巨人、吉川を"ハズし背番号"2に変更!

巨人、今まで選手の栄光を讃え、王の1や長嶋の3や黒沢の4や沢村の14や金田の34を永久欠番にした。それなのに、背番号の系譜や重みについて、キチンと考えているのだろうか?

ハズし番号、その背番号つけると、選手の運勢が急落する。そのハズし番号の代表が、巨人では背番号2と5と15だ。

巨人の背番号2、元木がナマクラ化したのも37⇒2になってから。松本は23⇒2になったが長嶋派だったため、監督が藤田⇒王になりツブされた。上田も故障がちになった。

背番号5、黒江も恵まれたとは言えなかったし、D・ジョンソンやリンドなどの外人は長く働けなかった。清原はヤクや格闘技など、横道に逸れた。

背番号15、城之内の番号だったが、カレも恵まれた状況ではなかった。以後、横山はダメだったし、山倉はすぐおかしくなった。河原はスキャンダルと故障続きで放出された。

期待ある選手には、キチンと与える背番号も考えるべきだ。

投手に与える番号、捕手に与える番号、内野手に与える番号、外野手に与える番号はある程度決まって然るべきなのだ。例外は、FA加入選手くらいか。

 

 

 

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【巨人】吉川尚輝、来季背番号「2」に 「青い稲妻」の系譜 過去に広岡達朗元木大介小笠原道大らも
12/7(火) 3:00 Yahoo!ニュース
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吉川尚輝
 巨人・吉川尚輝内野手(26)の来季背番号が「2」に変更されることが6日、分かった。巨人の「2」といえば、83年にセ・リーグ新のシーズン76盗塁をマークした松本匡史が背負った番号。俊足巧打のリードオフマンとして活躍した「青い稲妻」の系譜を継ぎ、吉川が再スタートを切る。

 原監督が「天才的」と評価していたように、吉川の潜在能力の高さは誰もが認めている。2年目の18年には坂本の故障離脱中に18試合連続安打と存在感を見せ、翌19年は開幕から打率4割に迫る勢いで安打を量産した。18年は骨折、19年は腰痛と、どちらの年もけがに泣かされたが、20年は開幕戦での逆転V弾から始まり、フルシーズン完走で初めて規定打席をクリアした。

 今季は交流戦終盤で左手中指に死球を受け、またも骨折のアクシデントに見舞われた。だが、離脱までは3番として奮闘し、交流戦の打率は3割7分3厘。守備、走塁の能力も極めて高く、中心選手まであと一歩というレベルまで来ている。亀井が引退セレモニーのスピーチで「尚輝、ポジティブに頑張れよ」と名指しでメッセージを送ったように、あとは才能を生かしきるための強い精神力を身につけるだけだろう。

 背番号「2」は、吉川にとっては「0」(17~19年)、「29」(20~21年)に続き3つめとなる。過去には松本匡史だけでなく、広岡達朗元木大介小笠原道大らも背負ってきた重みのあるナンバーだ。近年の巨人は坂本という大黒柱が引っ張っているが、次世代のリーダー候補の一人が吉川。新たな背番号は、その自覚を促すことにもつながる。
報知新聞社

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