F1で、一応優勝したけど、決して速くはなかったクルマを10台挙げてある。しかし、挙がっているクルマを見ると、別に最強スペックなクルマではなく、フォードコスワースV8など普及版車両や開発途上の車両ばかりじゃない?
◼️フェラーリF60
◼️シャドウDN8
◼️トロロッソSTR3
◼️ティレル011
◼️フェラーリ126
■リジェJS43
■ウイリアムズFW09
■ロータス43
■ウイリアムズFW34
■ジョーダンEJ13
こんなクルマではなく、当時最強エンジン積みながらシャシーに欠陥あったマクラーレンホンダMP4/5Bや6や7とかを挙げるべきじゃないの?
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“一応”優勝はしたけど……決して「速くはなかった」F1マシン10選:後編
2/19(日) 18:03 Yahoo!ニュース
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リジェJS43
F1で優勝を飾るというのは特別なことであり、トップでチェッカーを受けられるのは無論、突出した速さを持つマシンたちだ。ただもちろん例外もある。気象条件やレース展開によっては、普段は優勝争いに絡めないようなマシンにチャンスが巡ってくることもあるのだ。
【ギャラリー】伝説のコスワースDFV……レッドブルと新たな歴史を紡いでいくフォードが成功を収めたF1マシン10選
今回はF1で優勝を記録し歴史に名を刻んだものの、決して戦闘力が高いとは言えなかったマシンたちをピックアップする。今回はその後編として5台を紹介。
■リジェJS43
優勝:1996年モナコGP(オリビエ・パニス)
優勝除く最高成績:5位
コンストラクターズ選手権:6位
1996年モナコGPでのオリビエ・パニスの優勝は、今も語り草となっているF1屈指の番狂わせだ。当時のリジェはチャンピオンチームのウイリアムズと比べて平均して2.5%落ちのラップタイムとなっており、データ上は11チーム中7番目のチームであった。
そんなリジェのパニスは雨のモナコGPで14番手からスタートしたが、次々に脱落する上位陣を尻目に順位を上げ、路面が乾いてスリックタイヤに交換した段階ではウイリアムズのデイモン・ヒル、ベネトンのジャン・アレジに次ぐ3番手につけていた。しかしヒルとアレジが相次いでトラブルに見舞われたことで、パニスに優勝が転がり込んだのであった。
この勝利はリジェにとっては最後の優勝となった一方、エンジンを供給する無限ホンダにとっては初の優勝であった。
■ウイリアムズFW09
ウイリアムズFW09
優勝:1984年ダラスGP(ケケ・ロズベルグ)
優勝除く最高成績:2位
コンストラクターズ選手権:6位
エンジンサプライヤーとしてF1第2期活動を開始したばかりだったホンダは、1983年末からウイリアムズと手を組んだ。ホンダエンジン搭載のFW09はウイリアムズ初のターボカーであったが、ターボラグへの対処など熟成には手を焼いた。
そんなFW09が挙げた唯一の勝利は猛暑のダラス。ケケ・ロズベルグは水冷式のデバイスで頭部を冷やすなど暑さ対策は万全であり、7番手スタートから順位を上げていった。
ロータスの2台を交わしてトップに立ったロズベルグだったが、マクラーレンのアラン・プロストに交わされ2番手に後退。しかしプロストが市街地特有のバンピーな路面に足を取られてパンクしたことでリタイア。ロズベルグがホンダ第2期の初勝利を挙げた。
以降のレースをほとんどリタイアで終えたFW09だったが、翌年のFW10からは優勝争いの常連に。ホンダエンジンの黄金期が始まっていくことになる。
■ロータス43
ロータス43
優勝:1966年アメリカGP(ジム・クラーク)
優勝除く最高成績:なし
コンストラクターズ選手権:5位
1966年~1967年の5レースに出走し、1勝を記録しているロータス43。特筆すべきは、このマシンは優勝したレースを除けば一度も完走していないという点だ。
本稿は「速くはなかったマシン集」と題してはいるが、チャンピオンマシンである25、33の後継機として生み出された43は、純粋な速さという面では申し分なかった。実際、クラークは43で毎回のように予選トップ3に入っていた。
ワトキンスグレンでの1966年アメリカGPでは、クラークが2番手からスタートし、ライバルのトラブルにも助けられて独走で優勝。しかしその他のレースではことごとくエンジントラブルやギヤボックストラブルに見舞われた。特にBRM製のH型16気筒エンジンは重くて信頼性が低い一方でパワーもそれほどだったのだ。
しかしロータス43はあくまで“繋ぎ”のマシンであり、1967年シーズン途中からは新開発のフォード・コスワースDFVエンジンを搭載した49が登場。ロータスは再び成功を収めることとなる。
■ウイリアムズFW34
ウイリアムズFW34
優勝:2012年スペインGP(パストール・マルドナド)
優勝除く最高成績:5位
コンストラクターズ選手権:8位
F1の歴史では、中団以下のチームが波乱のレースを制して1勝を挙げたケースはいくつかあるが、2012年のウイリアムズFW34に関しては明らかな中団チームであるにもかかわらず、波乱の要素なくしてポールトゥウィンを達成したという稀有な例である。
2012年のウイリアムズは開幕から予選・決勝ともにトップ10圏内に入れるかどうかというレースが続いていたが、第5戦スペインGPでパストール・マルドナドが予選2番手タイムをマーク。マクラーレンのルイス・ハミルトンが予選失格となったことで、ポールポジションを手にした。
決勝ではスタートでフェラーリのフェルナンド・アロンソに先行されるも、マルドナドは負けず劣らずのペースで食らいつき、2番手を走行。ピット戦略でアロンソを逆転すると、そのままトップでチェッカーを受けたのだった。
しかしその後のマルドナドは9戦連続でノーポイントに終わるなど精彩を欠いた。予選では何度かトップ3に入り見せ場を作ったが、トラブルやアクシデント、ペナルティなどでことごとく結果に繋がらなかった。チームメイトのブルーノ・セナも最高位7位に終わり、ウイリアムズはコンストラクターズランキング8位でシーズンを終えた。
■ジョーダンEJ13
ジョーダンEJ13
優勝:2003年ブラジルGP(ジャンカルロ・フィジケラ)
優勝除く最高成績:7位
コンストラクターズ選手権:9位
ここまで紹介したチームはそのほとんどが“中団”と言える立ち位置であったが、ジョーダンEJ13に関しては完全なバックマーカーであった。しかし2003年のブラジルGPで奇跡的な優勝を収め、F1優勝マシンとして歴史に名を刻むこととなったのだ。
スポンサー不足から資金繰りが悪化したジョーダンは、前年のホンダエンジンから型落ちのフォード・コスワースエンジンにスイッチ。シャシーもダウンフォースが不足し、おまけに信頼性も足りない……とてもグランプリで勝てるマシンではなかった。
しかし第3戦ブラジルGPは雨で大荒れのレースとなった。このレースで8番グリッドを獲得していたフィジケラだったが、セーフティカーランでレースがスタートされると早々にピットインし燃料を補給。この作戦が功を奏し、その後各車がスピンアウトしたりピットインしていく内にフィジケラはみるみる順位を上げていった。
フィジケラがマクラーレンのキミ・ライコネンを交わしてトップに立った直後、ホームストレートでジャガーのマーク・ウェーバーがクラッシュし、その残骸に巻き込まれてルノーのフェルナンド・アロンソもクラッシュするという大事故が発生。レースは赤旗が振られて終了となったが、レースはどの周回の順位を適用するかで混乱が生じた。当初はライコネン優勝とされたが、のちにフィジケラ優勝に訂正された。
Kevin Turner
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