R30スカイライン、ニッサン桜井真一郎サン最後の遺作!

一時、世界中の自動車メーカーに大打撃を与えた排ガス規制、日本のスーパーカー開発に大きく影を落とした。日本の自動車メーカーは、あくまで小排気量の小型車の高性能化高効率化に専念した。それが、日本市場の購買力や車庫事情や道路事情に則した選択だった。

その最たるモノが、"史上最強のスカイライン"!R30スカイラインRS-XインタークーラーターボCだった。飽くまで5ナンバーサイズの車体に、2リッターターボをやる上では1気筒当たり500ccとなる4気筒がベストだった。桜井真一郎サン自身の選択ではなかったかも知れないが、S20型後継の6気筒ではなく、CAの後を受けたFJエンジン、当初はSOHCだったがDOHC化された。R30スカイラインは問題なかったが、S12シルビアはパワーバルジが追加された。

ワタシは神奈川県中探し回って、S12シルビアのRS-X、FJ20E搭載車を5年モノ中古で10年乗った。サイズと軽さと馬力&トルク、ちょうど良いクルマだった。新宿文化女子大横でオルターネーター飛びや、エアフローメータートラブルなど、数年サイクルで起きたが。チャイルドシート法制化さえなければ、きっと乗り続けたろう。

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GT-R」ではない「史上最強のスカイライン」と呼ばれた「鉄仮面」とは? スーパーシルエット仕様になった「R30」は別格です!
10/19(水) 6:10 Yahoo!ニュース
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スーパーシルエットで活躍した「鉄仮面」スカイライン
 
1983年8月のマイチェンで「鉄仮面」になったR30スカイライン2000ターボRS-X
 レースで活躍した「スカイライン」といえば、ハコスカGT-Rや、グループAから全日本GT選手権のR32~R34などが挙げられますが、スーパーシルエットで活躍した「鉄仮面」ことR30も印象的でした。今回は6代目・R30型の日産スカイラインを振り返ります。

【画像】赤黒のスーパーシルエットがカッコいい! 「鉄仮面」スカイラインを見る(30枚)

高度なメカが盛り込まれたS20型エンジンを搭載する「GT-R
 かつてプリンス自動車工業を代表するスポーツカーであり、そして1966年にプリンスが日産自動車に吸収合併されて以降は日産を、いや日本を代表するスポーツカー・ブランドに成長した「スカイライン」。プリンス時代は4気筒用のノーズをストレッチして6気筒エンジンを搭載したスカイラインGT、通称「スカG」が、そして日産の傘下に入ってからは直6ツインカムを搭載した「GT-R」が、シリーズのトップモデルに位置づけられてきました。
 GT-Rとしての初代モデルとなったPGC10系「ハコスカGT-R」は、純レーシングカーのR380に搭載されていたレーシング・エンジン、GR8型と基本設計を同じくする高性能エンジンで、直6ツインカム24バルブヘッドが組み込まれた「S20型」を搭載していました。S20型のスペックを確認しておくと、排気量は1989cc(φ82.0mm×62.8mm)で、ミクニ・ソレックスのツインチョーク・キャブを3連装し、最高出力は160ps(レギュラーガソリン仕様は155ps)を捻り出していました。
 このS20型が搭載されたスカイラインGT-Rは、1968年8月に登場した、スカイライン・シリーズとしては3代目となるC10型系がベース。1969年2月に登場した4ドア版がPGC10、1970年10月のマイナーチェンジ後には4ドア版が廃止され、新たに登場したハードトップをベースにしたスカイラインハードトップGT-Rに移行し、2ドアクーペを示すKPGC10の型式名が与えられていました。

ケンメリからR32まで「GT-R」は16年の空白
 スカイライン・シリーズは1972年9月に3度目のフルモデルチェンジを受けて4代目のC110型、通称「ケンメリ」に移行しています。このモデルでもS20型を搭載したGT-Rがラインアップされていますが、その登場はベースモデルの登場から4カ月後の1973年1月でした。もっとも、ベースモデルが登場した翌月、1972年10月に開催された第19回東京モーターショーにレーシング仕様が参考出品され、C110型系にもGT-Rが追加設定されるであろうことは「公然の事実」となっていました。
 はたして、年明けには発売に漕ぎ着けていましたが、ケンメリGT-Rは、わずか197台が生産されたに過ぎず、今もプレミアがつく人気モデルとなってしまいました。生産台数が限られてしまったのはS20型エンジンの数が、それだけしか残っていなかった、などいろいろな説が伝えられています。
 いずれにしてもS20型エンジンは、1973年の排出ガス規制に適合させることが叶わず、それ以上増産されることはありませんでした。そしてS20型エンジンが底をついたタイミングでスカイラインGT-Rの歴史にも一度休止符が打たれることに。そしてGT-Rの名は、R32 GT-Rが登場する1989年の8月まで、16年以上もの間途切れることになってしまいました。もちろん、その間にホットモデルも登場してきましたが、6気筒の特別なエンジンを搭載していないことでGT-Rを名乗れなかったのです。

GT-R」を名乗れなくとも史上最強のスカイラインGTに
 
R30のターボRSに搭載されたFJ20ETエンジン
 歴代スカイラインの中で、高いパフォーマンスを有するホットモデルでありながら、6気筒の特別なエンジンを搭載していないことを理由にGT-Rを名乗れなかったモデルとしては、1981年8月に5回目のフルモデルチェンジで登場した6代目スカイラインR30型)に、同年10月に追加設定された「RS」があります。ちなみに、RSとはRacing Sport(レーシングスポーツ)の略。
 車両型式がDR30型となっていますが、こちらに搭載されていたエンジンはFJ20E型。S20型と同様に、ツインカムで気筒あたり4バルブと高度なメカニズムが採用され、1990cc(φ89.0mm×80.0mm)の排気量から150psの最高出力を絞り出していました。ただし6気筒ではなく4気筒だったがために、スカイラインRSはGT-Rを名乗ることができなかった、と伝えられています。
 GT-Rを名乗ることはできませんでしたが、FJ20Eにターボを装着したFJ20ET(最高出力は190ps)や、さらにインタークーラー付きのFJ20ET(最高出力は205ps)と、マイナーチェンジのたびにエンジンが強力になり、誰言うともなく「史上最強のスカイライン」と讃えられるようになりました。そう、205psの最高出力は、S20型に対して3割近くもハイパワーになっているのですから、単なる社交辞令ではなく、ファンの心からの誉め言葉でした。
 6代目スカイラインは1983年のマイナーチェンジで、とくにRS系ではラジエターグリルのバンパー上の部分を取り去ってグリルレス(バンパー上に2本のスリットを残し、バンパー下のアンダーグリルも残されています)とし、ヘッドライトも薄型のものに変更して、フロントビューのイメージが大きく変わっています。前期型には「ニューマン・スカイライン」の愛称がつけられていましたが、後期モデルは「鉄仮面」と呼ばれています。

圧倒的な速さを誇った「トミカスカイライン・ターボ」
 そんな「鉄仮面」は、サーキットでの活躍も多くのファンの記憶に刻み込まれているはずです。それは赤と黒のツートーンカラー、いわゆるRSカラーに塗られたスーパーシルエット(グループ5仕様)、トミカスカイラインです。
 1970年代から80年代にかけて、富士スピードウェイを代表するスポーツカーレース、富士グランチャンピオン(GC)レースのサポートイベントとして開催されていた富士スーパーシルエット(SS)レースでは当初、フェレディ240ZやサバンナRX-7を改造したレースカーによるバトルが繰り広げられていました。そこに登場したのがシルビア・スーパーシルエット・グループ5や、ブルーバード・スーパーシルエット・グループ5とともに「日産ターボ3兄弟」として名を馳せたスカイラインスーパーシルエット・グループ5でした。
 このネーミングは日産のヘリテージ・コレクションでのネーミングですが、ファンにとってはシルビア・ターボとかブルーバード・ターボの方が、きっと馴染みがあるでしょう。さらにスカイラインの場合はトミカスカイライン・ターボの方がしっくりくると思います。
 それはともかく、この3兄弟はノバ・エンジニアリングで製作したシャシーに日産が仕立てた直4ターボのLZ20Bを搭載し、ムーンクラフトでデザインしたエアロをまとっていましたから、基本的には同じマシンということになります。
 しかし、3台の中ではもっとも完成が遅く、デビューも最後になったトミカスカイライン・ターボですが、その成績と存在感は圧倒的でした。1982年から1984年にかけての3シーズンで19戦に出場し予選では7回にわたってポールを奪い15戦でフロントローに並んでいて、決勝でも半数の9戦(19戦のうち1戦は雨天決勝中止)で優勝を飾っています。
 これをスカイラインと呼ぶかは意見の分かれるところですが、それでも長谷見昌弘さんが企画して旧プリンス系のディーラーが支援してプロジェクトが進められ、富士のレースでは「お客さんが応援で立ち上がるからスタンドが揺れていた」と長谷見さんも回想するほどの人気を博していたのは事実です。さらにフロントビューもデビュー当時は前期型のグリルが装着されていましたが、マイナーチェンジに合わせて後期型では「鉄仮面」に切り替えられていました。これはもうスカイラインRSの栄光の歴史に加えるべき1台、神話の1ページと言っていいでしょう。
原田 了

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