目立つトレードだったけど・・・

世紀の大型トレード?

1、ロッテ・落合博満と中日・牛島和彦上川誠二平沼定晴桑田茂の1対4トレード

時期は西武黄金時代、パ・リーグの関心は、ドコが2位になり、個人タイトルを誰が獲るかだった。山内監督の時に"他に空いてなくて"二塁手やった落合、登用後は瞬く間にロッテミサイル打線の中核になった。島田と新人石毛と落合三巴で首位打者を争い、落合が獲った。前期優勝したが、落合二塁手水上町遊撃手のコンビが合わず後期優勝日ハムに負け、山内監督から稲尾監督に替わった。

稲尾監督は手術から復帰した投手の村田とリー引退による一塁手落合を中心に据えた。それは、"パ・リーグの長嶋"有藤には屈辱だった。3度の3冠王獲ってもロッテは1億すら出さず、有藤の言葉に乗せられトレードした。

2、3年連続二桁勝利の村田勝喜と前年首位打者盗塁王の二冠を獲得した佐々木誠に左腕・橋本武広を加えた3人を放出し、西武・秋山幸二渡辺智男内山智之との交換トレード

根本陸夫サン、寝業師とか言ってるが、トレードは言うほど成功してなくない?伊東や森山や工藤などのドラフトや郭泰源獲得はお見事だったけど。

秋山以外、み~んなダメじゃなかった?

3、日本ハム糸井嘉男八木智哉オリックス木佐貫洋大引啓次赤田将吾の2対3トレード

巨人との日本シリーズでは、逆シリーズ男として阿部慎之助に封じられてしまった糸井。やはり、インサイドワークのワルさに日ハムマネジメントは見切りをつけ、金子誠の後を埋める遊撃手を獲得デキた。そのおかげで、大谷は遊撃手から右翼手に移れた。

ホントに双方メリットあった大型トレードって、日ハム張本勲と巨人高橋一三他の方が良かったんじゃないの?

 

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落合博満秋山幸二糸井嘉男…世紀の“大型トレード”はこうして成立した!
11/17(水) 17:00 Yahoo!ニュース
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2年連続三冠王の放出
キャプション 1986年、落合博満を獲得するという中日・星野監督の熱意で、前代未聞のトレードが成立した
 2021年シーズンも終わり、トレード戦線が本番を迎えたが、時にはチームのイメージを一新するため、主力同士の大型複数トレードが実現することもある。野球ファンを驚かせた、球史に残る「大型トレード」を振り返ってみよう。

【写真】落合博満は「トライアウトは宝の山」と語っていたが、 崖っぷちから這い上がった選手とは

 1人の選手に交換相手が4人という“前代未聞のトレード”が成立したのが、1986年オフ。ロッテ・落合博満と中日・牛島和彦上川誠二平沼定晴桑田茂の1対4トレードである。2年連続三冠王の放出という普通ならあり得ないトレード劇は、シーズン後、稲尾和久監督が実質解任されたことから始まった。

 稲尾監督を信頼する落合は「人事のやり方がおかしい」と球団を批判し、「稲尾さんがいないのなら、自分がロッテにいる理由はない」とトレード志願。マスコミは連日のように“落合騒動”を大きく取り上げた。

 当初、球団側は放出を否定したが、水面下では巨人と交渉していた。通算3度目の三冠王達成により、年俸9700万円の落合が日本人初の1億円プレーヤーになることは確実だったが、この間、チームはBクラスに低迷することが多く、本拠地・川崎球場も閑古鳥が鳴いていた。経営が苦しいのに、高額年俸を要求し、球団批判もする主砲に手を焼いた球団は、落合を人気球団の複数の選手と交換しようと考えた。

エース小松以外なら「誰でもOK」
 斎藤雅樹水野雄仁ら若手投手2人プラス野手1人が基本線だったといわれ、篠塚利夫岡崎郁らの名前も取り沙汰されたが、巨人側はなかなか結論を出せない。そんな矢先、中日の新監督に就任した星野仙一が落合獲り参戦を宣言。交換要員もエース・小松辰雄以外なら「誰でもOK」と明言し、落合の巨人入り阻止に動いた。

 この出血覚悟の熱意がロッテ側を動かし、12月23日、抑えのエース・牛島、正二塁手・上川、中継ぎの桑田、平沼の4人を交換相手に“世紀のトレード”が成立する。

 1人に対し4人という規格外の評価に、落合は「そういう選手なのかなあと、つくづく自分で感心している」と“オレ流”の感想を口にし、「ロッテで優勝できなかったので、そのできなかったことを中日でやりたい」と誓った。

 7年在籍した中日で、落合は88年のリーグ優勝に貢献し、史上初の両リーグ本塁打打点王を達成したが、中日監督時代にも2007年の日本一をはじめ、リーグ優勝4度と黄金期を築いた。1対4のトレードで得をしたのは、明らかに中日のほうだった。

球界の寝業師”が剛腕を発揮
球界の寝業師”といわれた根本陸夫が、3対3の大型トレードで剛腕を発揮したのが、ダイエー監督時代の1993年オフだった。同年、ダイエーは最下位に沈み、前身の南海時代も含めて16年連続Bクラス。負け犬根性がしみついたチームを常勝軍団に変えようと考えた根本監督は、一世一代の“大手術”に踏み切る。

 3年連続二桁勝利の村田勝喜と前年首位打者盗塁王の二冠を獲得した佐々木誠に左腕・橋本武広を加えた3人を放出し、西武・秋山幸二渡辺智男内山智之との交換トレードを成立させたのだ。交渉は秘密裏に行われ、事前に漏れるのを防ぐため、中内功オーナーもテレビのニュースでトレード成立が報じられるまで何も知らされなかった。

 当時このトレードは、30歳を過ぎた秋山、故障持ちの渡辺に代わって、24歳の村田、28歳の佐々木を獲得した西武が得をしたという見方が大半だったが、結果的に大きな成果を挙げたのは、ダイエーのほうだった。

 村田、佐々木ともに西武ではあまり活躍できなかったのに対し、ダイエーは秋山が99年の初優勝に貢献し、常勝ホークスの礎を築いたばかりでなく、ソフトバンク監督時代にも2度の日本一達成と、選手、監督の両方で実績を残した。成立時の評価が10年、20年後に大きく変わっていくのも、トレードの醍醐味だ。

「糸井さん、トレードとか、ありえん」
 近年で話題を呼んだ大型複数トレードといえば、2012年オフの日本ハム糸井嘉男八木智哉オリックス木佐貫洋大引啓次赤田将吾の2対3トレードが挙げられる。

 糸井は同年、4年連続打率3割超をマークし、チームの3年ぶりVに貢献したが、契約更改で1000万円増の年俸2億円を保留。さらに翌年のポスティングでのメジャー移籍を申し入れ、認められない場合は国内球団へのトレードを訴えた。

 この一件で、糸井を「近い将来出ていく選手」と見なした球団側は、年明け後の1月23日、あっと驚く大型トレードを成立させて電撃的に発表した。

 放出されるとは夢にも思わなかった糸井は、先に呼ばれた八木がオリックスへのトレードを報告すると、「(チームは別々になるが)お互い頑張ろう」と激励したという。それだけにトレードを告げられたときはショックが大きく、頭が真っ白になった。

 そして、この電撃トレードは、元チームメイトのダルビッシュ有も「糸井さん、トレードとか、ありえん」とツイートするほど、関係者やファンにも大きな衝撃を与えた。

 だが、日本ハムはすでに生え抜きスター放出後の布石も打っていた。糸井の抜けるライトに期待の“ドラ1ルーキー”大谷翔平を入れる中長期的プランでチームの再強化を図ったのだ。

 大谷は投打二刀流でブレイクし、16年の日本一に貢献。糸井もオリックス移籍2年目に首位打者と、双方ともにプラスに働いたのは周知のとおりだ。トレードの効果は、交換相手以外の選手にも影響を与えるという意味でも、大きなものがある。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍プロ野球B級ニュース事件簿2020」上・下巻(野球文明叢書)

デイリー新潮編集部

2021年11月17日 掲載
新潮社

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