藤浪晋太郎、カネモトと矢野にツブされた7年!

藤浪晋太郎(28)のこの7年、阪神でカネモトと矢野に"ツブされた7年"を考えた?阪神フロント、カネモト、矢野、阪神コーチ陣、梅野、寄ってタカって藤浪をドン底に叩き落とした。3年目で日本シリーズのマウンドに上がり、更なる飛躍を予感させたというのに。カレら2人は、"和田監督最終年に日本シリーズに出た戦力"を"自分達が見出した戦力"に置き換えるコトだけに専心し、チームをボロボロにした。カネモト&矢野の7年で、和田監督日本シリーズ出場メンバーは阪神から1人残らずいなくなった。その最後が、藤浪晋太郎だった。

21歳からの7年・・・3年目までは明らかに大谷翔平より投手としての成績は上だったのに、ソコからは真逆!大谷翔平が野球に集中できる環境に恵まれ、日本一を獲ってMLBにポスティングで送り出された。それに対して、カレはバカな監督コーチ陣にアレするなコレするな、アレしろコレしろ、雁字搦めにされ、イップスすら報じられた。

ケチのツキ始めは、渡米してまでダルビッシュ有と自主トレし、あの体重バカ増しをやってしまったコトだ。ダルビッシュ有田中将大大谷翔平藤浪晋太郎とやって、誰一人良い結果にならなかった。ダルビッシュ有大谷翔平は1年経たずにトミー・ジョン手術、田中将大は保存療法しつつフォークを控える配球見直しした。

藤浪晋太郎だけが、身体的に無事で済んだ。ただ、重くなったカラダで変わらぬフォームで投げ、カラダの返しが遅れ、右打者インハイ方向に抜ける傾向になった。ダルビッシュ有田中将大大谷翔平も、体重バカ増ししたカラダを返すために、テークバックを小さくし、前に強く速くステップしていた。しかし、藤浪晋太郎にキチンとコーチングした指導者は皆無だった。

藤浪晋太郎は"なにわのダルビッシュ"と呼ばれたくらい、ピッチングフォームも似ていて、カラダをZ軸で背番号を打者に見せるくらい捻り、大きなテークバックと合わせて一気に返す。ダルビッシュや大谷より5センチ以上背が高く、手足も長いため、細くてもスピードが出る。大阪桐蔭時代も突如乱れたりしていたが、増やした体重で一気におかしくなった。

去年から、Z軸捻りをなくし、カラダの動きをタテ限定にした"去勢フォーム"にしている。それでも、160キロを超す。

本来は、減量して、昔のフォームで投げて欲しかった。

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「死ぬ時に後悔をゼロにするのは難しいけど…」藤浪晋太郎28歳が見たWBCと”同学年”大谷翔平の異次元「自分が語れるレベルではない」
4/4(火) 17:02 Yahoo!ニュース
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今季からアスレチックスでメジャーの舞台に挑む藤浪晋太郎WBC侍ジャパンの奮闘と自身の挑戦について語った photograph by Yukihito Taguchi
 今季からメジャーの舞台に挑む藤浪晋太郎(28歳/アスレチックス)の初登板は2回1/3、8失点とほろ苦いデビューになった。同学年で高校時代のライバルだった大谷翔平が大活躍したWBC侍ジャパンの奮闘を藤浪はどのように見ていたのか。
 現在発売中のNumber1070号[渡米1年目の思い]「今はちょっと遠くても~藤波晋太郎が見たWBC~」より内容を一部抜粋してお届けします。<記事全文は「NumberPREMIER」にてお読みいただけます>

【写真】あんなに楽しそうな大谷、見たことある?「翔平!!」ヌートバー&村上に“呼び捨てビールぶっかけられ”もノリノリ! WBC優勝を決めた”魂”の15球&メット放り投げ激走、メジャーでハグされまくりなど【大谷の日米で愛されすぎな日々】をイッキ見(100枚超)

「すごいとしか言いようがない」
 大谷翔平が吠える。グラブと帽子を夜空に放り投げる。「はるか遠い次元に行ってしまった」と評していた高校時代のライバルがついに世界一の称号を手に入れた瞬間、藤浪晋太郎は何を感じたのだろうか。

「もう……すごいとしか言いようがない。自分が語れるレベルではないですよね」

 柔らかな語り口からは終始、ピュアな感動だけがこぼれ落ちた。

 WBC決勝当日の朝、ひと足先に米国との“前哨戦”を終えていた。アスレチックスのキャンプ地、アリゾナ州。いつも通りクラブハウスに足を踏み入れると、この1カ月で打ち解けた仲間たちから予期せぬ「USAコール」で出迎えられた。

「みんな『USA! USA! 』っていじってくるし、『日本はノーチャンス』だとか……。思わず笑っちゃいました」

 だからという訳ではないだろうが、アリゾナでの滞在先のコンドミニアムで結末を見届けた10分後、声はどこか弾んでいた。

「一日本国民として純粋にうれしい。2大会連続で優勝を逃していた中で日本のレベルの高さを証明してくれたので」

「もちろん、選ばれなかった自分に悔しさはある」
 前回'17年WBCでは準決勝進出メンバーの1人だった。参加できなかった今大会には嫉妬に近い感情も混在したのでは? 少しいじわるな質問には丁寧に反論した。

「もちろん、選ばれなかった自分に悔しさはある。あの雰囲気を味わってみたかった気持ちもある。絶対に熱くなれるし、楽しいでしょうから。でも今の自分は選ばれる選ばれないを語れる立場にはない。誰かと比べても仕方がないし、それよりも自分のことをしっかり……という感じですかね」

 夢に突き進む人間だけが醸し出せる落ち着きが、言葉の端々からにじみ出た。

「今言わないと…死ぬ時に後悔すると思った」
 極秘裏に大リーグ挑戦希望を直訴したのは'21年12月のことだった。

 6年連続減俸を余儀なくされた契約交渉の席上、1年後のポスティングシステムを使っての移籍容認を阪神球団幹部に願い出た。本来の輝きを取り戻せないまま、同年は21試合登板で3勝3敗、防御率5.21。門前払いも覚悟の上でエゴをぶつけたのには訳があった。

「タイガースでいい成績を残して、優勝させてから行くのが一番だとは分かっていた。でも、メジャーは『行きたいならどうぞ』という舞台ではない。今言わないと野球人生が終わった時、死ぬ時にめちゃくちゃ後悔すると、心の底から思ったんです」

 ここ数年「終わり」を意識した言葉が目立つようになった。時には制球難をイップスと揶揄され、先発、中継ぎと起用法も定まらない日々。出口の見えないトンネルの暗闇で長くさまよい続ければ、嫌でも悟らざるを得なかったのかもしれない。

「使われ方を客観的に見ていて、先が見えてきたなと。それに、いつ故障してもおかしくないと考える機会も多くなって……」

 今だから明かせる。

「越えてはいけない一線を越えて…」
 藤浪は初めて中継ぎに配置転換された'20年秋、体中から発せられる危険信号に人知れずおびえ続けていた。

「このまま投げ続けたら、ホンマにつぶれてしまうんちゃうかな……」

 それは自身最速162kmを計測し、ついに完全復活かと甲子園、野球ファンを熱狂させていた時期の裏話だ。

「人の勝ち星とか勝利打点を背負って投げる場面はそれだけ気持ちが入る。多分、アドレナリンが出すぎて、越えてはいけない一線を越えて腕を振り切ってしまっていたのでしょうね。普通に投げているつもりでも常時150km後半、160km台が出る。あの状態を続けていたら、あと数年で野球ができなくなっていたかもしれない」

 選手生命の危機さえも予感させる恐怖にさいなまれていた頃から、大器の価値観には変化が生まれ始めていたように映る。

「自分だって、いつまでもずっと野球をできる訳じゃない」

鳥谷氏との対談で再確認した不変の真理
 不変の真理を再確認させられたのは'22年晩夏、あるテレビ企画で阪神OBの鳥谷敬氏と対談した際のことだ。

「どうして毎日あそこまで自分を追い込めるのですか?」

 素朴な疑問をぶつけると、大先輩は弟への思いを静かに語り始めた。

「実は3兄弟の一番下の弟がさ……」

 鳥谷氏の弟も球児だった。兄の背中を追い、埼玉・聖望学園で有望株として名を馳せていた高校時代、病気を患って野球を辞めざるを得なくなった。

「鳥谷さんはそれ以来、こう考えるようになったそうです。自分だっていつ野球人生が終わるか分からない。今日帰る時、事故に遭って野球ができなくなるかもしれない。悔いが残らないように練習しておかないといけない、と。そんな話を聞かせてもらって、自分も強く感じたんです。死ぬ時に後悔をゼロにするのは難しいけど、できるだけ後悔の数を少なくしたいなって」
(「Number Ex」佐井陽介(日刊スポーツ) = 文)
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