Jリーグ最大の功労者、ジーコ!

トヨタカップフラメンゴの10番として出場し3点全てに絡みMVP、副賞でA60セリカを獲得し1年かけてブラジルに持ち帰り、今も乗ってくれている。

ジーコ自身は「ブラジルにサッカー学校を作る」という目標に資金面の援助を得るため、バブル後期にあった日本に来た。サッカー日本リーグに於いては2部でしかなかった住友金属に入団、住友金属改め鹿島アントラーズを数年かけてJリーグ上位チームに引き上げた。

野球だと、助っ人外人は気位ばかり高く鼻にかけ、プレーや成績は大したコトない選手が多い。しかし、2部で見るのは勿体ないくらい、サッカーの神様は全力でフルタイムプレーした。素晴らしいプレーを見せ、チームを引っ張り、2部得点王にもなった。他チーム、Jリーグ参加しない本田技研から移籍した選手達もジーコと共に鹿島を引き上げた。

プレシーズン、会社の広報の先輩から当時不人気で捌けなかった国立競技場のチケットもらって、読売ヴェルディvs鹿島アントラーズ読売ヴェルディvs日産マリノス読売ヴェルディvs浦和レッズらの試合を観に行けた。良い席だったらしく、初代浦和監督の森サンやANA監督加茂サンが隣にいた。ジーコはフルタイム出場し、シュートやFKやCKやパスやドリブルも様々に魅せてくれた。当時は読売はペペ監督、堀池や三浦泰も読売にいた。

Jリーグ開幕戦ではジーコハットトリック、新加入のアルシンドと共に活躍した。しかし、元々右足太腿肉離れを抱えていた古傷が再発した。前期優勝したが、年間チャンピオン決定戦ではPKでのツバ吐きで退場させられた。

ブラジルに帰り、大スタジアムなど備えたジーコサッカー学校を開校した。鹿島には兄エドゥーが監督就任し、ジーコ自身はアドバイザーを務めた。カレ自身も、W杯ドイツ大会での日本代表監督を務めた。

ジーコのサッカー学校運営は、鹿島との選手供給パイプとしても機能し、相互にメリットある関係なのだろう。

サッカーの神様が日本を選んでくれた。感謝したい。

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「革命的な移籍だった」セルジオ越後氏が30年目のJリーグに言及!最大の功労者に挙げたのは?
2/5(土) 7:46 Yahoo!ニュース
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「プレーヤーとしてだけでなく話題作りやリーダーシップの面でも素晴らしかった」と回顧するレジェンドは?
 
セルジオ越後氏がJリーグ最大の功労者について言及した。(C) Getty Images
 サッカー解説者のセルジオ越後氏が2月4日、自身の公式YouTubeチャンネル『蹴球越後屋』の新たなコンテンツを投稿。いよいよ30年目の節目を迎えるJリーグについて語り、日本サッカー界に大きな貢献をしたレジェンドを「Jリーグ最大の功労者」として取り上げている。

【関連動画】「セルジオがいま伝えたいこと」Jリーグ最大の功労者に挙げたレジェンドの名は…

 いよいよ2月18日に迎えるJリーグ開幕。新たなチェアマンには野々村芳和氏が内定し、30年目の節目を迎える。11月にはカタール・ワールドカップも控えるなかで、日本サッカーの真価が問われる1年となる。

 そんななかでセルジオ氏は「セルジオが今伝えたいこと」として、Jリーグの現状に横たわる問題点とともに、Jリーグの黎明期を支えたレジェンドにも言及。「Jリーグ最大の功労者」として、鹿島アントラーズで現役復帰を果たし、クラブの礎を築いたジーコを挙げた。

「まだ日本リーグ時代の住友金属に来た。あれは革命的な移籍だった」と当時のジーコ来日のインパクトの大きさを語ったセルジオ氏。アマチュアだったチームにプロ意識を植え付け、ブラジル式のメディカルメソッドの導入や選手の育成、ハード面の環境整備などピッチ外でも尽力したことを称賛し、「プレーヤーとしてだけでなく話題作りやリーダーシップの面でも素晴らしかった」と回顧した。

 日本代表監督時代には激しい批判を展開したセルジオ氏だが、Jリーグの発展に寄与した点についてはジーコ氏の偉大な功績を認めないわけにはいかないようだ。

構成●サッカーダイジェストWeb編集部

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