただいま」も、「おはよう」も、「いただきます」もない。プロポーズの言葉もなかった。考えごとをしながらヌーッと家に入り、ドアを開く。それで息子が中学生のころに工作をして、玄関に下げるベルを取りつけた。

 悪態散歩は、家に仕事を持ち込まない彼のストレス解消の手段である。だが、浩美は少し前から様子がおかしいのに気づいていた。

 人事異動があったり、新車が出来上がったりして、仕事の節目を迎えると、夫は会社の出来事をぽつりぽつりと話し聞かせたのだが、近ごろは、食卓で入れたコーヒーを飲みながら、「会議は本当に無駄だ」と口にしたり、「もういい加減いやだ」と投げやりにぼやいたりしている。

あまりに大きなプレッシャー
 この前はこんな独り言で、浩美をびっくりさせてしまった。

 「もうあんな車を作りたくない。まったく面白味がないんだよ」

 二〇〇七年が始まったばかりだった。

 トヨタは販売台数で前年にダイムラー・クライスラーを抜き、この年にフォード・モーター社を超えて、全米二位に躍進しようとしている。はた目にはその一翼を担う多田の車作りも順調に見えた。

 彼はもともと三菱自動車のエンジニアで、そこを飛び出してベンチャー企業を作って失敗した後、トヨタに転職した。それから十二年目の一九九八年に第二開発センター製品企画室に引き抜かれている。それはZ(ゼット)と呼ばれる中枢のチームのひとつだったから、抜擢と呼ぶべき人事だった。Zを率いるチーフエンジニアに昇進したのは三年後、まだ四十三歳だった。

 超巨大企業・トヨタ、その開発部門の中枢「Z」は、極秘のベールに包まれている。多田氏がここまで追い詰められた理由は、Zの幹部にして車の開発すべてに責任を負う「チーフエンジニア」として働くプレッシャーと、厳しい会社からの要求のためだった。その詳細を後編【「ハチロク」を作った技術者が明かす…トヨタ中枢の謎の組織「Z」とは何か】でお伝えする。
清武 英利(ノンフィクション作家)

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