尾崎豊妻、息子への援護射撃?虚飾ばかり?

尾崎豊も死んで久しく、今では息子がソロデビューしている。母親として、息子への援護射撃のつもりか?ひたすら、尾崎豊を美しく飾り立てて書くつもりなのだろう。

ちゃんとした尾崎豊ファンなら、覚えているョ!

川崎麻世に続く、尾崎豊斉藤由貴の不倫の件も、尾崎豊が死ぬ直前、飲み屋で「今から妻の浮気現場に乗り込む!」と店を飛び出し、翌日、裸の変死体で発見されたコトも覚えているョ!

警察がドコまで捜査したのか知らないけど、この奥さんと息子は応援する気はない。

 

 

 

 

 

 

 

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「お前とは結婚しそうな気がする」尾崎豊の妻・繁美さんが語る、幸せの絶頂からの涙
9/29(木) 18:02 Yahoo!ニュース
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写真提供/尾崎繁美
 天国へ旅立ってから今年で30年の時が経つ、「若者のカリスマ」と呼ばれたシンガーソングライター尾崎豊さん。妻の尾崎繁美さんが、長年心に留め封印してきた豊さんへの想いや心に秘めてきた想いを語る連載6回目。

【写真】結婚前、穏やかな日々を過ごしていた頃尾崎豊さんと妻・繁美さんの姿

 前編では、一時活動休止からNY滞在、帰国した豊さんとの関係についてお伝えしました。他の女性との関係を清算し、ふたりはステディな関係へと前進。後編では、やっと迎えた安らぎと幸せの日々の中、全国ツアー中に思わぬ出来事が勃発……! そこまでの出来事をお話いただきました。

 以下より繁美さんのお話です。

初めて観た尾崎豊のコンサートは……
 
1987年秋、日光に小旅行したときに繁美さんが撮影した豊さん。写真提供/尾崎繫美
 1987年の7月から『TREES LINING A STREET』ツアーが始まり、私は豊にチケットを取ってもらい、妹と一緒に横須賀市文化会館に行きました。

 「今日のコンサートの1曲目は、おまえの好きな曲で始めるよ。いつもは違うんだけどね」と豊は言っていたなと、その言葉を思い出しながら初めて観るコンサートに胸を躍らせていました。豊はカリスマ的なスターだけがもつ鮮烈なオーラを身にまとい、ほとばしるエネルギーというか、熱量がすごくて光の矢を放っているようでした。

 ファンにとってはNYから帰国後の待ちに待ったコンサートでもあり、会場にいる誰もが尾崎豊と一体になろうと熱狂していて、私も豊の叫びに吸い込まれて魂が震えました。今朝一緒に目覚めて、朝ごはんを食べた「尾崎くん」の姿が幻のように思えていました。

 つき合いはじめてわかったのは、彼の周りにはいつも風が吹いていること。アーティストとしての風、私の恋人としての風、21歳の男性としての風……それがさまざまな場面で一瞬にして変化する。ふたりでいるときには恋人の風が吹いていても、街でファンに出会ったりすると、さっとアーティストの風に一変しているのがわかるのです。そういうときには彼との間に見えない壁のようなものを感じるのですが、彼とつき合うのは「そういう気配を感じること」と理解していました。

どんな人混みの中でも私を見つけ出してくれる人
 
麻布十番のカラオケ店で繁美さんに『シェリーを歌ってくれたときの写真。写真提供尾崎繁美
 大阪球場のコンサートの直前に、「一緒に来て」と言われ、同行しました。このとき、豊の所属事務所の社長さんに初めて会いました。空港に着いて、豊とは少し距離を置いて歩いていたのですが、すでにものすごい「アーティストとしての熱風」が吹いているように感じて、まったく近づけませんでした。この後も、どんな風が吹くのか、こちらも肌でそれを感じ、察することが常に求められていました。

 その晩、豊のスタジアムでのコンサートを初めて観ました。ものすごい数の観客が「オザキーーーーー!!」と彼の名前を呼び、その声があらゆる場所から聞こえてきて。見たことがない、言葉に表せないほど全身全霊で挑むパワー全開のライブ……!!  

 その中で観客席にいる私を、彼は見つけたのです。照明用のイントレに上がっているとき、私のいる関係者に偶然スポットライトが当たったらしいのです。終了後に豊から「手を振ったのに、おまえ、知らんぷりしてたでしょう」と残念そうに言われて。「どんな人混みの中でも、オレはおまえを見つける自信がある」と、以前言われたことを想い出し、確かに豊だったら、どんな群衆の中でも私を見つけ出してくれる人だと、このときに確信したのです。

穏やかな日々に衝撃、胃潰瘍で入院!?
 
ツアーの合間に、箱根に旅行したとき撮影したツーショット。写真提供/尾崎繁美
 ある晩、部屋でふたり並んでお酒を飲みながら、映画『卒業』を観ていたときのこと。豊が何気なく「おまえとは結婚しそうな気がする……」と呟いたのです。一瞬、驚きましたが、彼も酔っていたし、キザなことも普通に言う人だったので、真剣には受け止めていなかったのですが、有明コロシアムのコンサートが終わった頃に「朝霞の実家に行こう」と、初めて豊の実家に連れていってもらい、彼のご両親に会いました。

 ツアーの合間の休日には、大磯や箱根に小旅行に出かけるなど、穏やかな日々を過ごしていましたが、岐阜、四日市豊橋と続いたコンサートが終わり、新潟のコンサートに出かけた日から、豊からの連絡が突然、途絶えました。

 それまで豊はステージがひとつ終わると必ず電話をかけてきていたのですが、1週間を過ぎても自宅マンションに戻らず、連絡すらありませんでした。実家に電話をすると彼のお母さんが「ツアー中なんですよ」と言うので、私は自分が豊の部屋にいることは言わずに電話を切りました。

 部屋でテレビを観ているとTBSの『ザ・ベストテン』という番組に、豊の新曲『核(CORE)』がランクインしていました。「尾崎豊さんは現在ツアー中です」と司会の久米宏さんがコメントをしていて、なぜ連絡がこないのか? 私は何が起きているのか理由がわからないまま、自分の家に帰りました。

 今のようにスマホがあれば、もっと情報が早く知れたと思いますが、あの頃は向こうからの連絡を持つしかない時代でした。豊が胃潰瘍で入院し、ツアーも中止になったということを知ったのは、数日後でスポーツ新聞からでした。

 連絡が途絶える前、「いい子で待っててね」と、彼はいつものように笑顔で出かけて行き、食欲もあり、体調が悪い感じはなかったので、突然胃潰瘍になったとはとても思えなくて、疑問でした。胃潰瘍なら電話の1本くらいはできるはずなのに……。

 「もう何もかもが嫌だ」って話していたこともあったので、私のことも嫌になっちゃったのかな、と。実は、新潟で豊が倒れる1週間ぐらい前、岐阜のコンサート前日に、「ツアーについてきて」と言われました。一緒に行けばよかった……、そうしていたらこんなことになっていなかった、と後悔と疑問ばかりが頭をよぎり、朝から晩まで自宅にこもって泣いてばかりで、豊の曲はまったく聴けなくなってしまいました。

 ◇この先の繁美さんと豊さんの物語は、10月にお伝えいたします。

 取材・構成/河西真紀
尾崎 繁美

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