水島新司の「ドカベン」、明訓の負けのタイミングには異論あった。

水島新司の「ドカベン」、基本は高校野球を描くマンガとして、学年入替や主力の負傷故障離脱などがあり、高1の夏から高2の春夏と高3の春夏と、甲子園5季を勝ち続けるコトは、非現実であったろうとは思う。しかし、マンガとは非現実を描く/読む楽しさでもある。いっそ、非現実に路線を決めて、全公式戦勝ち続け、甲子園5季制覇をしても良かったように思う。確かに、明訓が勝ち続けるコトで監督をした土井垣と犬飼が高卒野球浪人を1年以上やるのは、巨人江川や元木や菅野の現実を考えても野球人として致命的だったろうが。

まして、エース里中には毎度負傷故障、高1夏優勝旗盗難、岩鬼と先生のケンカ、山田の死球負傷や記憶喪失、殿馬に音楽家スカウト、次から次に起きた。明訓が負けた試合、誰も負傷故障はいなくて、土井垣が1番岩鬼と4番山田を入れ替えたコトによる。

しかし、近い現実として、桑田清原のPLは高1夏優勝、高2春夏準優勝、高3春準決勝敗退で夏優勝だった。また、根尾柿木横川らの大阪桐蔭は高2夏勝利目前で敗退(一塁の足が離れセーフ、準々決勝じゃなかった?)したが、高3は春夏制覇した。マー君駒大苫小牧、高1と高2夏は優勝したが、毎度不祥事で春出場辞退、高3は早実に負け準優勝じゃなかった?つまり、私立校が上手くやれば、甲子園5季連覇も非現実な目標ではないのだ。

ドカベン」自体は、高3春に雪の決勝戦を優勝し、里中退部で終わった。しかし、「大甲子園」で高3夏を描き、「ダントツ」光高校や「一球さん」巨人学園や「球道くん」青田高校らを相手に、勝ち続けなくてはならなかった。準決勝青田高校とは引き分け再試合すら描き、不利な状況で決勝戦"全くの新キャラ"紫義塾と戦った。コツコツとリードを拡げられ、敗色濃厚な中、山田太郎が"ラスボス"壬生狂四郎のフォークを捉え、優勝で終わった。

結局、5季中、3季目の高2夏を2回戦負けしたのが薄れた。弁慶高校も次戦であっさり負け、せっかく坂田三吉通天閣高校が優勝したのに印象薄かった。

神奈川県内にも、不知火や雲竜や土門&谷津など強力なライバルいたが、特に不知火はかわいそうだった。不知火は、プロでは大活躍したが。

**************************************

ドカベン」1回しか負けなかった明訓高校 水島新司さんが当初想定していたその相手は弁慶高校ではなかった
1/29(土) 11:00 Yahoo!ニュース
 198
ドカベン水島新司/著
 1月10日、数多くの野球漫画を世に送り出した漫画家の水島新司さんが、肺炎のため82歳で亡くなった。代表作は挙げればキリがないが、やはり1972年に『週刊少年チャンピオン』(秋田書店)で連載が開始され『ドカベン』だろう。“主人公”4番・キャッチャーの山田太郎や“悪球打ち”の1番・サード岩鬼正美、“秘打男”の2番・セカンド殿馬一人、そして“小さな巨人”右サブマリンのエース里中智ら“明訓四天王”の活躍を軸に、常勝・明訓高校(神奈川)の熱い戦いを描いた高校野球漫画である。全国のライバルたちも個性豊かで魅力的なキャラクター揃い。数々の激闘や死闘が繰り広げられ、読者を熱狂させてきた。そこで今回は改めて『ドカベン』の魅力に迫るべく、5つのトリビアを紹介したい。

【写真】ドカベンの愛称で呼ばれた香川伸行

 まず最初は“連載開始当初は柔道マンガだった”。物語は山田太郎が中学2年生のときに鷹丘中学に転校してくるところから始まるのだが、野球部ではなくまったく未経験の柔道部に入部してしまう。この柔道編は1年以上続き、コミックス版の第7巻目でようやく野球漫画へと方向転換することとなった。なぜこうなったのかというと、当時、水島新司はライバル誌だった『週刊少年サンデー』(小学館)に『男どアホウ甲子園』を連載していたため、同じ野球漫画被りを避けたからとされている。

 しかし、山田が野球をやっていたらしいというエピソードは随所で語られており(野球部主将でエースの長島徹がその才能を見抜き、勝負を挑むなどして野球部への誘いをかけていた)、野球をやることへの伏線は最初から張られていた。ちなみに“なぜ野球から遠ざかったのか”の理由ものちに明らかにされている。

実写映画化されていた
 2つ目は“実は実写映画化されている”。リアルタイムで『ドカベン』を読んでいた世代なら、フジテレビ系でテレビアニメ化(76年10月~79年12月)されたことは広く知られていよう。だが、実写映画もある。77年公開の東映製作で、『トラック野郎』シリーズの鈴木則文監督がメガホンを取った。舞台は明訓高校だが、ストーリーは先の柔道編から始まり、主人公の山田太郎が野球部に転部、頭角を現すまでが描かれている(そのため里中は登場しない)。

 出演者のうち、山田役の橋本三智弘、岩鬼役の高品正広、長島役の永島敏行(当時は専修大学準硬式野球部に所属していた学生だった)は全国オーディションで選ばれたのだが、驚くべきは殿馬役である。なんと、当時36歳だった個性派俳優の川谷拓三が起用されたのだ。水島さんも自ら野球部の監督・徳川家康役で出演。野球編はラスト10分くらいから始まるため駆け足感は否めないが、原作再現度は正直かなり高い。DVD化もされているので気になった人はチェックしてみてはいかがだろうか。

里中智の由来
 3つ目は“明訓高校のエース・里中智の名前は漫画家の里中満智子がその由来である”。里中満智子といえば『アリエスの乙女たち』など代表作多数の大御所女流漫画家。一見、水島とは接点がなさそうだが、『週刊少年マガジン』(講談社)で水島が連載していた『野球狂の詩』の特別版として里中が女性キャラクターを描いたエピソード“ウォッス10番”などで共作している。水島が尊敬する漫画家のひとりが里中だったこと、里中が描くような爽やかな容姿と端正な顔立ちの美形キャラだったため、“里中満智子”から“満”と“子”を抜いて“里中智”と命名されたのである。

 ほかに実在の人物が『ドカベン』の登場キャラクターの名前の由来となった例として、ライバルのひとり江川学院(栃木)のエースである中二美夫(あたる・ふみお)などが挙げられる。栃木県で江川とくれば、実在する強豪校・作新学院のエースで“昭和の怪物”江川卓(元・読売)が思い浮かぶはず。その江川の弟・江川中の“中”が名字、江川の父親・江川二美夫の“二美夫”が下の名前の由来なのである。

敗北の相手は…
 4つ目のトリビアは“明訓高校は3年間で1回しか負けていないが、その相手は当初、弁慶高校ではなかった”。明訓高校は山田たちの活躍で、1年夏の選手権と2年春の選抜で優勝。続く2年夏の選手権を制覇すれば、史上初となる甲子園3季連続優勝を達成することになっていた。だが2回戦で岩手県代表の弁慶高校に惜敗し、3季連続優勝を逃した。どうも作者の水島新司は、この2年夏で明訓に黒星をつけると決めていたそうだ。コミックス版のカバー裏に書かれていた解説で、開会式直後の第1試合で、実は最大のライバルだった土佐丸高校(高知)相手に痛恨の敗北を喫する予定だったと明かしている。

 しかし、実際の相手は弁慶高校だったわけだ。この変更には以下のような理由がある。当時、本作は子供たちの間でブームとなっていたが、そこに突如“ブルートレインブーム”が巻き起こった。これに危機感を感じた水島は「ブルートレインだけは倒しておかねばならない!」ということで、鉄道員養成高校・ブルートレイン学園(東東京)を急遽生み出し、初戦で対戦させたのである。1番・ピッチャーの隼走(はやぶさ・はしる)を中心とした機動力が売りのチームで、寝台特急よろしく夜に強いのが特徴だった。試合開始時間が夕方だったことを利用し、ナイターに持ち込んで明訓を翻弄、あと一歩というところまで追い詰めるも、5-6で逆転負けを喫している。

 一方、当初予定していた土佐丸高校は初戦で弁慶高校と対戦し、0-1で惜敗。こうして2回戦で明訓高校と弁慶高校が顔を合わせることとなったのだ。この弁慶高校の中心選手が、3番・エースの義経光と4番・ライトの武蔵坊数馬だった。コミックス版のカバー裏では〈明訓が敗れるのは、山田太郎を上回るキャラクターが表れた時(※原文ママ)と考えている。それが出てきた気がする。弁慶高校の義経光と武蔵坊数馬だ。(中略)ぼくは対戦の日が来るのが恐ろしくて仕方がない〉と記していた。明訓と弁慶の対戦はこの1回のみ。まさにこの2人は、明訓を倒すためだけに生み出されたキャラクターなのだった。

作画が良すぎたため
 最後のトリビアも明訓が破れた弁慶戦に関するものである。この試合は2-2の同点で迎えた9回裏。弁慶高校が1死一、二塁のチャンスから、一塁走者だった武蔵坊の身体を張った“弁慶の立ち往生”と二塁走者だった義経の大ジャンプ“八艘飛び”により弁慶高校が劇的なサヨナラ勝ちを収める……という展開だった。しかし、当初の水島さんの構想によると“0-0の同点で延長18回に突入し、明訓がサヨナラ負けする”という結末だったそうだ。

 変更された理由は、この試合の明訓の打順にある。試合の数日前、義経はテレビのインタビューを通じて、明訓戦での「初球ど真ん中ストレート」を予告。これを受けて明訓の監督・土井垣将は、悪球打ちの1番・岩鬼と4番・山田の打順を入れ替えた。土井垣の目論見どおり山田はプレーボール・ホームランを放つのだが、当初の予定ではピッチャーゴロに倒れるハズだった(投手・義経の凄さを描こうとしたものと思われる)。だが、この際に描いた山田のスイングが予想以上の出来栄えだったため、急遽、ホームランにしてしまったというのだ。水島は描いたスイングやピッチングフォームによって打球の行方を変えるクセがあったというが、この試合がまさにそれである。こうして0-0のまま延長18回に突入する……という展開はボツになったという。

 のちにプロ野球を舞台とした『プロ野球編』が生まれるが、そのきっかけとなったのが西武ライオンズ読売ジャイアンツで活躍した清原和博の一言だったそうだ。いわく「ドカベンたちは今、どうしているんですか。プロで一緒にやりたいですよ」。また、元メジャーリーガーのイチローも「僕は殿馬と1・2番コンビを組みたい」と劇中での共演を希望している。『ドカベン』に憧れてプロを目指した選手は数え切れないほどだ。今、改めて不朽の名作を読み返してみたい。

上杉純也

デイリー新潮編集部
新潮社

**************************************